1801 |
1.20 |
J.アダムズ、ジョン・マーシャルを最高裁長官に指名 |
2.3 |
上院、米仏協定承認 |
2.11 |
下院、大統領選出の決選投票を開始 |
2.13 |
J. アダムズ、1801年裁判所法に署名 |
2.17 |
大統領決選投票、ジェファソン当選確定 |
2.27 |
マディソン、父と死別 |
3.4 |
ジェファソン、第3代大統領就任(ワシントンで最初の大統領就任式) |
3.5 |
マディソン、国務長官に指名される |
3.19 |
ジェファソン、ホワイト・ハウスに移る |
5.14 |
トリポリ、アメリカに宣戦布告 |
5.20 |
ジェファソン、地中海へ艦隊を派遣 |
7.10 |
ジェファソン、ウィリアム・クレイボーンをミシシッピ準州長官に指名 |
8.1 |
米船エンタープライズ号、トリポリ船と初交戦 |
8 |
ケイン・リッジ伝道野外大集会、第2次大覚醒 |
12.8 |
ジェファソン、一般教書を文書で送達する前例を作る |
|
J. Q. アダムズ、帰国しマサチューセッツ州上院議員に選出される |
1802 |
1.8 |
ジェイ条約に関する米英の協定が成立、独立戦争に関する英市民の補償が決定される |
2.6 |
トリポリに宣戦布告 |
3.8 |
1801年裁判所法、失効 |
3.16 |
ジェファソン、陸軍士官学校設立法に署名 |
4.6 |
ウィスキーを代表とする日用品に対する物品税撤廃 |
4.14 |
1798年帰化法、失効 |
4.24 |
ジョージア州議会、ヤズー・ランドを連邦政府に移譲 |
4.29 |
ジェファソン、1802年裁判所法に署名 |
4.30 |
北西部領地の東部住民に憲法制定会議を開催する権限を与える授権法成立 |
5.3 |
議会、公式にワシントンを市と認定し、大統領に市長を指名する権限を与える |
7.4 |
陸軍士官学校開校 |
8.11 |
米資産の損害の補償に関してスペインと協定締結、後に批准されず |
10.16 |
スペイン、アメリカのニュー・オーリンズ倉庫使用権を停止 |
12.9 |
モンロー、ヴァージニア州知事退任 |
|
ジャクソン、民兵隊の少将に任命される |
1803 |
1.11 |
ジェファソン、モンローをフランス特使に任命 |
1.18 |
ジェファソン、議会に特別教書を送付、西方探検を提案 |
2.24 |
最高裁、マーベリー対マディソン事件の判決を下す |
3.1 |
オハイオ、州に昇格 |
4.12 |
モンロー、パリに到着 |
4.18 |
モンロー、駐英アメリカ公使に任命される |
4.19 |
スペイン、ニュー・オーリンズをアメリカ商人に再開放 |
4.30 |
フランスからルイジアナ購入 |
5.2 |
ルイジアナ割譲条約調印 |
5.23 |
ジェファソン、プレブル提督をトリポリと戦う艦隊の司令官に任命 |
7.12 |
モンロー、ロンドンに到着 |
8.31 |
ルイスとクラークの探検隊、ピッツバーグを出発 |
10.17 |
J. Q. アダムズ、連邦上院議員として登院 |
10.20 |
上院、ルイジアナ割譲条約を承認 |
10.31 |
ベインブリッジ大佐、トリポリ船を拿捕 |
11.14 |
ジェファソン、議会にルイジアナに関する報告を提出 |
11 |
ヴァン・ビューレン、ニュー・ヨークの法曹界に加入 |
12.9 |
議会、憲法修正第12条を可決 |
12.20 |
フランスがルイジアナを正式に割譲 |
1804 |
2.3 |
ディケーター大尉、トリポリを海戦で破る |
2.16 |
ディケーター大尉、トリポリに拿捕されていた米艦フィラデルフィア号に火を放つ |
2.25 |
ジェファソン、民主共和党から大統領候補に指名される |
3.12 |
下院、サミュエル・チェイスの弾劾を可決 |
3.26 |
議会、ルイジアナ準州法でルイジアナを南北に分割 |
5.14 |
ルイスとクラークの探検隊、セント・ルイスを出発、太平洋に向かう |
5.18 |
ナポレオン、皇帝即位 |
7.11 |
ハミルトン、バーと決闘、翌日死去 |
7.24 |
ジャクソン、テネシー州最高裁判事を退任 |
9.25 |
憲法修正12条発効 |
11.23 |
ピアース、ニュー・ハンプシャー州ヒルズボローで誕生 |
12.5 |
大統領選挙、ジェファソン再選 |
|
モンロー、フロリダに関する交渉をスペインと行う |
|
逃亡奴隷を助ける「地下鉄道」の組織化始まる |
1805 |
1.11 |
ミシガン準州、設置される |
3.1 |
上院、サミュエル・チェイスの弾劾審判で無罪宣告 |
