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小学館の『国語大辞典』を調べると「アメリカ大統領」という単独項目はない。しかし、「大統領」という項目で次のように立項されている。
「共和国の元首。また、その職。選出方法はアメリカ、フランスなど国民が国民が選出する方法と、イタリアなど議会で選出する国とがある。多くは別に首相を首班とする内閣をつくり、これに行政権をゆだねるため、法律・条約の署名、高級公務員の任免、外国使節の接受など形式的な権限をもつにとどまるが、アメリカのように行政権首長として、統帥権・外交権・特赦権など強力な権限を行使できる場合もある」
そもそも「大統領」という言葉の由来はどこにあるのか。昔の日本にはそのような言葉はなかったことは確かである。「大統領」という言葉がどのように生まれたかを知ることは大統領がどのような存在かを知ることにも繋がる。
「President(大統領)」という英語がアメリカで生まれたのは1787 年である。1787 年7月24 日から8 月6 日に、憲法制定会議(Congressional Convention)が設けた詳細検討委員会(Committee of Detail)が「President(大統領)」という語を採用した。この時、他に「Supreme Court(最高裁)」、「Congress(議会)」、「House of Representatives(下院)」という言葉も採用されている。
「president」という言葉の原義は、「他の者に先立って座る者(one who sits before others)」であり、独立革命以前はジェームズタウン(Jamestown)で「植民地の長官」の意で使用されていたという。もともとはラテン語でpraesident
であり、「支配する者」という意味であったらしい。
またpresident は、大陸会議(Continental Congress)議長に対しても使われている。そのためジョージ・ワシントン(George
Washington)は初代「大統領」ではないと主張する研究者もいるほどである。よく知られているようにpresident は他にも様々な意味で使われる。会社の社長もpresident
と呼ばれるし、大学の学長もpresident と呼ばれる。そうなると、アメリカ大統領は行政府の長であるから、行政府長と訳すことも不自然ではない。しかし、会社のpresident
を「大統領」と訳すことはないし、また大学のpresident を「大統領」と訳すこともない。一方で、President of the United
States of America を「アメリカ合衆国行政府長」と訳すこともない。つまり、President of the United States
of America に「アメリカ合衆国大統領」という訳語をあてるのは、president の他の訳例と比較すると特例だと言える。
しかしながら、語源となったラテン語からすれば「大統領」という訳語は「統べる」、すなわち「支配する」という意味を含むので適訳であると考えられる。では大統領から「大」を除いた統領は日本では何を意味しているのか。
『日本国語大辞典』によれば、天長三年(826/827)に大宰府に「統領」という役職が置かれている。国防のために富裕な家の子弟から選抜された選士を統率する役職である。また「ある集団をまとめて、おさめること。また、その人」という意味である。統領は、「頭領」、「棟梁」にも通じる。頭領は「ある集団を統率する立場の人。かしら」という意味であり、古代では郷長に次ぐ地位であった。そして、棟梁は「武家の棟梁」という言葉もあるように「国家の重要な任務に当たる人。ある集団の中心となる人。指導的立場にある人。かしら」という意味である。
統領、頭領、棟梁の三つの漢字の中でどれをあてれば最適であるかを考えた時に、上述の意味からすれば「棟梁」が最適ではないかと考えることもできる。「国家の重要な任務に当たる人」である棟梁はまさに合衆国President
の訳語として相応しいように思える。そのため、この棟梁から大統領の訳語が派生したという俗説もある。しかし、その俗説が本当であれば一つ疑問が残る。なぜわざわざあて字を棟梁から統領に換えなければならないのか、または換わってしまったのかという疑問である。
