大統領とゴルフ
ポイント1:歴代アメリカ大統領にはゴルフ好きが多い
ポイント2:最もゴルフ好きはアイゼンハワー大統領
ポイント3:ストレス解消や思索の時間
ポイント4:熱中し過ぎると職務怠慢だと批判を受ける
ポイント5:ゴルフ場ではあくまで私人
ポイント6:プレイスタイルに出る人柄
ユリシーズ・グラント はゴルフをプレイした初めての大統領経験者である。1877年、大統領を退任後、グラントは世界周遊に出た。その時、訪れたイギリスでグラントはゴルフを見た。現代式のゴルフはまだアメリカ人にとって見慣れないものであったのでグラントは「良い運動になりそうだが、あの白い小さなボールは何か」と聞いた。そこでゴルファーはグラントにプレイするように勧めた。
クラブを渡されたグラントは慎重に長さを見極めて振ってみたがボールに当たらなかった。そこでもう一度、挑戦したが今度はクラブが地面に当たってしまった。それから何度もクラブを振ったが一度もボールに当たらなかった。
結局、諦めたグラントはクラブをキャディーに返して次のように言ったという。
「私はゴルフというゲームが素晴らしいアウトドア・スポーツと聞いていた。特に腕の運動には良いらしい。どうやら私には向いていないようだ。それであのボールは何のために使うのかな」
ウィリアム・マッキンリー大統 領はゴルフがお気に召さなかったようだ。ギャレット・ホバート副大統領は無類のゴルフ好きで知られ、大統領をゴルフに誘ったことがあった。残念ながらマッキンリーはゴルフがうまくできなかったようで、プレイを断念して木の下で本を読んでいたという。
2年後、休暇中にマッキンリーは再びゴルフをプレイしてみようとしたが、側近から忠告を受けた。ゴルフは大統領にふさわしいスポーツではないのでもしプレイ中の写真を撮られたら選挙で不利になるという忠告である。事実、当時の世論調査によれば、ゴルフは大統領の品位を損なうと半分以上の人々が思っていた。
セオドア・ルーズベルト大統領 はスポーツ好きで知られるが、ゴルフを2、3回やってみただけでほとんどプレイしなかった。おそらく目が悪かったのでゴルフには向いていなかったのかもしれない。
歴代大統領の中でも群を抜く肥満体であったウィリアム・タフト大統領 は、「もしゴルフ・ボールを打とうとしても見えないから打てないだろう」と揶揄されている。あまりに肉が厚くて身体を曲げられず、キャディーにボールを持ち上げてもらって打っていたという。
タフトは兄弟の勧めでゴルフを始めた。大統領選に立候補した時、タフトを後継者と見なすセオドア・ルーズベルトは、ゴルフは金持ちの道楽に見えるから公衆の面前でプレイすればイメージが悪くなると忠告している。タフトはルーズベルトの忠告を聞かず、大統領選の期間中もゴルフをいつも通りに続けた。ただ演説でゴルフを擁護している。
「この夏、私がゴルフばかりしていると言ったり、ゴルフが金持ちのスポーツだと言ったり、私が庶民に同情心を持っていないと言ったりする者もいる。ゴルフについて私は世論の判断に任せようと思う。[中略]。ゴルフは、あまり活動的ではなかったり、体重が重すぎて野球やテニスができない人のためのスポーツである。295ポンド[約134s]の男に足や筋肉を使う機会を与えようとすればゴルフをプレイするしかない」
タフトのスイングは野球のバットを振っているように見えたと当時の者が語っている。プロから言わせれば、体重のわりにはなかなかの腕前だったらしい。
タフトは休暇にもなるとほぼ毎日、ゴルフに出掛けていた。新聞からはゴルフに精を出しすぎて大統領の職務を疎かにしているのではないかと批判された。タフトによればゴルフは健康のために必要なことであった。「ゴルフをすれば寿命が延びるかことはプレイする者が誰でも知っている」と言っている。
そうした批判も無理はない。チリ大統領がワシントンを訪れた際、国務省の担当官が会談のセッティングをしようとしたところ、大統領は「もしそいつのためにゴルフができなくなったらそいつを呪ってやる」と悪態をついた。
さらに困ったことにタフトは批判を避けるためにこっそりとゴルフに出掛けてしまうことが多く、大統領の判断が必要な時に所在が確認できないこともあった。
