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アメリカ歴代大統領研究ポータル

選挙運動
全国党大会
 予備選挙、党員集会、州党大会で選ばれた代表は、大統領候補と副大統領候補を選定し、党の綱領を採択するために大統領選挙の年の夏に全国党大会に集まる。20世紀半ばまで、代表達はそれぞれ大統領候補に対する支持の程度が違っていたので、全国党大会は騒がしく熱狂していた。しかし、今日では、代表の票の大多数を獲得することによって前もって候補者がよく知られているので比較的にそのようなことはない。その結果、全国党大会は、予備選挙、党員集会、州党大会で決まった結果を追認するだけになっている。しばしば、大統領候補は全国党大会の間に副大統領候補の選択を公表する。

参考:全国党大会の歴史

 1824年の大統領選挙は、大統領候補指名の手段として党幹部会の役割を終わらせた。党幹部会とはその名前の通り、党の幹部が集まって大統領候補を指名する方式である。その後、州の党幹部会、党大会、そして、その他の方法が大統領候補を指名するのに使われた。
 全国党大会が行われた最初の年は1831年である。反フリーメイスン党が1831年9月にボルティモアで全国党大会を開き、大統領候補を指名した。1832年、民主党と国民共和党もそれに倣った。全国党大会は党員、活動家、州の公職者から選ばれた代表から構成されるので、州で行われている党大会が全国党大会に拡大するのは当然の成り行きであったと言える。
 草創期、全国党大会は荒々しく競争が激しく、候補者が大統領候補指名を獲得するにはしばしば政治的策略が必要であった。1844年の民主党の全国党大会はでは九回目の投票の結果、穴馬候補のジェームズ・ポークが選ばれた。
 1852年の民主党の全国党大会では同じく穴馬候補のフランクリン・ピアースが48回の投票の結果、ようやく選ばれた。
 1860年の民主党の全国党大会では、2回の党大会と59回に及ぶ投票の後、スティーヴン・ダグラスが大統領候補に選ばれた。
 1880年の共和党の全国党大会では穴馬候補のジェームズ・ガーフィールドが36回の投票の末に選ばれた。
 大統領候補はしばしば政治的ボスと呼ばれる影響力のある党員達の「煙の充満した部屋」での交渉の後、選ばれた。煙の充満した部屋とは、単に煙草の煙が充満していることを意味しているのではなく、陰謀が渦巻いていることを意味している。この言葉はシカゴで行われた1920年の共和党の全国党大会で使われた。
 投票が行われた最初の日の後、全国党大会は11人の中から大統領候補を選ばずに休会した。共和党の指導者と連邦上院はフェアバンクス・ホテルの煙草の煙が充満した部屋で会合を行い、候補者を選んだ。その結果、選ばれたのがウォレン・ハーディングである。ハーディングの指名は共和党の保守派と革新派の妥協の産物であった。こうした方法が民主的ではないことを認識して、民主党と共和党は、予備選挙と党員集会を通じて有権者にとって指名過程が開かれたものになるように改善した。
 全国党大会は煙が充満した部屋で候補者を選出する時代から長い年月を経たが、それでも猶、議論を呼ぶ全国党大会はある。その中でも1932年の民主党の全国党大会が顕著な例である。フランクリン・ルーズベルトの支持者が党大会の運営者と協力して、ルーズベルトに反対する代表が支持者に囲まれるように席を配置した。党大会会場のマイクロフォンはルーズベルトを支持する人々の声が響き渡るように戦略的に配置された。ルーズベルトは党大会の期間中に大統領候補指名受諾演説を行った最初の大統領候補となった。それ以前、大統領候補は候補指名を党大会の数週間後に行われる儀式で受諾していた。
 1968年の民主党の全国党大会では、一万人に及ぶヴェトナム戦争に反対する群衆が地元警察と州軍と衝突した。
 1972年の民主党の全国党大会でジョージ・マクガヴァーン上院議員は定められた時間よりも早朝に受諾演説を行ったためにマス・メディアの反応は鈍かった。
 そして、1992年の共和党の全国党大会では、パトリック・ブキャナンやその他の演説者が宗教や文化の問題に関して極端に保守的な見解を示したので代表達の大半を辟易させた。
 2004年の民主党の全国党大会ではバラク・オバマが全国的な知名度を得る契機となった演説を行った。