この疑問に対する答えを出さない限り、棟梁という語から大統領という訳語が派生したという説は肯んじ難い。逆になぜ棟梁という語がそのまま採用されて合衆国大棟梁という訳語にならなかったのかという疑問点が浮かび上がる。
その疑問に対する答えは、まず「大棟梁」という言葉は「一者天照大神なり。此は日本國の大棟梁にて在り」と用例が『日本国語大辞典』で示されているように、神に対しても使うという点が考えられる。徳川家康を「権現様」と呼ぶ例があるが、それは家康の死後、神号が奉られたからである。「大棟梁」を神号に類する呼称だと考えると、大統領の意で用いるのはあまり似つかわしくないように思える。また後にも述べるが、漢籍では大統領を意味する語として「統領」と「頭領」の語を使う用例はあったが、「棟梁」の用例は、筆者の知る限り見当たらなかった。
なぜ「大統領」という訳語が使われるようになったのか。その疑問について触れる前に訳語が考案された当時の英語翻訳事情を次節で述べておく。背景事情を知っておくことは疑問を解く手掛かりになるだろう。
江戸時代初期、オランダ船リーフデ号の航海長ウィリアム・アダムズ(William Adams)が外交顧問として徳川家康に仕えたことはよく知られている。1613
年、平戸にイギリス商館が開設されたが、早くも1623 年に閉鎖され、イギリス人は日本から去った。そのため英語に対する関心は薄れた。
長期にわたって鎖国体制を採用していた江戸幕府が英語学習の必要性を感じ始めたのは19 世紀の初めになってからである。1808 年にイギリス船フェートン号が長崎港に侵入し、オランダ商館員を捕えた。いわゆるフェートン号事件である。
事態を重く見た幕府は、翌年に英語研修を通詞に命じた。1810 年、通詞達の中からさらに英語担当の者が選ばれた。彼らの英語研究がもとになって1811
年に『諳厄利亜興学小筌』が編まれた。英語会話、語彙などがまとめられた冊子である。次いで1814 年に『諳厄利亜語林大成』が完成した。これは収録語彙数約六千に及び、日本初の和英辞書と言える本である。ただ『諳厄利亜興学小筌』や『諳厄利亜語林大成』は幕府の官命に製作された書物であり、一般に広く出回ることがなかった。こうした書物が「再発見」されたのは明治以後である。
江戸時代で一般に流通した和英辞書は堀達之助による『英和對譯袖珍辞書』である。『英和對譯袖珍辞書』は幕末の1862 年に活版印刷技術により出版された。収録語彙数は『諳厄利亜語林大成』をはるかに上回る約三万六千にも及ぶ。『英和對譯袖珍辞書』は非常に好評であり、高値で転売されるほどであった。さらに『薩摩辞書』と呼ばれる一種の海賊版まで刷られた。
『諳厄利亜興学小筌』や『諳厄利亜語林大成』と『英和對譯袖珍辞書』の発行までの間隔が約半世紀もあるのは、当時の世相を反映している。『諳厄利亜興学小筌』や『諳厄利亜語林大成』が編まれたのは先述の通り、フェートン号事件の直後であった。しかし、その後、1837
年のモリソン号事件の他には大きな事件も起こらず、英語の必要性は薄れていった。
英語の必要性が再び増したのは1840 年代になってからである。1848 年にはラナルド・マクドナルド(Ranald MacDonald)が日本に「漂着」した。実際は、漂着したのではなくマクドナルド自ら日本に渡航することを望んでいた。通詞達は、蝦夷地で捕えられた後に長崎に護送されたマクドナルドから英語を学んだ。こうした状況の下、1850
年幕府は再び英語研修を通詞達に命じた。
このように開国に至るまで日本では一般的には英語を翻訳するという事業はなかったと言える。広く流通していた漢籍とは異なり、英語は通詞を代表とする、ごく尐数の専門職だけが理解できる言語であった。そのため訳語を考案した人物の数も非常に限定される。
では江戸時代の和英辞書で、president はどのような訳語をあてられていたのだろうか。『諳厄利亜語林大成』は既にpresident を収録している。しかし、あてられている訳語は、「首魁(カシラ)」である。「大統領」という訳語は全く見当たらない。また1857
年に上海で発行された新聞を翻刻した『官板六合叢談』によると、合衆国大統領は「合衆國首領」と
