トップへ

アメリカ歴代大統領研究ポータル

ジェームズ・ガーフィールド大統領
第19代アメリカ大統領
飾り

ラザフォード・ヘイズ

ラザフォード・ヘイズ
説得力 37.4 34位
危機対応力 38.5 33位
経済管理力 43.8 25位
カリスマ 39.3 30位
外交力 45.3 30位
行政手腕 50.0 27位
議会連携力 41.1 35位
決断力 39.6 30位
公正性 32.7 33位
ヴィジョン 41.7 32位
C-SPANのランキングに拠って作成
ラザフォード・ヘイズ大統領の能力値

ラザフォード・ヘイズ大統領の概要

Rutherford Birchard Hayes

Dark Horse President

 共和党
 Republican

 在任期間
 1877年3月3日〜1881年3月4日
 生没年日
 1822年10月4日〜1893年1月17日
 身長・体重
 174.0cm/81.7kg

商店主の子

 ラザフォード・ヘイズはオハイオ州デラウェアで生まれた。父ラザフォード(1787.1.4-1822.7.20)と母ソフィア(1792.4.15-1866.10.30)の5人の子供の末子である。父ラザフォードはヘイズが生まれる前に亡くなった。しかし、遺産が多額にあったのでヘイズは進学することができた。ケニヨン・カレッジを総代で卒業した後、ハーヴァード大学ロー・スクールで学んだ。

オハイオ政界

 弁護士として法律事務所を開いて成功したヘイズはオハイオ州シンシナティの法務官に選出された。南北戦争が勃発するとオハイオ義勇軍の一隊を指揮し、サウス・マウンテンの戦いで負傷した。戦後、連邦下院議員に当選、さらにオハイオ州知事になった。1876年の大統領選挙で共和党大統領候補指名を獲得するが、民主党候補を相手に苦戦した。結局、両党の取引によりヘイズの当選が確定した。

南部再建の完了

 ヘイズは大統領選挙での取引に基づいて南部の軍政を終了させ連邦軍を撤退させた。党内の反対にあいながらも公職任用制度の改革を行った。また中国からの移民を排斥する法案に拒否権を行使して議会と対立した。外交面ではパナマ運河をアメリカの管理下に置く姿勢を示し、ヨーロッパ列強を牽制した。

ヘイズ大統領の参考情報