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建国期、連邦党と民主共和党が形成され、二大政党が並び立つ政党制度が始まった。しかし、連邦党はすぐに凋落し、二大政党制度を形成するに至らなかった。1828年までは民主共和党の実質的な一党支配が続く。民主共和党の崩壊後、民主党とホイッグ党が実質的に最初の二大政党制度を成立させた。しかし、ホイッグ党は南北戦争以前に消滅した。その代わりに共和党が出現し、今日のアメリカの民主党と共和党による二大政党制度に繋がっている。
二大政党制度の変遷
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民主党は主に、貧困者、低中流階級、人種的少数派、宗教的少数派、女性、そして労働組合を政治基盤とする。概して民主党の綱領は積極的な政府事業、公共部門、積極的差別是正措置、性と生殖に関する権利、同性愛者の権利、そして、銃規制を標榜する。一方、共和党は、主に、上中流階級、エリート、実業家、そしてプロテスタントのアングロ=サクソン系を支持基盤とする。共和党の綱領は、強力な民間部門、実業と軍需の利益、銃を保持する権利、そして減税を標榜する。概して共和党は積極的差別是正措置のような権利に基づく政策に消極的であり、福祉と政府主導の計画に歴史的に反対してきた。
1829年のアンドリュー・ジャクソン大統領の就任以来、ジェームズ・ブキャナン大統領が退任する1861年まで民主党は全国的の政治を支配した。初期の時代、民主党は合衆国銀行に反対し、州権と奴隷制度を支持し、農民と地方の独立を尊重した。1860年に奴隷制度問題が民主党を分裂させた結果、何度か全国的な成功を収めることはあったが、民主党は1932年にフランクリン・ルーズベルトが選出されるまで完全に力を取り戻すことはなかった。
19世紀後半のグローヴァー・クリーブランド大統領の下で民主党はより都市化し革新的になり、ウッドロウ・ウィルソン大統領、フランクリン・ルーズベルト大統領、ハリー・トルーマン大統領を通じて革新主義の立場をとった。民主党はフランクリン・ルーズベルト政権下でニュー・ディールを推進し、福祉国家への転換を目指した。1960年代までに民主党は教育や都市再生といった社会的な分野で広範な政府の介入を支持した。さらに1980年代までに民主党は支持基盤を女性や黒人に拡大した。さらに1990年代から2000年代にかけて、民主党はさらにヒスパニック系にも支持基盤を広げた。民主党はますますリベラルになり、強力な環境保護、積極的差別是正措置、同性愛者の権利、性と生殖に関する権利、銃規制、医療保険の拡充、そして労働者の権利を支持している。
1854年に共和党が結成された時、共和党は奴隷制度の拡大に反対した。1860年の大統領選挙でエイブラハム・リンカーンが当選するまで共和党の綱領は、ホームステッド法による西部入植の推進、国内開発事業、大陸横断鉄道の建設、保護関税、そして、奴隷制度の封じ込めなどを含むようになった。1880年代、共和党は実業志向で社会的に保守的になり、そうした傾向は今日まで続いている。
19世紀後半の綱領の重要項目として、関税を通じてのアメリカの実業の保護、強力な通貨、低い税率、そして国際貿易の促進が掲げられた。19世紀後半から20世紀初頭の大統領職は主に共和党で占められた。
民主党がアメリカ政治を支配した1930年代から1940年代の後、1953年から1993年の40年間のうち28年間を共和党が支配した。1968年にリチャード・ニクソンが大統領に当選し、共和党は連邦政府の権限を縮小して、州に権限を返すことを目的としたニュー・フェデラリズムを導入した。1980年、ロナルド・レーガンの当選で共和党は決定的な勝利を得た。宗教的保守派、南部の白人、裕福な郊外居住者、そして、若年層の保守派は犯罪、ポルノ、薬物に対する厳罰化、妊娠中絶の反対、減税、防衛費の増大を支持した。概して共和党は実業の利益を支持し、防衛費を増大させ、宗教団体が主導する社会事業、社会保障の民間化、妊娠中絶の規制を支持する。1980年代から、妊娠中絶の反対と学校における祈祷の支持から宗教的保守派の支持を共和党は集めるようになった。
ただこのような民主党と共和党の違いは、より幅広い層の支持を集めるために不明瞭になっている。つまり、両党はともに中道寄りになる傾向を示している。
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