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憲法第2条第3節によれば、大統領は議会に随時、連邦の状況を伝えなければならない。それが一般教書である。一般教書において大統領は国内外の合衆国の状況を説明し、立法計画を推奨し、しばしば未来の展望について述べる。一般教書は年次教書としても知られる。
参考:一般教書の歴史
1790年、ジョージ・ワシントン大統領が最初の一般教書演説を議会で行った。引き続いて議会は議論を行い、大統領に公式の返答を行うことを決定した。返答は上下両院の代表者達によって大統領に伝えられた。トマス・ジェファソン大統領は一般教書を文書で議会に送付する慣習を始めた。
1913年、ウッドロウ・ウィルソン大統領は一般教書を口頭で述べる慣習を復活させた。一般教書を大統領が議会で呼び上げる方式はイギリスの君主制を想起させるものであったので、ウィルソンはそうした印象を避けるために、議会からの公式な反応を期待しない旨を表明した。
1923年、カルヴィン・クーリッジ大統領の一般教書演説は最初にラジオ放送された一般教書演説となった。次いで1947年、ハリー・トルーマン大統領の一般教書演説は最初にテレビ放送された一般教書演説となった。1965年、リンドン・ジョンソン大統領はより多くの視聴者を引き付けるために一般教書演説を行う時間を日中から夜に変更した。さらに2002年、ジョージ・W・ブッシュ大統領の一般教書演説は初めてインターネットでライヴで流された一般教書となった。
このように一般教書の伝達手段は明確な憲法の既定がないために時代とともに変化している。言うまでもなく内容も非常に重要な要素である。1823年にジェームズ・モンロー大統領がモンロー・ドクトリンを公表したのも、フランクリン・ルーズベルト大統領が「四つの自由」を打ち出したのも一般教書においてである。つまり、一般教書は大統領が重要な政策を公表する場としてしばしば使われてきた。その重要性は今後も変わらないだろう。 |
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