3.4 |
ジェファソン、第3代大統領・第2期 |
4.26 |
ルイスとクラークの探検隊、イエローストーン川河口に到達 |
4.27 |
海兵隊とアラブの傭兵隊、トリポリの港町デルナを占領 |
6.4 |
トリポリと平和友好条約締結 |
7.23 |
イギリス、エセックス号事件で1756年の規定に基づいて中立港での米船の拿捕を正当化 |
7.23 |
バーの政府転覆活動の噂が流布する |
8.9 |
ゼブロン・パイク、ミシシッピ川源流地域探検に出発 |
11.12 |
ジェファソンのフロリダ購入交渉再開案が閣議で認められる |
11.15 |
ルイスとクラークの探検隊、太平洋に到達 |
12.6 |
ジェファソン、議会に両フロリダ購入を示唆する特別教書を送付 |
1806 |
|
1.11 |
ミシガン準州設置が決定 |
2.12 |
上院、英海軍の米船拿捕と強制徴用に抗議する決議採択 |
3.29 |
議会、カンバーランドからオハイオ川に道路を建設する事業を認可 |
4.18 |
議会、英の強制徴用に対抗して、多くの英製品の輸入を禁止 |
5.17 |
ジェファソン、モンローをイギリス特使に指名 |
5.30 |
ジャクソン、決闘でチャールズ・ディキンスンを殺害 |
7.15 |
ゼブロン・パイク、アメリカ南西部の探検を開始 |
8.27 |
モンロー、ウィリアム・ピンクニーとともに海上での米英の摩擦に関して会談を開始 |
11.26 |
ジェファソン、対メキシコ軍事遠征を企てる者の逮捕を布告 |
12.12 |
ジェファソン、議会に奴隷貿易の禁止を要請 |
12.31 |
イギリスと通商条約締結、上院に提出されず |
|
ジェファソン、ドル銀貨の鋳造禁止 |
|
マディソン、「イギリス外交政策の検証」を執筆 |
|
ポーク一家、テネシーに移住 |
|
ノア・ウェブスター、『簡明英語辞典』刊行 |
1807 |
1.22 |
ジェファソン、バーの陰謀に関する特別教書送付 |
2.10 |
ジェファソン、小型砲艦に関する特別教書を議会に送付 |
2.19 |
バー、政府に対する陰謀に関与した疑いで逮捕される |
2.21 |
ヴァン・ビューレン、ハンナ・ホースと結婚 |
3.2 |
ジェファソン、奴隷輸入禁止法に署名 |
3.26 |
オーリンズ準州設置 |
3.30 |
ジャクソン、バー裁判の証人として召喚される |
3.30 |
バー裁判、リッチモンドの巡回裁判所で始まる |
6.20 |
ジェファソン、バー裁判に証言者として出廷することを拒否 |
6.22 |
チェサピーク号事件 |
7.2 |
ジェファソン、アメリカ領海から全イギリス戦艦の退去を要求 |
7.4 |
タイラー、ウィリアム・アンド・メアリ大学を卒業 |
8.21 |
ロバート・フルトンの蒸気船クラーモント号、ハドソン川の往復航行に成功 |
9.1 |
巡回裁判所、バーの反逆罪の疑いに対して無罪宣告 |
9.15 |
巡回裁判所、バーの軽罪についても無罪判決 |
9 |
ブキャナン、ディキンソン・カレッジに入学 |
10.17 |
イギリス、強制収用の続行を表明 |
10.29 |
モンロー、ロンドンからアメリカに向けて出発 |
11.11 |
イギリス、中立国と同盟国がフランスと自由に交易を行うのを枢密院令で禁止 |
12.17 |
ナポレオン、イギリスとの交易を禁じるミラノ勅令発令 |
12.22 |
ジェファソン、最初の出港禁止法に署名 |
12 |
モンロー、帰国 |
|
ジャクソン、テネシー州上院議員を務める |
1808 |
1.1 |
奴隷輸入禁止法発効 |
1.9 |
ジェファソン、出港禁止法第1次補則に署名 |
3.12 |
出港禁止法第2次補則成立 |
3 |
ヴァン・ビューレン、ニュー・ヨーク州コロンビア郡の遺言検認判事になる |
4.6 |
ジョン・ジェイコブ・アスター、アメリカ毛皮会社設立 |
4.17 |
ナポレオン、仏伊ハンザ同盟の諸港に入る米船を拿捕することを認めるバヨンヌ勅令発令 |
4.25 |
出港禁止法第3次補則成立 |
5.3 |
テイラー、中尉として合衆国陸軍第7歩兵連隊に配属される |
6.8 |
J. Q. アダムズ、連邦上院議員を退任 |
11.10 |
オセージ族と条約締結、領土割譲を受ける |
12.7 |
大統領選挙、マディソン当選 |
12.29 |
A. ジョンソン、ノース・カロライナ州ローリーで誕生 |
1809 |
1.9 |
ジェファソン、出港禁止法第4次補則、ジャイルズ法案に署名 |
2.3 |
イリノイ準州、設置 |