ウッドロウ・ウィルソン大統領 は、「それであのボールは何のために使うのかな」というグラントの言葉を引用するのが好きだった。ウィルソン自身はゴルフを「つかみどころがないボールをうろんなホールにまったく不適当な手段で押し込もうとする非効率な試み」と評している。学者らしい表現だ。それでもゴルフは嫌いではなかったらしく、友人に宛てて「私の主な関心はゴルフです。ゴルフをすれば酸素が心臓に行き渡ります」と書いている。ただ側近によれば、ゴルフを楽しむというよりも健康のためにまるで義務のようにプレイしていたようだ。
ウィルソンがプレイ中に重要な報せが入ることが多かった。1912年11月6日に大統領当選の報せを受け取った時、ウィルソンは18番ホールを終えたところであった。1914年4月、メキシコとの外交危機の際に重大な報せを受け取ったウィルソンはプレイを中断して軍事行動を示唆する最終警告を作成した。1915年5月7日、ルシタニア号事件(ドイツの潜水艦が客船のルシタニア号を撃沈させて128人のアメリカ人乗客が亡くなった事件)の際もウィルソンはプレイ中で急遽、ホワイト・ハウスに戻って対応を協議した。1916年の大統領選挙で再選が危ぶまれた時、目撃者によればウィルソンは「平然とした顔でプレイしていたが、成績はさんざんだった」という。そして、再選が確実になったという報せが入った時、ウィルソンはそのままプレイを続けたという。また議会に宣戦布告を求める演説を行う数時間前もゴルフを楽しんでいた。
ウィルソンは側近と一緒にゴルフをプレイすることが多かった。政治に関する話をしたくなかったからだ。コースからコースに移る間も世間話やジョークを飛ばしていたらしい。友人に宛てて次のように書いている。
「ゴルフをプレイしているといろいろなことに悩まされずにすむ。一打一打に全神経を集中させると、そうすることが人生で最も重要なことのように思えてくる」
ウィルソンのゴルフの腕前はまあまあだったようだ。妻のエディスもウィルソンとともにゴルフをしたが、日記に「W[ウィルソン]とグレイソン医師[ウィルソンの側近]と一緒にゴルフ。二人とも打ち負かした」と書いている。当時の冬にプレイする際はボールがすぐに見つかるように赤や黒に塗って雪の上でもすぐに見つかるようにしていたという。
ウィルソンが休暇でゴルフをプレイしている最中に椿事に遭遇したことがある。ゴルフで1ラウンドを終えたウィルソンがある家の前を通り掛かると屋根から火が出ているのが見えた。そこでウィルソンは家の扉をノックした。中から顔を出した女性は言った。
「大統領閣下、私を訪ねて下さるとは嬉しいことです。応接間でくつろぎませんか」
「そんな時間はない。あなたの家が燃えているよ」
そう言うとウィルソンは一緒にプレイしていた友人とともに屋根裏に上って、消防士が到着するまで鎮火にあたった。
ウィルソンが第一次世界大戦の戦後処理のためにヨーロッパに渡った時、ある者がイギリス首相ロイド=ジョージとイギリスのゴルフコースで一緒にプレイして世界の問題を話し合ったらと勧めた。残念なことに両首脳のゴルフは実現しなかった。
ウォレン・ハーディング大統領 はゴルフを週に2、3回もしていた。休暇ともなると、好きなだけゴルフをしていた。ホワイト・ハウスの裏庭でもよくボールを打っていた。その時のお供はペット(エアデール・テリア)のラディ・ボーイだった。ボールを取りに行かせるためである。
ハーディングは厳格なルールに従ったプレイスタイルを好み、「マリガン」や「ギミー」といったプライベートなプレイで許される慣行も認めなかった。そして、特別扱いもしないように求めた。
参考:ゴルフ用語
ギミーとは、非公式のプレーにおいて打たなくてもいいとされているごく短い最終パットのこと。マリガンとは、プライベートで主にティーショットの場合に限りうまくいかなかった時に許される打ち直し
「私が合衆国大統領であることを忘れてくれ。私、ウォレン・ハーディングが友人とプレイしているだけだ」
