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アメリカ歴代大統領研究ポータル

核のフットボール

世界で最も高貴な奴隷

 大統領になってみたらどんな気持ちがするのだろう?大統領になれて嬉しいものなのか?実はあまり嬉しくないものなのか?それは大統領本人に聞いてみないと分からない。幸いにも歴代アメリカ大統領は、自分の職務についていといろと語ってくれている。いくつか見てみよう。

 「大統領は高貴な奴隷であり、高貴な奴隷であると考えることによって自らを慰めなければならない」と自虐的に言ったのはウッドロウ・ウィルソン大統領である。ただウィルソンは二期目の最後のほうは病魔の奴隷になってしまった。
 ビル・クリントン大統領も「ホワイトハウスは、アメリカで最も素敵な公邸か、それとも最も贅沢な囚人生活を送れる場所か、どちらか分からないよ」と言っている。奴隷も囚人もあまり変わらない。
 アンドリュー・ジャクソン大統領は2期8年にわたって大統領を勤めあげたが、「私は男どもを荒っぽいやり方で指揮することならできるが、大統領には適していない」と自分で自分を評している。軍人として名を成したジャクソンらしい言葉だ。
 ジャクソンと同じく軍人から大統領になったユリシーズ・グラント大統領は「幸か不幸か、政治的な経験なしで行政府の長と呼ばれるようになった」と言っている。グラント自身が政治的な経験がなかったせいか、グラント政権は多くのスキャンダルに見舞われた。
 第2代大統領を務めたジョン・アダムズは同じく大統領になった息子ジョン・クインジー・アダムズに「大統領職を務めた者は、友人が大統領になったからといって祝うことはない」と訓戒した。
 南北分裂の危機に手をこまねいていたジェームズ・ブキャナン大統領などは、後任者のエイブラハム・リンカーンに「もしホワイトハウスに入ろうとしている君が大統領職を去ろうとしているくらい私と同じくらい幸せだとしたら、本当に君は幸せ者だよ」と言い残していった。これから南北戦争を終結させることになるリンカーンに比べれば、もはや煩わされることがなくなるのだからブキャナンははるかに幸せだったと思う。少々無責任かもしれない。
 またウォレン・ハーディング大統領は、大統領職について「まったくとんでもない仕事だ。私は敵と何も厄介を引き起こしていない。悪友どもこそ、私を毎夜歩き回らせるようにさせた敵だ」と愚痴をこぼすことがよくあった。
 ウィリアム・タフトなどは、もともと大統領ではなく最高裁判所長官になりたがっていた。妻へレンのほうが夫を大統領にするのに積極的で、また友人セオドア・ルーズベルトの後を継ぐということで大統領になる決心を固めた。

セオドア・ルーズベルトとウィリアム・タフト(1909年)
セオドア・ルーズベルトとウィリアム・タフト(1909年)
 後年、「私が大統領だったとは思い出せないよ」とタフトは語っているが、在任中もホワイトハウスで「大統領閣下」と呼びかけられると、思わず前任者のセオドア・ルーズベルトの姿を探したという。自分が大統領であるという自覚があまりなかったのかもしれない。残念ながらタフトとルーズベルトは政治的姿勢をめぐって対立して袂を分かつことになる。