2.12 |
リンカン、ケンタッキー州ハーディン郡で誕生 |
3.1 |
出港禁止法撤廃 |
3.1 |
通商断絶法制定、英仏以外の通商再開 |
3.4 |
マディソン、第4代大統領就任 |
4.19 |
マディソン、アースキン協定で通商断絶法の終止を宣言 |
7.2 |
ショーニー族のテカムセ、ネイティヴ・アメリカンの連合運動を開始 |
8.5 |
J. Q. アダムズ、駐露公使としてサンクト・ペテルブルクへ向けて出港 |
8.9 |
マディソン、イギリスに対する通商断絶法の更新を宣言 |
9.27 |
ブキャナン、ディキンソン・カレッジを卒業 |
9.30 |
W. H. ハリソン、ネイティヴ・アメリカンと条約を結び、約300万エーカーを購入 |
|
タイラー、ヴァージニアの法曹界に加入 |
|
蒸気船フェニックス号、最初の海上航行に成功 |
1810 |
1.3 |
マディソン、ウェスト・フロリダをめぐるスペインとの緊張の高まりに軍備拡張を議会に要請 |
3.16 |
最高裁、フレッチャー対ペック事件で州法に対して違憲判決 |
5.1 |
マディソン、英仏の武装船舶をアメリカ領海から締め出すメーコン第2法案に署名 |
6.21 |
テイラー、マーガレット・マッコール・スミスと結婚 |
6.23 |
ジョン・ジェイコブ・アスター、太平洋毛皮会社設立 |
8.5 |
フランス外相カードレ、ベルリン勅令とミラノ勅令を撤廃する条件をアメリカ公使に提示 |
8 |
W. H. ハリソン、テカムセと会談 |
10.27 |
マディソン、ウェスト・フロリダ西部の領有を宣言 |
11.2 |
マディソン、メーコン第2法に基づいて米船拿捕を差し止めるという仏の提案を受け入れ |
11.30 |
テイラー、大尉に昇進 |
|
モンロー、ヴァージニア州下院議員に選出される |
|
マサチューセッツ州、ゲリマンダー選挙区を設定 |
1811 |
1.9 |
ニュー・オーリンズ近郊で大規模な奴隷の反乱 |
1 |
モンロー、ヴァージニア州知事就任 |
2.2 |
マディソン、イギリスとの通商断絶を再開 |
2.20 |
議会、第1合衆国銀行特許更新を否決 |
3.3 |
第1合衆国銀行閉鎖 |
4.2 |
マディソン、モンローを国務長官に指名 |
4.12 |
太平洋岸でアストリア交易植民地の建設開始 |
5.16 |
リトル・ベルト号事件、米艦プレジデント号、英船リトル・ベルト号を攻撃 |
7.1 |
テイラー、ノックス砦の軍を再編成する |
7.2 |
ロバート・スミス前国務長官、『合衆国人民への挨拶』を刊行し、マディソン政権を批判 |
7.6 |
フォスター駐米イギリス公使、ワシントンに到着、米が通商断絶に対して報復すると警告 |
7.24 |
マディソン、イギリスとの戦争に関して議論するために特別会期を招集 |
7.27 |
W. H. ハリソン、テカムセと再び会談 |
9.11 |
蒸気船ニュー・オーリンズ号、ミシシッピ川を初めて航行 |
9.26 |
W. H. ハリソン、900名の兵士を率いてヴィンセンズを出発 |
10.28 |
W. H. ハリソン、ハリソン砦を築く |
11.7 |
W. H. ハリソン、ティペカヌーの戦闘でネイティヴ・アメリカンを破る |
11.25 |
上院、モンローの国務長官指名を承認 |
11.29 |
下院外交委員会、軍備拡張を認める法案を推奨 |
12.16 |
ミシシッピ川流域のミズーリ地方で大地震発生 |
|
リンカーン一家、ノブ・クリークに移転 |
|
タイラー、ヴァージニア州下院議員に当選 |
|
カンバーランド道路の建設開始 |
1812 |
1.4 |
A. ジョンソン、父と死別 |
1.10 |
議会、第2正規軍を2万5,000人まで拡大する陸軍法案を可決 |
1.27 |
下院、海軍の拡張を拒否 |
2.10 |
マディソン、ジョン・ヘンリー文書を購入 |
3.9 |
マディソン、ジョン・ヘンリー文書を議会に提出 |
3.21 |
フォスター駐米イギリス公使、枢密院令の継続を通告 |
3.23 |
仏が米船を撃沈したという知らせに仏に対する戦争の声が高まる |
4.2-3 |
議会、すべての船舶が安全に退避できるように出港禁止を可決 |
4.30 |
ルイジアナ、州に昇格 |
5.18 |
マディソン、民主共和党から大統領候補に指名される |
5.23 |
マディソン、枢密院令の継続を確認し、戦争教書の起草を始める |
5 |
ヴァン・ビューレン、ニュー・ヨーク州上院議員に選出される |
6.1 |
マディソン、戦争教書を議会に送付 |
6.4 |