記載されている。
また福沢諭吉が和訳した『華英通語』(1860 年)では、president の訳語として「監督」があてられている。『英和對譯袖珍辞書』では「評議役ノ執頭、大統領」という訳語が記載されている。つまり、尐なくとも幕末には「大統領」という訳語が既に考案されていたことは確かである。堀が編纂の参照にした資料はいくつかあるが、その中の一つである『英漢字典』(1847
年)では、President の訳語として、「監督、頭目、尚書、正堂」などがあてられているが「大統領」の語は見当たらない。
他に『亜墨新話』(1844 年)をもとにして記された『海外異聞』ではPresident は「國王フレシデンヱ」とわざわざ国王という称号を付けて訳されている。『亜墨新話』は日本人によるアメリカ漂流記であるが、大統領制という日本には馴染みがない制度を理解することが難しかったのであろう。
当時の幕府は、蘭書の他に日本人による漂流記、そして漢籍からも多くの海外事情を取り入れていた。次の節では漢籍におけるアメリカ事情について述べる。漢籍に「大統領」という訳語の成立を探る手掛かりが隠されている可能性があるからである。
漢籍における「大統領」については、孫建軍が「新漢語『大統領』の成立について」で詳しく論じている。清は日本に先立つこと9 年、1844 年にアメリカと望廈条約を取り交わし通商関係を結んでいる。また日本とは異なって中国には宣教師が多数居住していたので、彼らによる西欧語の漢訳も進められた。
『聯邦志略』(初刊は1838 年『美理哥合省國志略』)では独立宣言と合衆国憲法が紹介され、「凡行法權柄總歸國君」と記されている。つまり、Presidentは「國君」と訳されている。
また正木篤が和訳した『美理哥国総記和解』では「國制に首領の位は四年を以て限りとなす」と書かれている。『美理哥国総記和解』は魏源の『海國圖志』(初版1842
年)を訳出したものである。「國君」という訳ではなく「首領」という訳になっている。
他の例として、郭実獲の『東西洋考毎月統記傳』(1837 年)では「首領」、林則徐の『四洲志』(1841 年)では「勃列西領」という語があてられている。
徐纏奮の『滅環志略』(1848 年)では興味深いことに「統領」という語が使われている。
他にも程喬采の上奏文(1844 年)でも「正統領」という語が使われている。正統領という表現は、副大統領職が存在することに対応して作られた表現であろう。
諸橋轍次の『大漢和辞典』によると、「統領」は部曲の長を示す官職名として清代に使われていた語である。そして「頭領」は「多くの人のかしら」という意味であるが、官職名としては使われていなかったようである。さらに「棟梁」は一国の重任に当たる人という意味である。しかし、「國之棟梁」となると、国という「建物」を支える一番の重臣という意味になる。
アメリカ大統領は誰かの家臣でもなく、国を導く存在であり支える存在ではなかったので「棟梁」という字をあてるのは不適当だと考えられたかもしれない。しかし、これに関する傍証は存在しない。
この当時の漢訳例として最も重要な例は1844年にアメリカと清の間で結ばれた望廈条約における訳例であろう。同条約においてpresident は「大伯理璽天德」と音訳されている。音訳されているのは正式な定訳となるような妥当な表現が見つからなかったからだろう。
「大統領」という訳語の初出は判明している限りにおいては1853 年のミラード・フィルモア大統領の親書である。現時点では、これより先に「大統領」という訳例は見当たらない。この親書は、オランダ語と漢文を介して英語から邦文に訳された。その際に蘭文和解では「伯理璽天德」と音訳され、そして漢文では「大統領」となっている。
『ペルリ提督日本遠征記』によると、ペリーが幕府に英語正文と蘭訳、漢訳を手交し、オランダ語通訳のアントン・ポートマン(Anton Portman)が堀に対してその文書の性質を説明したとある。またペリーは先述の望廈条約を参考にして中国語に堪能なサミュエル・ウィリアムズ(Samuel
Wells Williams)に手伝わせて条約の草稿を書いている。「大統領」という訳語の発案者はウィリアムズである可能性が高い。残念なことにそれを裏付ける資料は今のところ発見されていない。
