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アメリカ歴代大統領研究ポータル

エイブラハム・リンカーン大統領
第15代アメリカ大統領
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ジェームズ・ブキャナン

ジェームズ・ブキャナン
説得力 21.1 42位
危機対応力 16.3 42位
経済管理力 24.7 42位
カリスマ 18.2 42位
外交力 31.5 40位
行政手腕 33.4 38位
議会連携力 29.4 41位
決断力 17.7 42位
公正性 16.2 42位
ヴィジョン 18.8 42位
C-SPANのランキングに拠って作成
ブキャナン大統領の能力値

ジェームズ・ブキャナン大統領の概要

James Buchanan

Old Public Functionary

 民主党
 Democratic

 在任期間
 1857年3月4日〜1861年3月4日
 生没年日
 1791年4月23日〜1868年6月1日
 身長・体重
 182.9cm/不明

 

移民2世

 ジェームズ・ブキャナンはペンシルヴェニア州ストーニー・バッターで生まれた。父ジェームズ(1761-18216.11)と母エリザベス(1767-1833.5.14)の11人の子供の中で2番目であった。父ジェームズはアイルランドからアメリカに渡り、商人と農夫として成功した。ブキャナンは一家が営むフロンティアの交易所を手伝って育った。ディキンソン・カレッジを卒業後、法律を学んで弁護士になった。

年老いた公僕

 政界に入ったブキャナンはペンシルヴェニア州下院議員に当選後、連邦下院議員、駐露アメリカ公使、連邦上院議員、国務長官、駐英アメリカ公使を歴任した。多くの公職に就いたために自らを「年老いた公僕」と称している。なお歴代大統領の中で唯一、生涯独身であった。1856年の大統領選挙で民主党大統領候補として当選した。

南北の対立

 奴隷制をめぐる南北の対立がますます深刻化する中で、ブキャナン個人は奴隷制が不公正であると信じていたが、奴隷を保有する南部の憲法上の権利も認めていた。ブキャナンは中道的な立場をとろうとしたが、そうした姿勢は北部から南部に過度に加担するものと見なされた。南部諸州脱退の危機が迫るとブキャナンは宥和策をとろうとしたが失敗した。

ブキャナン大統領の参考情報