ミズーリ準州、設置 |
6.4 |
米下院、宣戦布告を可決 |
6.16 |
イギリス、アメリカなどに対する通商制限撤廃を発表 |
6.18 |
米上院、宣戦布告を可決 |
6.19 |
イギリスに宣戦布告、1812年戦争始まる |
6.22 |
ディアボーン将軍、ニュー・イングランド各知事に湾岸防衛に必要な民兵の配備を要請 |
7.12 |
アメリカ、アッパー・カナダに侵攻 |
7.17 |
マッキノー砦のアメリカ軍、降伏 |
7.26 |
マディソン、駐英公使に対英交渉を指示 |
8.8 |
ディアボーン、ローワー・カナダ総督と停戦に調印 |
8.16 |
米軍ハル将軍、英軍に降伏、ミシガン準州、英軍の支配下に置かれる |
8.19 |
米海軍、ノヴァ・スコシア沖の海戦で英海軍に勝利 |
8.22 |
W. H. ハリソン、ケンタッキー民兵隊の少将に任命される |
8.24 |
駐英アメリカ公使、イギリスに和平を打診 |
8.25 |
ディアボーン、マディソンの意向で停戦を終わらせる |
9.2 |
W. H. ハリソン、合衆国陸軍准将の辞令を受け取る |
9.4 |
テイラー、ハリソン砦をネイティヴ・アメリカンの攻撃から守り抜く |
9.21 |
J.Q.アダムズ、ロシアの和平仲介の申し出を受ける |
10.13 |
アメリカ軍、ジョージ砦でイギリス軍に破れる |
10.17 |
米艦ワスプ、英艦フロリックを破る |
10.25 |
米艦ユナイテッド・ステイツ、英艦マケドニアンを破る |
10.27 |
マディソン、イギリスの調停案に対し、強制徴用の停止が条件と回答 |
10.31 |
テイラー、名誉進級少佐に |
11.17 |
ブキャナン、法曹界に加入する |
11.19 |
ディアボーンの部隊、カナダ侵攻を断念 |
11 |
ジャクソン、志願兵部隊の少将に任命される |
12.2 |
大統領選、マディソン再選 |
12.26 |
英海軍、チェサピーク湾とデラウェア湾の封鎖開始 |
12.29 |
米艦コンスティテューション、英艦ジャヴァを破る |
1813 |
1.6 |
タイラー、父と死別 |
1.7 |
ジャクソン、2,000人の志願兵とともにミシシッピへ向けて進軍 |
1.22 |
レーズン川の戦い、英軍とネイティヴ・アメリカンの連合軍、北西部へ侵攻 |
2.23 |
ボストン工業会社設立許可、近代型機械制一貫生産綿工業開始 |
3.2 |
W. H. ハリソン、合衆国陸軍少将に昇進 |
3.4 |
マディソン、第4代大統領・第2期 |
3.9 |
マディソン、対英和平交渉の仲介を依頼する使節をロシアに派遣 |
3.29 |
タイラー、ラティシャ・クリスチャンと結婚 |
4.15 |
アメリカ軍、スペイン領ウェスト・フロリダのモービルを占領 |
4.21 |
平和交渉のためにギャラティンとベイヤード、J.Q.アダムズに合流 |
4.27 |
アメリカ軍の攻撃によりヨークが焼失 |
4 |
タイラー、民兵隊の隊長に指名される |
5.9 |
マディソン、和平仲介を依頼するために使節をロシアに派遣 |
5.20 |
ブキャナン、ペンシルヴェニア州レバノン郡の検事補に任命される |
5.27 |
ジョージ砦の戦い |
5.29 |
サケッツ湾の戦い、英軍の攻撃を撃退 |
5.31 |
マディソン、J. Q. アダムズ、ギャラティン、ベイヤードを講和使節に指名 |
6.1 |
米艦チェサピーク、英艦シャノンに拿捕される |
7.27 |
バーント・コーンの戦いで米軍とクリーク族が衝突、クリーク族が米に敵対 |
8.30 |
ミムズ砦の戦い |
9.4 |
ジャクソン、ベントン兄弟との乱闘で銃撃され負傷 |
9.10 |
米海軍、エリー湖で勝利 |
10.5 |
W. H. ハリソン、テムズ川の戦いでイギリス・ネイティヴ・アメリカン連合軍を撃破 |
11.4 |
イギリス、アメリカと直接和平交渉を希望 |
11.9 |
ジャクソン、志願兵を率いてタラデガでクリーク族を破る |
11.11 |
クライスラー農園の戦い、米軍、モントリオール遠征失敗 |
12.1 |
モントリオール侵攻作戦失敗 |
12.9 |
マディソン、議会に特別教書を送付し、敵国との通商禁止を提案 |
12.17 |
マディソン、通商停止法に署名 |
12.18 |
英軍、ナイアガラ砦を陥落させる |
12.29 |
バッファロー炎上 |
1814 |
1.18 |
上院、マディソンの講和使節指名を承認 |
1.18 |
J. Q. アダムズ、米英和平交渉特使の一員に選ばれる |
1.28 |