90代前半のスコアを出すと大喜びしたという。ゴルフのショットで賭け事をすることもあり、けっこうな額を得ていたようだ。またゴルフ場でしばしばハイボールを飲んでいた。ただ当時は禁酒法時代なのでゴルフ場では酒が供されない。そこでハーディングは密造酒を懐にしのばせていた。
カルビン・クーリッジ大統領 はけちで有名。例えば自分用の葉巻と来客用の葉巻を準備していた。自分用の葉巻を安く、来客用の葉巻を高くするのが普通だが、クーリッジの場合、その逆。自分用の葉巻が高く、来客用が安かった。ゴルフをやったことがあったが、プレイ料が高いのに腹を立てて「こんな小さなボールを追っかけて原っぱを走り回るのがなんで面白いのかちっとも分からん」と言っている。
ドワイト・アイゼンハワー が ゴルフを始めたのは遅く、30代後半からだが、すっかりゴルフにはまってしまった。1953年11月4日の大統領選に当選直後、アイゼンハワーはすぐにジョージア州にあるオーガスタ・ナショナル・ゴルフクラブに飛び10日間の休暇を楽しんだ。ちなみにトルーマン大統領とホワイト・ハウスで会談したのは11月18日のこと。オーガスタ・ナショナル・ゴルフクラブ には、クラブのメンバーによって大統領夫妻のために建てられたキャビンまであった。
アイゼンハワーはホワイト・ハウスにパット練習場 を設置して、午後によくそこでパットを楽しんでいた。しかし、困ったことに栗鼠がたくさんやって来てドングリを練習場に埋め始めた。そこでアイゼンハワーは栗鼠を銃で驚かして追い払うようにシークレット・サービスに求めたが、任務外だと言って断られた。次にアイゼンハワーはホワイト・ハウスの庭師に罠を仕掛けて栗鼠を捕まえるように求めた。これは話題になって「ホワイト・ハウスの栗鼠たちを救う基金」が組織され、パット練習場を囲うためのフェンスを建設するための資金が集められた。栗鼠を捕まえる計画は撤回された。
アイゼンハワーはゴルフ狂とも言うべき大統領であり、多い時は週に2回もバーニング・ツリー・カントリー・コース でゴルフを楽しんでいる。8年間の在任期間中に800ラウンド近くも回っている。大統領がゴルフ好きだったのが影響したのか、アメリカのゴルフ人口はアイゼンハワー政権の8年間で倍増したという。
あまりにもゴルフに行くことが多いとアイゼンハワーは批判を受けた。中にはアイゼンハワーは「ゴルファー・イン・チーフ(大統領の責務である「最高司令官」コマンダー・イン・チーフをもじったもの)」だと揶揄する者もいた。すると主治医は次のように言ってアイゼンハワーを擁護した。
「ゴルフは大統領にとって強壮剤になっている。ゴルフは大統領の心身に良い効果があるし、毎日、直面している不安から解放してくれる。機会があればゴルフをするように私は勧めている」
しかし、アイゼンハワーの脳裏から政務が離れることはなかったようだ。どうやら大変な情勢にある時はゴルフに集中できずにあまり良いスコアが出せなかった。アイゼンハワーのスコアは80台の半ば。外国の貴賓を迎えてゴルフをすることも多かった。ゴルフを一緒にすることで気楽に友好関係を深められるからである。
1955年に患った心疾患から回復したアイゼンハワーはようやくゴルフを医者から許された。ただしプレイで興奮しないように釘を刺された。アイゼンハワーはもともとミスショットをすると興奮してしまってつい汚い言葉を使う癖があった。そこで大統領は一緒に回る人々に言った。
「今日はたくさん笑い声を聞くことになる。ミスショットをした時に悪態をつく代わりに笑わなかったらもうゴルフはやらせないと医者が命じたから。だから私はミスショットをするたびに笑うことにするよ」
ジョン・ケネディ大統領 は友人や家族とよくゴルフを楽しんだ。スコアは70台後半から80台前半であった。ケネディはクラブを握るとためらわずにすぐにショットした。スイングもフォームが良いとプロから褒められている。
実はケネディはゴルフをしている姿をあまり写真に撮られたくなかった。なぜなら前任者のアイゼンハワーがゴルフのしすぎだと批判されていたからである。自分もアイゼンハワーと同じように非難の的になりたくかった。
