未来の大統領
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歴代アメリカ大統領同士は個人的な親交を持っていた場合が多い。例えばトマス・ジェファソンとジェームズ・マディソンの公私にわたる強い繋がりはよく知られている。もちろん現職大統領の政権で閣僚や副大統領を務めて後に大統領になった者もいる。そういう関係の他に偶然の出会いがある。
グローバー・クリーブランド大統領はニュー・ヨーク州知事を務めたことから多くのニュー・ヨークの有力者と知り合いであった。その中にはルーズベルト家も含まれる。クリーブランド大統領は当時、5歳のフランクリン・ルーズベルトと会っている。
執務に疲れ果てていたクリーブランド大統領は、父ジェームズのお伴でやってきたルーズベルト少年の手を握って「坊や、ちょっと不思議なお願いをしたいのだが。どうか君が合衆国大統領に決してならないように」と言った。
おそらく今、自分が経験している大統領職の重責を少年に担わせたくなかったのだろう。残念なことに、クリーブランドの祈りも虚しく、ルーズベルト少年は46年後に第32代大統領になってしまった。
ハーバート・フーバーは、学生の頃、野球の試合を見に来たベンジャミン・ハリソンに出会っている。ハリソンは退任後であったが、それでも元大統領ともなれば有名人である。
野球場には入場を制限するような柵がなかったので、フーバーは観客の間を回って入場料を集める係をしていた。そして、有料だとは知らずに観戦していた元大統領に近付き、25セントの料金を払うように求めた。
ハリソンは1ドル札をフーバーに手渡した。そして、次回の試合の分も支払いたいと言った。
25セントが2回分で50セント。お釣りは50セントである。困ったことにフーバーはお釣りを持っていなかった。野球の試合はチャリティーでやっているわけではないから余分なお金は受け取れないと元大統領に伝えた。
するとハリソンはさらに2回分の料金を支払いたいと言った。そうすれば合計1ドルになるのでお釣りは不要になる。
この出来事についてフーバーは、偉い政治家との初めての出会いだったと後に語っている。
現職大統領と未来の大統領の出会いで最もよく知られているのは、ビル・クリントンはジョン・ケネディ大統領である。1963年7月24日、ワシントンを訪れた当時、16歳のクリントンはケネディ大統領と握手している。それがクリントンの政治家を目指すようになったきっかけとなったという。
それから30年経ってクリントンはケネディと同じ民主党の大統領となった。もしケネディと出会っていなかったら、クリントンは大統領になっていなかったかもしれない。たまたま握手をした1人の少年が、将来、自分と同じように大統領になるとはケネディには夢にも思わなかっただろう。
未来の大統領との出会いということになると、親子どうしでも「出会い」と言えるのかもしれない。ブッシュ親子は言うまでもないが、親子で大統領となっているのはもう一例ある。ジョン・アダムズ大統領とジョン・クインジー・アダムズ大統領である。墓地で隣同士で葬られている大統領はこのアダムズ親子だけである。
親子で大統領となったのはブッシュ親子とアダムズ親子の二組しかないが、祖父と孫で大統領になったケースがある。ウィリアム・ハリソン大統領とベンジャミン・ハリソン大統領である。
ちなみにセオドア・ルーズベルトとフランクリン・ルーズベルトは親子や兄弟と間違われることもあるが遠縁の関係である。またフランクリン・ルーズベルトの妻エレノア・ルーズベルトはセオドア・ルーズベルトの姪にあたる。すなわち、セオドア・ルーズベルトの弟エリオットの娘である。
エレノアの父は早くにアルコール中毒で亡くなったので1905年にエレノアがフランクリン・ルーズベルトと結婚した時、介添人を務めたのはセオドア・ルーズベルトであった。記者達は大統領の周りにすべて集まってしまい、花嫁と花婿に注目する者は誰もいなかった。その時の様子をルーズベルトの娘のアリスは、「あらゆる結婚式における花嫁のように、あらゆる葬式における死者のように」大統領が注目を集めたと語っている。
大統領同士の類縁関係として他に知られているのは、ジョン・タイラー大統領がハリー・トルーマン大統領の関係である。タイラーはトルーマンの大叔父にあたる。
またジェームズ・マディソン大統領とザカリー・テイラー大統領は又従兄弟どうしである。
ザカリー・テイラー大統領の娘サラは、後に南部連合の初代大統領となったジェファーソン・デービスと結婚している。テイラーの赴任先であるクロフォード砦に若い将校がいた。それがデービスであった。サラとデービスは恋に落ちた。
テイラーは2人の仲に反対していた。娘が自分と同じ軍人と結婚することで苦労を味わって欲しくなかったからである。テイラーの反対にも拘らず、2人は、1835年6月17日、ケンタッキー州ルイスヴィル近郊のビーチランドにあるサラの叔母の家で結婚式を挙げた。新郎は27才、新婦は21才であった。
結婚後、サラは夫とともに農園で新生活を始めたが幸せは長くは続かなかった。酷暑を避けるためにサラは夫とともにルイジアナの義姉の家に旅立ったが、マラリアに罹り高熱を発した。そして、9月15日、サラは還らぬ人になった。もしそのまま生きて南北戦争を迎えていれば、北部の元大統領の娘にして 南部の大統領の夫人という難しい立場に置かれることになっただろう。 |
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