ジェームズ・ジャクソン、国立銀行の樹立を認める憲法修正案を提案 |
3.3 |
議会、戦費として2,500万ドルの借り入れを許可 |
3.27 |
ジャクソン、ホースシュー・ベンドでクリーク族とチェロキー族を破る |
3.31 |
マディソン、特別教書を送付し、通商停止法と輸入禁止法の廃止を提案 |
4.14 |
マディソン、通商停止法と輸入禁止法を廃止する法案に署名 |
5.11 |
W.H.ハリソン、アームストロング陸軍長官の専権行為に抗議して辞表を提出 |
5.15 |
テイラー、第26歩兵隊の少佐に昇進 |
6.7 |
マディソン、閣僚と協議してカナダ侵攻の続行を決定 |
6.8 |
ジャクソン、合衆国陸軍准将の辞令を受諾 |
6.20 |
ジャクソン、合衆国陸軍少将の辞令を受諾 |
6 |
フィルモア、梳毛職人と仕立て屋の徒弟に |
7.1 |
マディソン、ワシントンとボルティモアを防御するための特別軍管区の設置を提案 |
7.5 |
アメリカ軍、チパワーの戦いで勝利 |
7.22 |
第2次グリーンヴィル条約 |
7.25 |
アメリカ軍、ランディーズ・レインの戦いでイギリス軍を撃退 |
8.8 |
ベルギーのガンで米英和平交渉始まる |
8.9 |
ジャクソン、クリーク族と条約締結交渉、フォート・ジャクソン条約 |
8.24 |
英軍、ワシントンを焼き討ち、マディソン、ヴァージニアに逃れる |
8.27 |
マディソン、ワシントンに帰還 |
8 |
州法銀行の正貨兌換停止始まる |
9.9 |
ジャクソン、フロリダへの軍事作戦を開始 |
9.11 |
米海軍、シャンプレーン湖の戦いで勝利 |
9.14 |
サミュエル・スミス、ボルティモアのマクヘンリー砦で英軍の攻撃を撃退 |
9.18 |
ウィーン会議開始 |
9.27 |
マディソン、モンローを陸軍長官に指名 |
10 |
ブキャナン、ペンシルヴェニア州下院議員に当選 |
10.17 |
アレグザンダー・ダラス財務長官、合衆国銀行の設立と増税を議会に要請 |
10.18 |
マサチューセッツ州議会、ハートフォード会議の開催を呼びかけ |
11.2 |
ジャクソン、3,000人の志願兵を率いてペンサコーラへ向けて進軍 |
11.7 |
ジャクソン、ペンサコーラを占領 |
12.1 |
ジャクソン、ニュー・オーリンズに到達 |
12.5 |
ジャクソン、ニュー・オーリンズに戒厳令を布く |
12.9 |
上院、合衆国銀行を設立する法案を可決 |
12.15 |
ハートフォード会議開催、連邦政府の戦争政策と通商政策に反対、憲法修正を提案 |
12.24 |
ガン条約締結、1812年戦争終結 |
1815 |
1.7 |
下院、連邦党員と反銀行派の民主共和党員の妥協として合衆国銀行の修正法案可決 |
1.8 |
ジャクソン、ニュー・オーリンズの戦いで英軍に圧勝 |
1.26 |
米議会、ジェファソンの蔵書の購入を決定 |
1.27 |
マディソン、大統領に4万の州兵を招集する権限を認める法案に署名 |
1.30 |
マディソン、合衆国銀行の修正法案に拒否権を行使 |
1.30 |
ジェファソン、連邦議会図書館に蔵書を売却 |
2.11 |
ガン条約批准の知らせが届く |
2.15 |
米上院、ガン条約批准 |
2.17 |
マディソン、1812年戦争の終結を宣言 |
2.27 |
ジャクソン、議会で感謝を表され、金メダルを授与される |
2.28 |
マディソン、モンローを再び国務長官に指名 |
2 |
ヴァン・ビューレン、ニュー・ヨーク州検事総長に任命される |
3.1 |
ナポレオン、エルバ島脱出、100日天下 |
3.3 |
アルジェに対して宣戦布告 |
3.31 |
ジャクソン、法廷侮辱罪で1,000ドルの罰金を科される |
5.20 |
米艦隊、アルジェに向けて出港 |
5 |
蒸気船エンタープライズ号、ミシシッピ川からオハイオ川までの遡行に成功 |
6.15 |
テイラー、軍の縮小に伴い大尉に降格されるが任官を拒否し名誉除隊 |
6.19 |
ウィーン最終議定書調印、神聖同盟形成 |
6.19 |
米艦、アルジェの戦艦を拿捕する |
6.30 |
アルジェと講和条約締結 |
7.3 |
イギリスとの通商交渉で西インド諸島との貿易権を獲得 |
12.5 |
マディソン、第7次一般教書で国家的な道路網と運河網の整備を提案 |
|
アメリカの公債残高が初めて1億ドルを超える |
|
J. Q. アダムズ、駐英公使に任命される |
|
タイラー、ヴァージニア州参事院の一員になる |
1816 |
1 |
ポーク、ノース・カロライナ大学に入学 |