それは1960年7月、民主党の党大会が行われる直前に起きた逸話でも窺える。カリフォルニア州でゴルフをしていたケネディは、ボールをうまくグリーンに載せた。ボールはそのままホールに向かって転がっていく。一緒にプレイしていた友人は思わず叫んだ。
「入れ。入れ」
結局、ボールはホールから6インチ(15.2センチメートル)のところで止まった。それを見たケネディはほっとした様子で言った。
「君はこの困ったボールがホールに入るように叫んでいたみたいだが、私は自分の政治キャリアが終わってしまうのではないかとはらはらして見ていたよ。もしボールがホールに入っていたら、別のゴルファーがホワイト・ハウスを目指そうとしていると1時間もしないうちに全国に広まっただろうよ」
ケネディは、ホール・イン・ワンをうっかり達成してしまうとゴルフばかりやっていると思われるのを心配していた。ただケネディはゴルフが好きだったようで就任直前にゴルフをこっそりプレイしている。その時、側近に口止めしている。
「もし少しでもばれてしまえば、熱心な記者が書き立てるだろう。『新大統領は大統領として初めてプレイするのを雪が解けるまで待てなかった。ケネディ大統領は前任者と同じくらいゴルフに時間を費やすことになるだろう』と」
これほど好きなゴルフだったが、1961年5月に植樹を行った際、背中を痛めたケネディは医者からゴルフ禁止を言い渡された。もともとケネディは背中に疾患を持っていた。その後、1963年夏に妻とともにプレイしたが、暗殺されたためにそれが最後のプレイになってしまった。
リンドン・ジョンソン大統領 のプレイスタイルは我流だった。ジョンソンのスイングはまるで木を切ったり、蛇を打ち殺すような乱暴なスイングだった。さらに満足できる一打が出るまで何度でもショットした。
もともとジョンソンはあまりゴルフが好きではなかった。ある時、ジョンソンはゴルフに行ってはどうかと勧められたが良い顔をしなかった。そこで提案者が何人かの上院議員と一緒にプレイしてはどうかとさらに勧めた。するとジョンソンは次のように言ったという。
「名案だな。奴らに言うことを聞かせるための新しい活動場所になるな」
自身が議会のボスであった経歴を持ち、議会との連携をうまく図ったジョンソンらしい言葉である。ベトナム戦争が激しくなるにつれてジョンソンはゴルフをしなくなった。アメリカの若者がベトナムで死んでいるのに大統領が優雅にゴルフをしていると言われたくなかったからである。
リチャード・ニクソン大統領 は、ほとんどゴルフ経験がなかった。副大統領時代、アイゼンハワー大統領と一緒にゴルフに行ったことがあった。アイゼンハワーはニクソンの技量を見誤ってお金を賭けてしまった。ニクソンが敗北して賭け金を失ったアイゼンハワーは、「君は若いし、丈夫だし、もっとうまくやれたんじゃないか」と残念そうに言ったという。
そうした言葉に奮起したのかニクソンはゴルフをプロから本格的に習い始めた。ただ指南役のプロに対して次のように言っている。
「最高のプロになろうってわけじゃない。どうやってプレイするか学びたいだけだ」
約45分のレッスンの後、すぐにコースに出ようとしたニクソンを見てコーチが注意した。
「副大統領閣下、まだそれには早いと思いますが」
ニクソンは注意を無視してプレイを始めてしまったという。
ニクソンはゴルフそのものよりもちょっと変わった服装で注目を集めた。暑い日でもゴルフ・シャツのボタンを上までぴったりはめたり、ズボンを高く引き上げてはいたり、大きすぎる帽子を被ったりしていたという。
ゴルフの腕前はお世辞にもうまいとは言えなかった。スイングはまるでカーペットから埃を叩き出しているような感じであった。さらにキャディーによればニクソンの打球は、「栗鼠よりも多くの時間を木々の間で過ごしていた」という。つまり、ミスショットが多かったということだ。それでもニクソンはジョークを言ったり笑ったりしてけっこう楽しくプレイしていたようだ。ただスコアは秘密にしていたし、ゴルフ中の写真撮影もほとんど許さなかった。
ただニクソンの腕前は確実に改善されていったようで1961年9月4日にホール・イン・ワンを達成した。その時の気持ちをニクソンは「人生の中で最大のスリルだ。大統領に当選したことよりもスリルだった」と述べている。アイゼンハワー元大統領から祝いの手紙ももらっている。
