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アメリカ歴代大統領研究ポータル

ハリー・トルーマン大統領
第32代アメリカ大統領
飾り

フランクリン・ルーズベルト

フランクリン・ルーズベルト
説得力 95.1 1位
危機対応力 92.5 2位
経済管理力 70.3 5位
カリスマ 83.0 3位
外交力 86.2 2位
行政手腕 77.3 3位
議会連携力 81.3 1位
決断力 92.7 2位
公正性 66.9 7位
ヴィジョン 91.3 3位
C-SPANのランキングに拠って作成
フランクリン・ルーズベルト大統領の能力値

フランクリン・ルーズベルト大統領の概要

Franklin Delano Roosevelt

FDR

 民主党
 Democratic

 在任期間
 1933年3月4日〜1945年4月12日
 生没年日
 1882年1月30日〜1945年4月12日
 身長・体重
 188.0cm/85.3kg
 
 

ハイド・パークの大地主

 フランクリン・ルーズベルトはニュー・ヨーク州ハイド・パークで生まれた。父ジェームズ(1828.7.16-1900.12.8)と母サラ(1854.9.21-1941.9.7)の間の一人息子であった。異母兄が一人いる。父ジェームズは弁護士であり投資家であった。ルーズベルトはハーヴァード大学卒業後、コロンビア大学ロー・スクールで学び、父と同じく弁護士の道に進んだ。
参考情報
「ルーズベルト」姓のカタカナ表記

小児麻痺で足が不自由に

 ルーズベルトはニュー・ヨーク政界に進出し州上院議員になった。さらにウィルソン政権下で海軍次官を務めた。1920年の大統領選挙で民主党副大統領候補になるが落選した。その後、小児麻痺にかかり足が不自由になった。ニュー・ヨーク州知事選挙に立候補して当選した。そして、1932年の大統領選挙で現職のハーバート・フーバー大統領に大差で勝利した。

ニュー・ディール政策

 大統領に就任したルーズベルトは大恐慌による深刻な経済状況を立て直すためにニュー・ディール政策を実施した。産業復興、農業振興、労働福祉の各方面で社会改革を試みた。その一方でニュー・ディール諸法の合憲性をめぐって最高裁と衝突した。第2次世界大戦に参戦し、戦争を指導した。史上唯一の四選を果たした後、ヤルタ会談で戦後の世界構想を決定した。しかし、戦争終結前に急死した。

フランクリン・ルーズベルト大統領の参考情報