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アメリカ歴代大統領研究ポータル

ラザフォード・ヘイズ大統領
第18代アメリカ大統領
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ユリシーズ・グラント

ユリシーズ・グラント
説得力 52.5 19位
危機対応力 50.4 21位
経済管理力 38.4 32位
カリスマ 52.2 23位
外交力 54.1 21位
行政手腕 36.3 36位
議会連携力 50.0 21位
決断力 45.2 23位
公正性 62.1 9位
ヴィジョン 48.8 25位
C-SPANのランキングに拠って作成
ユリシーズ・グラント大統領の能力値

ユリシーズ・グラント大統領の概要

Ulysses Simpson Grant

Hero of Appomattox

 共和党
 Republican

 在任期間
 1869年3月4日〜1877年3月4日
 生没年日
 1822年4月27日〜1885年7月23日
 身長・体重
 174.0cm/不明

 

陸軍士官学校に入学

 ユリシーズ・グラントはオハイオ州ポイント・プレザントで生まれた。父ジェシー(1794.1.23-1873.6.29)と母ハンナ(1798.11.23-1883.5.11)の6人の子供の長子であった。父ジェシーは皮革業に携わり、オハイオ、ケンタッキー、イリノイ、ウィスコンシンに工場や店舗を持っていた。グラントは父ジェシーの骨折りでウェスト・ポイントの陸軍士官学校に入った。

アポマトックスの英雄

 陸軍士官学校を卒業後、米墨戦争に従軍した。米墨戦争終結後、カリフォルニアへの異動を命じられるが、2年後に退役した。ミズーリ州で農業や不動産に手を出したがうまくいかなかった。その後、弟の誘いで皮革店の事務員として働いた。南北戦争が勃発するとグラントは軍歴をかわれてイリノイ義勇軍の大佐に任じられた。ヴィクスバーグ包囲戦をはじめとして数々の戦いを勝利に導き、遂にはピーターズバーグの戦いで南軍のリー将軍をアポマトックスでの降伏に追い込んだ。南北戦争での戦績により国民的な知名度を得たグラントは1868年の大統領選挙で当選した。

汚職スキャンダル

 グラント政権では相次いで汚職スキャンダルが発覚した。また1873年の恐慌で経済は停滞した。その一方で南部諸州は順次、連邦に復帰し、グラント政権終了後まもなく、連邦軍の撤退で以って南部再建が完了した。

グラント大統領の参考情報