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キャンプ・デーヴィッドはワシントンD.C.の北西約50マイルにある大統領専用の山荘(camp)である。6,000エーカー(約2,400ヘクタール)の敷地に建てられている。1942年以降、アメリカ大統領の休息の地であり、重要な外交交渉の場として使われてきた。ルーズベルトがウィンストン・チャーチルと会談したのもここである。
フランクリン・ルーズベルトの発案で別荘の建設が計画された。キャンプ・デーヴィッドはもともとはシャングリラと呼ばれていた。ルーズベルトの自宅はニュー・ヨークにあり、ワシントンD.C.から少し離れて休息するには不便である。また健康面の配慮から豊かな森林がある冷涼な地が別荘の建設地として選ばれた。建設当初は大きなコテージと3つの小屋しかなかったが、現在では拡張され、10以上の小屋と食事用のロッジがある。スイミング・プール、テニス・コート、バスケット・コート、ボーリング・レーン、トランポリンなどもある。
シャングリラの詳細についてほとんど知られていなかった。大部分の国民はルーズベルトの死後、その存在を知った。
アイゼンハワーは山荘がお気に入りで2週間に1度、週末をそこで過ごしていた。心疾患を発症した後は長期にわたって山荘で静養している。孫の名前にちなんでシャングリラをキャンプ・デーヴィッドと改名したのはアイゼンハワーである。
アイゼンハワーの他にもニクソン、フォード、カーター、レーガン、ジョージ・H・W・ブッシュ、ジョージ・W・ブッシュなどが山荘をよく利用していた。フォードは家族とともにプールやテニス・コートを利用した。カーターはマス釣りを楽しんだ。レーガンは乗馬や水泳、ハイキングをしていた。ジョージ・H・W・ブッシュは子供達や孫達や政府高官を山荘にしばしば招いた。ゴルバチョフ書記長やエリツィン大統領のように外国首脳を招いた例もある。ジョージ・W・ブッシュも父と同じくキャンプ・デーヴィッドにプーチン大統領、ブレア首相、小泉首相などを外国首脳を招いている。
キャンプ・デーヴィッドは単なる保養地ではない。アメリカ大統領が外国首脳と扱いに注意を要する問題を協議する場として使われてきた。
例えば1959年にアイゼンハワーはフルシチョフをキャンプ・デーヴィッドに招いて非公式会談を行ってベルリン問題を中心に米ソ間の問題を話し合った。その会談からマス・メディアは「キャンプ・デーヴィッド精神」という言葉を使うようになった。「キャンプ・デーヴィッド精神」とは、アメリカ大統領と他国の首脳が膝を突き合わせて形式的ではなく実質的な交渉を行うことを意味する。
他には1978年にカーターがエジプトのサダト大統領とイスラエルのベギン首相をキャンプ・デーヴィッドに招いて中東和平の仲介を行った例が有名である。カーターはサダト大統領とイスラエルのベギン首相の間で和平に向けた枠組みで合意に至ったことをテレビで公表した。
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