3.4 |
モンロー、民主共和党の大統領候補に指名される |
3.20 |
最高裁、マーティン対ハンター借地人事件に判決 |
4.10 |
第2合衆国銀行、フィラデルフィアに設立される |
4.11 |
アフリカ人メソジスト監督教会設立 |
4.27 |
最初の保護関税法制定 |
5.17 |
テイラー、再び合衆国陸軍少佐に任命される |
7.27 |
第1次セミノール戦争開始 |
10.8 |
W. H. ハリソン、連邦下院議員に選出される |
11 |
タイラー、連邦下院議員に選出される |
12.4 |
大統領選挙、モンロー当選 |
12.11 |
インディアナ、州に昇格 |
12.28 |
アメリカ植民協会設立 |
12 |
リンカン一家、インディアナに移転 |
|
ブキャナン、弁護士業を再開 |
|
アメリカ聖書協会設立 |
1817 |
1.24 |
ブキャナン、マスター・メイスン階位を得る |
3.3 |
マディソン、アラバマ準州設立法案に署名 |
3.3 |
マディソン、連邦助成法に拒否権を行使 |
3.4 |
モンロー、第5代大統領就任 |
3.5 |
モンロー、J. Q. アダムズを国務長官に指名 |
4.5 |
ヴァン・ビューレン、父と死別 |
4.28-29 |
ラッシュ=バゴット協定成立、五大湖での米英相互非武装化 |
5.31 |
モンロー、北部と西部の巡行に出発 |
6.15 |
J. Q. アダムズ、アメリカへ向けて出発 |
7.4 |
エリー運河建設開始 |
7.12 |
コロンビアン・センティネルに好感情の時代の論説掲載 |
9.22 |
J. Q. アダムズ、国務長官に着任 |
9 |
モンロー、ワシントンに帰還 |
12.2 |
モンロー、一般教書で独立を求める南米植民地とスペインの戦いに中立を表明 |
12.10 |
ミシシッピ、州に昇格 |
12.26 |
ジャクソン、セミノール族攻撃の任を引き受ける |
|
ジェファソン、ヴァージニア大学設立法案を起草 |
|
ニュー・ヨーク証券取引会所設立 |
1818 |
1.5 |
大西洋横断定期帆船航路開設 |
2.16 |
ヴァン・ビューレン、母と死別 |
3.24 |
W.H.ハリソン、議会からテムズ川の勝利で金メダルを授与される |
4.4 |
モンロー、国旗法に署名 |
4.7 |
ジャクソン、セント・マークス占領 |
4.18 |
モンロー、西インド諸島から出港した英船に対して閉港令 |
4.20 |
1818年関税法制定 |
5.24 |
ジャクソン、ペンサコーラを占領、第1次セミノール戦争終結 |
6.4 |
ポーク、ノース・カロライナ大学を卒業 |
6.18 |
モンロー、ジャクソンの軍事行動に対して承認を与えず、ペンサコーラの返還を命令 |
10.5 |
リンカン、母と死別 |
10.19 |
チカソー族と条約締結 |
10.20 |
1818年の米英協定締結 |
10.28 |
J. アダムズ、母と死別 |
12.3 |
イリノイ、州に昇格 |
|
フィルモア、教師を務める |
|
ホワイト・ハウス再建 |
1819 |
1 |
経済恐慌、西部で州銀行多数倒産 |
2.2 |
最高裁、ダートマス大学事件に判決 |
2.5 |
ヴァン・ビューレン、妻と死別 |
2.15 |
ミズーリの連邦加盟が奴隷制度をめぐって紛糾 |
2.22 |
J. Q. アダムズ、アダムズ=オニース条約締結、フロリダ地方を購入 |
2.25 |
モンロー、アダムズ=オニース条約を承認 |
2.27 |
ミズーリ準州の州昇格法案、南北の対立で不成立 |
3.2 |
アーカンソー準州、ミズーリ準州から分離 |
3.2 |
モンロー、最初の移民法に署名 |
3.6 |
最高裁、マカロック対メリーランド事件で、州が連邦機関に課税する権利を拒否 |
4.20 |
テイラー、中佐に昇進 |
6.20 |
蒸気機関装着の帆船サヴァナ号、大西洋横断に成功 |
9.20 |
ポーク、テネシー州上院の書記官に指名される |
12.6 |
W. H. ハリソン、オハイオ州上院議員を務める |
12.14 |
アラバマ、州に昇格 |
|
ジェファソン、理事としてヴァージニア大学の新設に貢献 |
|
ポーク、テネシー州ナッシュヴィルで法律を学ぶ |
|
フィルモア、法律を学び始める |
|
タイラー、連邦下院議員の立候補を健康状態を理由に辞退 |
1820 |
3.3 |
ミズーリ妥協成立 |
3.15 |
メイン、州に昇格 |
4.24 |
1820年公有地法制定 |
5.15 |
モンロー、奴隷貿易禁止法に署名 |
