年度・氏名・政党・州 |
備考 |
1796年の大統領選挙 |
連邦党のジョン・アダムズではなく、民主共和党のトマス・ジェファソンに投票。最初の不誠実な選挙人。 |
サミュエル・マイルズ
連邦党
ペンシルヴェニア |
1808年の大統領選挙 |
6人の民主共和党の選挙人が党幹部会が指名したジェームズ・マディソンではなく、民主共和党副大統領のジョージ・クリントンに投票。 |
6人
民主共和党 |
1812年の大統領選挙 |
3人の連邦党員の選挙人が連邦党副大統領候補のジャレッド・インガソルではなく、民主共和党副大統領候補のエルブリッジ・ゲリーに投票。 |
3人
連邦党
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1820年の大統領選挙 |
プルーマーは民主共和党大統領候補のジェームズ・モンローではなく連邦党のジョン・クインジー・アダムズに投票。アダムズは大統領候補ですらなかったが、プルーマーは、全会一致で大統領に選出されるという栄誉をジョージ・ワシントン以外に与えるべきではないと考えてアダムズに投票。 |
ウィリアム・プルーマー
民主共和党
ニュー・ハンプシャー
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1828年の大統領選挙 |
7人の民主党員が民主党副大統領候補のジョン・カルフーンではなくウィリアム・スミス連邦上院議員に投票。 |
7人
民主党
ジョージア |
1832年の大統領選挙 |
30人の民主党員が民主党副大統領候補のヴァン・ビューレンではなくウィリアム・ウィルキンズ連邦上院議員に投票。 |
30人
民主党
ペンシルヴェニア |
1832年の大統領選挙 |
2人の国民民主党員が国民民主党大統領候補のヘンリー・クレイに投票せずに棄権。 |
2人
国民民主党
メリーランド |
1836年の大統領選挙 |
23人の民主党員が民主党副大統領候補のリチャード・ジョンソンに投票を拒んだ。ジョンソンが公然と奴隷の女性と子供をもうけたことを認めていたことに反発を感じていたからである。その結果、ジョンソンは過半数の選挙人を獲得できず、上院の裁定によって当選した。上院によって選ばれた副大統領はジョンソンの他にはいない。 |
23人
民主党員
ヴァージニア
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1872年の大統領選挙 |
民主党・自由共和党連立大統領候補ホーレス・グリーリーが、42パーセントの一般投票を得ながらも、選挙人投票が実施される前に死去した。グリーリーは66人の選挙人を獲得することになっていたが、その中で63人が候補者死去のために投票を拒んだ。63人の中で17人は棄権、その他の43人はグリーリー以外の4人の民主党員に自主投票した。ユリシーズ・グラントが既に過半数の選挙人を獲得していたために選挙の結果には何も影響しなかった。 |
63人
民主党
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1896年の大統領選挙 |
民主党は人民党とともにウィリアム・ブライアンを連立大統領候補として立てた。大統領候補はブライアンで統一されていたが、副大統領候補はそれぞれ異なっていた。民主党はアーサー・スーアルを指名し、人民党はトマス・ワトソンを指名した。人民党は31人の選挙人を獲得したが、その中で4人は民主党が指名したスーアルを副大統領候補に選んだ。 |
4人
人民党
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1912年の大統領選挙 |
共和党副大統領候補のジェームズ・シャーマンは一般投票前に死去した。シャーマンは現職副大統領であり、ウィリアム・タフト大統領とともに再選を目指していた。その結果、8人の共和党員は、シャーマンではなくコロンビア大学学長ニコラス・バトラーに投票した。 |
8人
共和党
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1948年の大統領選挙 |
パークスは早くから民主党の選挙人に選ばれていたが、一般投票前に民主党の内部対立で新たに州権党が成立した。州権党は現職のハリー・トルーマン大統領の代わりにストーム・サーモンド連邦上院議員を大統領候補に指名した。パークスは州権党を支持していた。その結果、民主党の選挙人資格を持ったままパークスはトルーマンではなくサーモンドに投票した。 |
プレストン・パークス
民主党
テネシー
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1956年の大統領選挙 |
ターナーは民主党大統領候補のアドライ・スティーヴンソンではなくウォルター・ジョーンズという人物に投票した。ジョーンズはターナーの故郷の元巡回判事であった。 |
W・ターナー
民主党
アラバマ |
1960年の大統領選挙 |
アーウィンは共和党大統領候補のリチャード・ニクソンではなく民主党のハリー・バード連邦上院議員と共和党のバリー・ゴールドウォーターを副大統領候補に指名した。これは民主党のケネディの当選も阻止したいが、ニクソンにも我慢できないので考案した奇策であった。アーウィンは218人の共和党の選挙人に自分の策に同調するように求めた。40人の選挙人から応答があったが、この策を実行したのはアーウィンだけであった。 |
ヘンリー・アーウィン
共和党
オクラホマ
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1968年の大統領選挙 |
ベイリーは共和党大統領候補のリチャード・ニクソンではなくアメリカ独立党大統領候補のジョージ・ウォレスに投票した。ベイリーの下院選挙区ではウォレスが勝利を収めたので投票したという。後に上院で行われた審問でベイリーは、もし自分の投票が選挙結果を左右することになっていれば、ニクソンに投票していたと述べている。 |
ロイド・ベイリー
共和党
ノース・カロライナ
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1972年の大統領選挙 |
マクブライドは、共和党大統領候補の現職のリチャード・ニクソン大統領ではなくリバタリアン党大統領候補のジョン・ホスパースに、共和党副大統領候補のスピロ・アグニューではなくリバタリアン党副大統領候補のトーニー・ネイサンに投票した。その結果、ネイサンは女性で初めて選挙人を獲得した候補になった。 |
ロジャー・マクブライド
共和党
ヴァージニア
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1976年の大統領選挙 |
パッデンは、共和党大統領候補の現職のジェラルド・フォード大統領ではなく共和党予備選挙で敗れたロナルド・レーガンに投票した。 |
マイク・パッデン
共和党
ワシントン |
1988年の大統領選挙 |
リーチは、本来であればマイケル・デュカキスを大統領候補として、ロイド・ベンツェンを副大統領候補として投票することになっていたが、それを逆にしてベンツェンを大統領候補として、デュカキスを副大統領候補として投票した。そうした行動の理由は、勝者総取りの選挙人制度に対する抗議の意思を示したかったからである。 |
マーガレット・リーチ
民主党
ウェスト・ヴァージニア
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2000年の大統領選挙 |
民主党大統領候補のゴアが85パーセントの一般投票を得たのにもかかわらず、レット=シモンズは、コロンビア特別行政区に連邦下院の議席が割り当てられていないことに抗議するために棄権した。そのような目的のために投票権を利用した選挙人は他にはいない。また2000年の大統領選挙のような接戦で不誠実な選挙人が出た例も他にはない。 |
バーバラ・レット=シモンズ
民主党
コロンビア特別行政区
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2004年の大統領選挙 |
問題の選挙人はジョン・ケリーを大統領に、ジョン・エドワーズを副大統領に投票することを誓約していたが、エドワーズを大統領として投票した。単なる間違いだと考えられている。 |
匿名
民主党
ミネソタ
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2016年の大統領選挙 |
「今後の大統領制度を変える選挙人投票」を参照のこと。 |