その後、ニクソンは遂に80台を切った。その時も大喜びで「サンクレメンテ[ニクソンの別荘がある]の比較的簡単なコースだが、私にとってエヴェレスト山を登るようなものだった」と言っている。次第にゴルフを認めるようになったニクソンは、ゴルフは「運動、競争心の刺激、そして、温かい人間関係を築く」ものだと賞賛している。
大統領執務室でパットの練習をする俳優ボブ・ホープとニクソン大統領
ジェラルド・フォード大統領 は無類のゴルフ好きで知られる。ニクソン大統領の衝撃的な辞任によって突然、フォードは副大統領から大統領に昇格した。その2日後、フォードはゴルフに行っている。なぜそんな大変な時にゴルフに行くのかと聞かれたフォードは、「ニクソンの辞任と自分の大統領就任で衆目にさらされることが多かったのでちょっと息抜きしたい」と答えた。フォードはのんびりゴルフをすることでアメリカ国民に早く普通の状態に戻るようにアピールした。
フォードのゴルフの技量はなかなか高かったようで、プロから「パットがうまい」と褒められている。ゴルフ場で一緒にプレイする人から「大統領閣下」と呼ばれると、それを訂正して「ここでは私は単なるジェリー[ジェラルドの愛称]・フォードだ」と言ったという。フォードは特別扱いされることが嫌いで他のゴルファーと同じ扱いを求めた。ただ時にプレイがうまくいかずに癇癪を起こすことがあった。その恐ろしさにシークレット・サービスも離れてしまうほどだったという。
フォードはミスショットで観客を傷付けてしまうことがあった。それをコメディアンがジョークにしている。
「フォードはスコアを記録する必要なんてない。だって後ろを振り返れば負傷者の数でスコアが分かるからさ」
「フォードが乗っているカートならすぐ分かるぞ。だってカートの上にでかでかと赤十字のマークが入っているからな」
「ロシア人は言った。もし我々が真面目に軍縮に取り組むつもりならまず大統領からゴルフ・クラブを取り上げろとな」
「フォードは最終兵器を持った初めての大統領だ。それはゴルフ・クラブ」
ロナルド・レーガン大統領 もゴルフ好きで知られている。ゴルフについて次のように言っている。
「ワーナー・ブラザーズの俳優だった頃、私はいつも一つの映画からまた別の映画へと渡り歩いたが、ゴルフは週末の午後をリラックスして過ごす方法だった」
ただ政界に入った後はめっきりゴルフをプレイする機会が減ったようで腕前もかなり落ちたようだ。それでもレーガンは一つの教訓を残している。
ある時、レーガンは癇癪を起こして鉛筆を放り投げた。それを取りに行ったレーガンは次のように言った。
「もし怒りにまかせてクラブを投げようとするなら取りに行かなくて済むように目の前に投げろと昔、学んだはずなんだがね」
エアフォースワン内部でパットをするレーガン
大統領執務室でパットをするレーガン
ジョージ・H・W・ブッシュ大統領 のプレイ・スタイルはしばしば「スピード・ゴルフ」と呼ばれた。普通のゴルファーの半分の時間でプレイを済ませたという。ブッシュは普通は4時間以上はかかる18ホールを1時間25分で終えてしまったこともある。なぜそんなに急いでゴルフをプレイするのかについてブッシュは次のように言っている。
「私はゴルフを素早くプレイする。なぜなら立ったままで待っていたくないからだ。長く待っていたら他のゴルファーみたいに風邪をひいてしまうだろう。それにやらなくてはならないことがたくさんある。やるとなったらさっさとプレイしてすぐに次の仕事だ」
こうしたプレイスタイルでも息抜きにはなったらしい。
「アメリカ大統領のような仕事は他にないと思う。職務から離れることが難しく、リラックスすることもなかなかできない。ゴルフに集中することは仕事のストレスを解消するのに最善の方法だ」
クリントンはゴルフの意義を次のように述べている。
「ゴルフは人生を通じてどのような技量を持つ人でもプレイできるスポーツだ。ゴルフこそ完全な国民的スポーツだ」
