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アメリカ歴代大統領研究ポータル

大統領候補討論会
選挙資金

植民地時代から建国期の選挙資金

 選挙資金を使う慣行は植民地時代にまで遡る。若い頃、ヴァージニア植民地議会議員に立候補したジョージ・ワシントンは代理人を通じて有権者にお酒を振舞っている。そうした買収行為は植民地の法によって規制されていたが抜け道はいくらでもあった。
 ワシントンが大統領に就任して以来、約半世紀の間、選挙運動資金はそれ程、多額を要しなかった。候補者が選挙運動をしようと考えた場合、できることは集会を開き、ビラを配り、新聞に広告を掲載することぐらいであった。したがって候補者自身か、その友人や関係者が選挙運動資金を賄うことができたので資金を集める必要はなかった。
 人口が増大し、選挙権の資格要件から財産と宗教が省かれるにつれて、こうした状況は変化した。1828年、専門の選挙運動の管理者が登場し、買収などを行うことによって選挙運動に要する費用が嵩むようになった。1840年代から1850年代にかけて候補者と財界の相互関係が深まる中で候補者はより多額の選挙資金を必要とするようになり、実業家はますます政府から利権を得ようとするようになった。

高騰する選挙資金

 1896年の大統領選挙で使われた選挙資金の額は4半世紀にわたって抜かれることはなかった。共和党大統領候補のウィリアム・マッキンリーは600万ドルから700万ドルの選挙資金を集めた。それに対して民主党大統領候補のウィリアム・ブライアンは65万ドルしか集めていない。
 さらに1896年の大統領選挙で組織的な資金集めの技術が使われ始めた。共和党全国委員会議長のマーク・ハナは、共和党に対する選挙資金の寄付で実業を査定する制度を導入した。またマッキンリーの選挙運動は、近代的な広告による選挙運動の幕開けであった。新聞広告に加えて数100万枚のポスター、バッジ、広告掲示板が準備され、9ヶ国語で書かれた3億枚のビラが配られた。

ソフト・マネー

 ウォーターゲート事件後の選挙運動改革が行われた1975年以来、大統領候補は、公的助成金と個人や団体からの寄付、そして、政党の支援に選挙資金を頼ってきた。1980年代から1990年代において、大統領選挙で使用される資金の大部分は、企業、労働組合、個人などから寄せられる無制限の寄付、すなわちソフト・マネーで賄われていた。1996年の選挙期間中に民主党と共和党は総計1億7,250万ドルをソフト・マネーで集めた。フィリップ・モリスは最大の単独の寄付者であり、実に170万ドルもの寄付を行った。2000年の大統領選挙では、ジョージ・W・ブッシュは選挙資金の74パーセントを寄附で賄い、ゴアも選挙資金の65パーセントを同じく寄附で賄っている。額面にしてブッシュは1億9,100万ドルを集め、ゴアは1億3,300万ドルを集めた。
 さらに企業と労働組合は、「独立支出」と知られる方式で特定の候補を応援したり、否定したりする広告に巨額の費用を投じる。また政党自体も、候補者から独立している限り、選挙運動に支出することができる。さらに候補者は自らの資産から選挙運動資金を賄うこともある。
 2002年、超党派選挙運動改革法が成立し、投票者登録や投票率を上げることを目的にした活動を除いて、政党がソフト・マネーを集めて使用することが禁じられた。現在では「527団体」と呼ばれる組織が選挙資金の受け皿として利用されている。

大統領選挙運動基金

 近年は大統領選挙があまりに莫大な額を要するので全額、もしくは一部が大統領選挙運動基金から支出される。大統領選挙運動基金は、納税者が所得税を納付する際に3ドルを大統領選挙運動基金に納付するかどうかを決めることで集められる。
 大統領候補は、予備選挙、全国党大会、本選挙に関する費用を受け取ることができる。予備選挙については、1口250ドル以下の献金で20州以上から合計10万ドル以上を集めた者に対してそれと同額が大統領選挙運動基金から支給される。前回の選挙で一般投票の25パーセント以上を得た政党は、全国党大会に関連する費用として200万ドルが支給される。2012年の場合は、共和党と民主党のみである。25パーセント未満の得票率の政党にも比率に応じて支給されるが、得票率が5パーセント未満の政党は支給されない。