同時に二人の大統領
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1876年の大統領選挙は稀に見る激戦だった。共和党のラザフォード・ヘイズは民主党のサミュエル・ティルディン相手に劣勢を強いられていた。一般投票ではティルディンが上回っていた。選挙人投票でもヘイズの敗北は必至のように思われた。
しかし、選挙人投票で紛糾が起きた。幾つかの州で選挙人投票の結果を決定できないという。そこで問題の州は二種類の当選証明書を作って連邦議会に送付して最終決定を仰いだ。
議会は特別委員会を組織して問題の解決を図った。3月2日、特別委員会は20票の選挙人票をヘイズに与える結果を下した。その結果、ヘイズが逆転勝利を収めた。
順当に事が進んでいれば明らかに民主党のティルディンが勝利していたはずだった。民主党員はヘイズが勝利を盗んだと怒り狂った。暗殺予告をヘイズに送り付ける者が絶えなかったという。
こうした状況の中、困ったことがもう一つあった。新大統領の就任日である。1877年3月4日が就任日になるはずであったが、その日は日曜日だった。そのため月曜日まで就任式を延期しなければならない。
ヘイズはある噂を耳にした。ティルディンが3月4日に大統領宣誓を行って自分こそ真の大統領であると宣言するつもりではないかという噂である。もしそんなことになれば二人の大統領が生まれ、南北戦争の再来になるかもしれない。
危機感を抱いたユリシーズ・グラント大統領は3月3日、夕食会を口実にヘイズをホワイト・ハウスに招いた。そして、レッド・ルームでヘイズの大統領宣誓を行った。
ヘイズの大統領宣誓を証明する文書
1877年3月3日とはっきりと記されている
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もし大統領宣誓を行った時点で大統領になれると解釈できれば、本来の任期前にヘイズは大統領になったことになる。その一方でグラントの任期も3月4日正午まで切れていない。したがって、3月3日夜から3月4日正午まで二人の現職アメリカ大統領が存在したことになる。前代未聞の珍事である。
幸いにも3月4日は無事に過ぎ、ヘイズは3月5日に公的な場で再び大統領宣誓を行った。このような例は後にも先に他にない。 |
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