クリントンのプレイスタイルは前任者のブッシュとは対照的にゆっくり回るスタイルだった。1ラウンド回るのに約5時間をかける時もあった。例えば1995年の18日間の夏期休暇中にクリントンは273ホールを合計71時間で回っている。1ラウンドあたり4時間から5時間という計算になる。クリントンは自分のスタイルについて次のように説明している。
「ゴルフについて私が好きなことは、他の人が嫌いなことかもしれない。プレイにすごく時間がかかるからね。でも私は時間をかけることが好きなんだ」
プレイ中に「いい子ちゃん」とゴルフ・ボールに話し掛けたり、ジョークを飛ばしたり、アーノルド・パーマーやジャック・ニクラウスとプレイした話などをして上機嫌だった。
ゴルフをプレイするジャック・ニクラウスとクリントン
ある日、クリントンがゴルフしていた時に尿意を催した。トイレは4ホール先にあって間に合いそうにない。そこでクリントンは近くにあった家に駆け込んでトイレを借りた(女性が家の前に立っているのを見かけて同行者がトイレを借りても良いか先に確認した)。大統領が去った後、女性は夫に言ったという。
「ここはすごい国だね。信じられるかい。合衆国大統領が私達のトイレを借りに来たのよ。アーニー[夫の名前]、あなたはクリントンに投票してないのにね」
クリントンはホワイト・ハウスにあるパット練習場を週に4回から5回使っていた。パット練習場には静かに集中できる場所だった。クリントンはよくそこでいろいろ考えていたという。
1994年8月19日、クリントンは記者から実現したい夢は何かと聞かれて「50才になる前にゴルフ・コースで80を切りたいという夢を持っている」と答えている。2年後、カリフォルニア州のコロラド・ゴルフ・コースでクリントンは80を遂に切ったと述べている。
ただこれはどうもあやしい。なぜならクリントンは、「マリガン」で有名で、それを「大統領の権利」と呼んでいた。あまりにクリントンが打ち直しを何度もするので、多くの人々は「ビリガン(ビル・クリントンのビル+マリガン)」と揶揄していた。友人によれば、クリントンの腕前はだいたい90を切る程度だったらしい。
1995年2月15日、カリフォルニア州のインディアン・ウェルズ・カントリー・クラブ でクリントン大統領、ジョージ・H・W・ブッシュ元大統領、フォード元大統領の三人が一緒にゴルフをしている。
この時、ブッシュの打球が71才の女性に当たり、鼻を数針縫う怪我を負わせてしまった。ブッシュが謝罪に行くと女性は「あなたの打球を邪魔してすいません」と言ったという。
このトーナメントの結果は、ブッシュが92、クリントンが93、フォードが100であった。
父親に似てできるだけ早くゲームを終わらせるプレイスタイルを好んだ。
ゴルフの最中にイスラエルでテロが起きたというニュースが届いた。するとブッシュはプレイを一時中断してドライバーを握ったまま、「テロを阻止するためにできることを何でもするように私は諸国に求める」と近くにいた記者に語った。そして、「ありがとう。ではこの一撃を見てくれ」とブッシュは続けてドライバーを振った。一度ミスショットをした後、やり直してうまくいくと、「早朝の筋肉のこわばりがとれたようだ」と言った。
ただブッシュはイラク戦争中はそもそもゴルフに行っていない。「戦争中にゴルフをすれば誤ったメッセージを伝えることになる」とブッシュは語っている。
大統領はゴルフに行き過ぎると何かと批判を受けやすい。そのためかホワイト・ハウスはゴルフ中の大統領の写真撮影を記者団に認めたがらない。
オバマは8年の任期中に少なくとも300ラウンド回っている。就任してから3年4ヶ月で100ラウンド目を回っている。オバマが最も多く通ったのが、ワシントン郊外にあるCourses at Andrews である。
2011年8月23日午後1時51分にヴァージニア州を震源とする地震が起きた時にオバマはマサチューセッツ州のファーム・ネック・ゴルフ・クラブ でプレイ中であった。震源地から離れていたせいかオバマ自身は揺れを特に感じていなかったようで普通にプレイしていた
その後、ゴルフ場で報告を受けている。その様子が写真に収められている。特に深刻な被害がないということでオバマはプレイを続けた。同行していた報道官が記者団に向かって「状況の確認を続けるように大統領は求めた」と説明した。