5.15 |
1820年公職在任法成立 |
5.15 |
奴隷貿易禁止法制定、罰則の厳罰化 |
6.5 |
ポーク、テネシー州の法曹界に加入 |
6.6 |
スティーヴン・ハリマン・ロングの探検隊、西部探検に出発 |
9.4 |
ポーク、マスター・メイスン階位に進む |
10.4 |
ピアース、ボードウィン・カレッジに入学 |
10 |
ブキャナン、連邦下院議員に当選 |
11 |
J. アダムズ、マサチューセッツ州憲法修正会議に参加 |
12.6 |
大統領選挙、モンロー再選 |
|
W. H. ハリソン、オハイオ州の大統領選挙人としてモンローに投票 |
|
アメリカ海外伝道協会、ハワイ伝道開始 |
1821 |
1.17 |
モーゼス・オーティス、スペイン領テキサスの入植権獲得 |
2.6 |
ヴァン・ビューレン、連邦上院議員に選出される |
3.2 |
モンロー、陸軍を削減する軍隊常備編成法案に署名 |
3.2 |
第2のミズーリ妥協成立 |
3.3 |
タイラー、連邦下院議員退任 |
3.3 |
最高裁、コーエンズ対ヴァージニア州事件に判決 |
3.5 |
モンロー、第5代大統領・第2期 |
4.5 |
モンロー、ジャクソンをフロリダ準州軍政長官に指名 |
6.11 |
ブキャナン、父と死別 |
8.10 |
ミズーリ、州に昇格 |
11.10 |
ニュー・ヨーク州、選挙権の財産資格撤廃 |
11.16 |
サンタ・フェ街道開通 |
11 |
テイラー、セルデン砦をルイジアナ北西部に構築 |
|
マディソン、『憲法制定会議に関する覚書』の執筆を始める |
|
ヴァン・ビューレン、ニュー・ヨーク州憲法修正会議に参加 |
|
ポーク、テネシー州上院首席書記官を務める |
|
スペインの中南米植民地相次いで独立を宣言 |
1822 |
2.18 |
A.ジョンソン、仕立て屋に徒弟奉公に出る |
3.8 |
モンロー、中南米の共和国の承認を特別教書で提議 |
3.30 |
フロリダ準州設置 |
4.27 |
グラント、オハイオ州ポイント・プレザントで誕生 |
5.4 |
モンロー、カンバーランド道路予算法案に対して拒否権を行使 |
5.30 |
自由黒人デンマーク・ヴィージーの反乱計画失敗 |
7.20 |
ヘイズの父、ヘイズの生前に亡くなる |
7.20 |
ジャクソン、テネシー州議会に大統領候補に指名される |
10.4 |
ヘイズ、オハイオ州デラウェアで誕生 |
11.9 |
テイラー、ジェサップ砦をルイジアナ西部に構築 |
11 |
W.H.ハリソン、連邦下院議員選挙落選 |
12 |
テイラー、ロバートソン兵営の指揮を任される |
12.13 |
テイラー、母と死別 |
|
ロッキー山脈毛皮会社設立 |
1823 |
1.5 |
モンロー、ジャクソンを駐墨全権公使に指名 |
4 |
タイラー、ヴァージニア州下院議員に選出される |
8.16-20 |
英、西領アメリカに対するヨーロッパ諸国の介入に反対する共同声明の発表を打診 |
10.1 |
ジャクソン、連邦上院議員に選出される |
12.2 |
第7次一般教書でモンロー・ドクトリン発表 |
|
ポーク、テネシー州下院議員に選出される |
|
フィルモア、法曹界に入る |
1824 |
1.1 |
ポーク、サラ・チャイルドレスと結婚 |
1 |
チェロキー族の首長がワシントンで、強制移住政策に反対、ジョージアでの居住権を主張 |
3.2 |
最高裁、ギボンズ対オグデン事件で連邦法の通商規制権限の優越を認める |
3.19 |
最高裁、オズボーン対合衆国銀行事件に判決 |
3.30 |
ヘンリー・クレイ、「アメリカ体制」提唱 |
4.30 |
モンロー、一般測量法案に署名、国内開発事業に対する方針を転換 |
5.22 |
モンロー、保護主義的な1824年関税法案に署名 |
8.15 |
ラファイエット、アメリカに上陸 |
8.29 |
J. アダムズ、ラファイエットと再会 |
9.1 |
ピアース、ボードウィン・カレッジを卒業 |
10 |
ピアース、法律を学び始める |
11.4 |
ジェファソン、ラファイエットとマディソンの表敬訪問を受ける |
11.9 |
大統領選挙、過半数を得票した候補がいなかったため下院の裁定に |
12 |
モンロー、ネイティヴ・アメリカンの西部移住を提案 |
|
W. H. ハリソン、連邦上院議員に選出される |
|
A. ジョンソン、徒弟奉公から逃げ出し、仕立て屋を開業 |
|
チャールズ・G・フィニーの信仰復興運動 |
1825 |
1.3 |
ロバート・オーエン、ニュー・ハーモニー共同社会をインディアナ州に設立 |