おそらく『英和對譯袖珍辞書』に「大統領」という訳語が登場しているのはこうした経緯を踏まえていると考えられる。堀自身は先述のマクドナルドから教えを受けていないが、通詞の一人である森山栄之助は長崎でマクドナルドから大統領について説明を受けている。
つまり、「亞美理駕大合衆國大統領姓斐謨名美辣達」という漢訳はアメリカ側が行ったことが分かる。オランダ語の原文では「President der
Vereenigde Staten van America」である。日本側によるその和訳は「伯理璽天德プレシデント」である。
箕作阮甫の蘭文からの訳も「伯理璽天德」]である。もし日本側が「大統領」という訳語を既に考案していたのであれば、オランダ語原文から和訳した際に「大統領」という訳語をあてていたはずである。堀ら通詞達は後に「國主」という訳語を使う場合もあった。「大統領」という馴染みのない概念をできるだけ分かりやすいように伝えようとしたのであろう。開国以前、オランダ風説書では「共和政治の司プレシデント」と説明されている例もある 。
一方で他の幕臣間で取り交わされた文書の中では「大統領」という言葉がしばしば使われている。おそらく通詞以外の幕臣は、当時、漢文が武士階級の素養であったことを考えると、ペリーが手交した漢訳を主に参考にしていたと考えられる。しかし、日米和親修好条約では、アメリカ大統領に対して「合衆國主」という表現が使われている。こうしたことから訳語が未だ定着していなかった様子が分かる。
また中浜万次郎が翻訳に影響を及ぼした可能性を指摘することもできるかもしれない。しかし、中浜万次郎が日米和親修好条約の作成の際に条約館にいて翻訳を手伝ったとされるが誤りである。万次郎はオランダ語や中国語を知らず、当時はまだ日本語に熟達していなかった。「大統領」という訳語を中浜万次郎が考案した可能性はないだろう。しかし、アメリカから帰国後に中浜万次郎が1851
年から1852 年にかけて取り調べを受けた時に、大統領制度について語っている点は注目すべき点である。
前節で述べたように、「大統領」という訳語は日米外交の副産物として生み出された。しかしながら、それはすぐに訳語として定着しなかったようである。訳例を調べると少なからず混乱が見受けられる。
中村正直は1873 年に翻訳した『共和政治』の中で、「費爾治尼亞ノ人ペートン・ランドルフ、公選ニ由リテプレシデント[大統領]トナル」と大陸会議議長(President
of the Continental Congress)を「プレシデント[大統領]」と訳している。また中村は「一千七百八十七年、五月十四日、諸國ノ委員フィラデルフィアニ會合ス華盛頓擇ビ立テラレテ、プレシデント[大統領]トナル」[ギルレット1873:
第二冊]と訳しているが、この場合の「大統領」は憲法制定会議の「議長」である。さらに中村は、「行政ノ部ハ、プレシデント[大統領]及ビ文武ノ上官下官、及び他國ニ在ルミニストル[公使]コンシユル[領事官]ヨリ成リ立リ」とも訳している。これは明らかに今で言うところのアメリカ合衆国大統領を指している。中村がPresident
を訳し分けできなかったのは、おそらく『英和對譯袖珍辞書』の「評議役ノ執頭、大統領」という表記に従ったからであろう。
また明治初期に好評を博した『西国立志編』では、「裁縫匠ノ大豪傑ハ、安德留戎孫[アンドリュー・ジョンソン]ニ如モノナカルベシ、即チ當今合衆國ノ大頭領ニシテ卓絶ノ行ヒ、心思ノ力ラアル人ナリ」という一文がある。ここでは「大頭領」という訳語が使われている。「大棟梁」という表現は見当たらなかったが、「大頭領」という表現は他書でも散見された。
この他にも『和英語林集成』では、初版(1867 年)では未収録であるものの、再版(1872年)に「Tōriyō, dai- tōriyō」という訳語が収録されている。残念ながらローマ字表記のため、どの漢字をあてるかは定かではない。
このように「大統領」という訳語は明治に入っても完全に定着していなかった。定着したのは明治の半ば以降だと思われる。そして、現在では我々日本人は「アメリカ大統領」という言葉に馴染んでいる。
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