こうしたオバマの行動について批判する者がいたものの、冷静な対応だと賞賛する者もいて賛否両論であった。
2009年に行われたインタビューでオバマは、「どうやったらうまくプレイできるか考えている。ボールはあっちに行ったりこっちに行ったりして真っ直ぐ進んでくれないからね」と答えている。どうやらパットはあまりうまくないらしい。オバマと一緒にゴルフをした者によれば、スコアは80台半ばから90台前半だという。オバマ自身の言葉では「ハンデは13」である。
オバマがプレイでパットに失敗している様子
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オバマは「私が外にいると感じられるのはこの6時間だけだ」と言っている。これはどういうことかと言うと、大統領は常に厳重に警備されているので解放感を感じられるのはゴルフをプレイしている時だけだということだ。さらにオバマは「何か入れ物の中から出たような感じだ」と語っている。オバマはゆっくりプレイするスタイルで1ラウンドに4時間から5時間かける。またゴルフ場で自らカートを運転する。
オバマが一緒にゴルフをプレイするのはホワイト・ハウスのスタッフやスポーツ選手などが多く、政治家は少ない。共和党と和解するサインを示すために共和党員議員をゴルフに誘うこともある。そういう時はどうやら政治向きの話はあまりせず、家族やスポーツの話で親睦を深めるようだ。
トランプは『トランプ:私が受けたゴルフに関する最高のアドバイス(Trump: The Best Golf Advice I Ever Received)』というゴルフ本を出している。その前書きでトランプは次のように書いている。
「私と世界中の数百万人の老若男女にとってゴルフは娯楽以上のものだ。それは情熱である。これまで得てきたゴルフに関する最高のアドバイスについて「自分の言葉」で我々と共有するために、この本において私は、有名で伝説的なプロ・ゴルファー、尊敬すべきゴルフ教師やコーチ、プロのキャディー、よく知られたスポーツ選手やセレブ、世界で最も素晴らしいコースを作った有能な設計者、そして、重役に個人的に質問した。私は彼らの言葉によって我々みんながゴルフをさらに楽しめるようになると思う。世界でも最高の部類のトランプ・ゴルフ・コースとよく知られたゴルフ・トーナメントとともに我々は数百万人の人々がゴルフを楽しめるように貢献する。私はこの本があなたのプレイを改善し、あなたとあなたの友人たちがさらに楽しめるようにすると信じている。楽しんでほしい。ホール・イン・ワン」
トランプの腕前はどうなのか。ゴルフ・ダイジェストはアメリカ大統領のランキングを出している。ただこうしたランキングは今後、大統領のお蔭でゴルフ人気が高まるのではという期待が入っているように思える。
1位 トランプ
2位 ケネディ
3位 アイゼンハワー
4位 フォード
5位 フランクリン・ルーズベルト
6位 ジョージ・W・ブッシュ
7位 ジョージ・H・W・ブッシュ
8位 クリントン
9位 オバマ
10位 レーガン
11位 ハーディング
12位 タフト
13位 ウィルソン
14位 ニクソン
15位 リンドン・ジョンソン
16位 クーリッジ
トランプのティーショットは平均230ヤード程度、かなり我流らしく次のように言っている。
「ゴルフというのは自然なスポーツだと思う。俺はゴルフやその他のことも直感を信用している」
トランプらしい発言だと言える。
またトランプは、ウェストウッド・ワン・スポーツ・ラジオでゴルフについて次のように言っている。
「我々はゴルフを1ラウンドする。素晴らしいことだ。ゴルフについて大事なことが一つある。ランチを一緒に食べるよりもゴルフを一緒にプレイしたほうがそいつをよく理解できる」
安倍首相はトランプが大統領就任前に会談しているが、その時、ゴルフ・クラブを贈っている。それはHonma Beres S-05らしい。価格は3,755ドルだそうだ。2月10日の安倍首相の訪米でトランプ大統領はそのドライバーを使用するのだろうか。