2.9 |
下院の裁定によりJ. Q. アダムズ当選確定 |
2.9 |
ジャクソン、下院の裁定に敗れる |
3.3 |
モンロー、カンバーランド道路法案に署名 |
3.4 |
J. Q. アダムズ、第6代大統領就任 |
3.8 |
J. Q. アダムズ、ジョン・R・ポインセットを初代駐墨アメリカ公使に指名 |
3 |
ヴァージニア大学開校 |
7.7 |
デーヴィッド・ポーター、プエルト・リコに200人の兵士を上陸させた越権行為で軍法裁判 |
8 |
モンロー、J. Q. アダムズ大統領とラファイエットを自宅で歓待 |
8 |
ポーク、連邦下院議員に選出される |
9.6 |
J. Q. アダムズ、ホワイト・ハウスでラファイエットを歓待する |
10.14 |
ジャクソン、連邦上院議員を退任 |
10.26 |
エリー運河開通 |
10 |
ジャクソン、テネシー州議会から大統領候補に指名される |
12.5 |
ポーク、連邦下院に登院 |
12 |
タイラー、ヴァージニア州知事に選ばれる |
1826 |
1.24 |
クリーク族とワシントン条約を締結 |
2.5 |
フィルモア、アビゲイル・パワーズと結婚 |
2.13 |
アメリカ禁酒促進協会設立 |
5 |
軍組織の刷新を求める陸軍長官の要請に、議会、軍事教練書の作成と配布を決議 |
5 |
A.ジョンソン、ローレーに戻る |
6.22 |
最初の汎米会議、パナマで開催、アメリカ代表出席できず |
9 |
A.ジョンソン、テネシーのグリーンヴィルに移転 |
7.4 |
ジェファソン、死去 |
7.4 |
J. アダムズ、死去 |
9.12 |
モーガン事件、反フリーメイスンリー運動始まる |
11 |
J.Q.アダムズ、ロシアの仲介で1812年戦争中の損害の補償について英と決着 |
|
マディソン、ヴァージニア大学理事職をジェファソンから引き継ぐ |
|
リンカン、ジェームズ・テイラーの渡し舟で働く |
|
モンロー、ヴァージニア大学の評議員に |
|
ペンシルヴェニア幹線運河着工 |
|
ジョサイア・ホルブルック、ライシーアム設立 |
|
ペンシルヴェニア州、人身自由法制定 |
|
チョクトー族、土地交換交渉を拒否 |
1827 |
1.13 |
タイラー、連邦上院議員に選出される |
2.2 |
最高裁、マーティン対モット事件に判決 |
3.12 |
最高裁、ブラウン対メリーランド州事件に判決 |
3.15 |
J. Q. アダムズ、駐墨アメリカ公使ポインセットにメキシコに領土購入を提案するように指示 |
3.16 |
最初の黒人新聞フリーダムズ・ジャーナル刊行 |
3.27 |
J. Q. アダムズ、英植民地との交易に対してアメリカの全港を閉ざす |
5.17 |
A. ジョンソン、エリザ・マッカードルと結婚 |
7.26 |
チェロキー族、成文憲法を制定、チェロキー共和国建国 |
7.30 |
ハリスバーグ大会開催、保護関税要求 |
8.6 |
英米のオレゴン共同統治更新 |
9.5 |
ピアース、法曹界に入る |
11.5 |
ポーク、父と死別 |
|
レヴェンワース砦建設 |
|
フィラデルフィアで技術工同業組合連合結成 |
1828 |
1.12 |
米墨、サビーネ川を境界とする条約締結 |
1 |
第2合衆国銀行、正貨の海外流出を抑えるために政府証券を販売 |
2 |
グアテマラ公使、ニカラグアを通って太平洋と大西洋を結ぶ運河の建設を提案 |
5.1 |
テイラー、スネリング砦の指揮を任される |
5.19 |
J. Q. アダムズ、1828年関税法に署名 |
5.19 |
J. Q. アダムズ、W. H. ハリソンをコロンビア公使に指名 |
5 |
最初の労働者党、フィラデルフィアで結成 |
7.4 |
ボルティモア=オハイオ鉄道建設開始 |
7 |
パターソンの織物工場で労働者のストライキ発生 |
11.4 |
大統領選挙、ジャクソン当選 |
11.4 |
J.Q.アダムズ、大統領選挙で敗北 |
11.11 |
W. H. ハリソン、コロンビアへ向けて出港 |
11 |
フィルモア、ニュー・ヨーク州議会議員に選出される |
12.19 |
サウス・カロライナ州、1828年関税法に反対する決議を採択 |
12.20 |
ヴァン・ビューレン、連邦上院議員を退任 |
12.22 |
ジャクソン、妻と死別 |
|
リンカン、平底船を建造し、貨物をニュー・オーリンズまで運送 |
|
A. ジョンソン、グリーンヴィルの市会議員に選ばれる |
|
ノア・ウェブスター、『アメリカ英語辞典』刊行 |