1960年の連邦議会上院の調査記録には次のように記されている。
「1810年にボルティモア・ホイッグ紙に『ホワイト・ハウス』と呼んだ例があり、おそらく同紙にエグゼクティヴ・マンションに最初の入居者が入った4年後の1804年頃にはそう呼ばれていた」
ただここで言及されている1804年の用例は未確認である。
焼損以前の「ホワイト・ハウス」の用例は他にも確認されている。1811年4月24日、イギリスの外交官であったフランシス・ジャクソンがティモシー・ピカリングに送った手紙の中で次のように書いている。
「[前イギリス公使のオーガスタス・フォスターは]同等の公使を派遣せよという合衆国の要求を満足させ、ワシントンの連邦議会議事堂とホワイト・ハウスの周囲に広がる暗雲から発せられる稲妻の政治的避雷針になるために[アメリカに]赴いた」
ちなみにジャクソンは、「White House」とわざわざ大文字で書いている。これは「White House」という表現が大統領官邸を意味する固有名詞として使われていたことを意味する。
さらに1812年3月18日、アバイジャ・ビゲロー連邦下院議員は妻ハンナに宛てて送った手紙の中で次のように書いている。
「多くの者達は、彼[ジェームズ・マディソン大統領]が[ジョン・]ヘンリーによってひどく騙されていると思っている。我々がホワイト・ハウスと呼んでいる大統領の邸宅で多くの困難があるようだ」
本文中に登場するヘンリーはいわゆるジョン・ヘンリー文書をマディソンに売り付けた男である。マディソンはそれを3月9日に議会に提出している。
「ホワイト・ハウス」の初出について様々な疑問があったのでホワイト・ハウス歴史協会に詳細を問い合わせた。ホワイト・ハウス歴史協会の回答を参考にまとめると以下のようになる。
1789年から1815年の間に発行された公文書では、主に「the President's House」、「the President's House」、「the
president's house」と呼ばれていた。1815年以前の新聞や本もそうした公文書で使われていた呼称を主に使っていた。他にも「the
President's palace」、「the presidential palace」、「the exectuive palace」、もしくは「the
palace」や「Palace」と呼ばれていた。そうした呼び方はヨーロッパから来た移民が主に使っていたようだが、アメリカ人の好みではなかったようですぐに廃れてしまった。
「ホワイト・ハウス」という呼称は誰が使い始めたのか。1801年頃から民主共和党員が使い始めたようだ。はっきりと確認できる初出は、1802年4月発行のフィラデルフィア・オーロラ紙である。1800年11月1日にジョン・アダムズ大統領が初めてホワイト・ハウスに入居してから約1年半後のことである。以下はフィラデルフィア・オーロラ紙の記事の概要である。
連邦議会議事堂から帰る途中、ジェファソンはある農夫と出会った。農夫は、自分の目の前にいる男が大統領とは気付いていなかったようで大統領官邸を指差して質問した。
「向こうにあるあの大きな白い家[white house]はなんだね」
「大統領の家と呼ばれている」
ジェファソンがそう答えると、農夫はさらにどこに住んでいるかと聞いた。ジェファソンはすました顔で言葉を続けた。
「あの大きな白い家に今、住んでいますよ」
農夫は怪訝な顔をして聞き返した。
「大統領の家になんであんたが住んでいるんだい」
そこでジェファソンは農夫を丁重にホワイト・ハウスに招待した。しかし、農夫はそれを信じようとせず、そのまま立ち去った。そして、後から自分が話し掛けた男が大統領だと知らされたという。
ただこの記事では「ホワイト・ハウス」という表現は登場するものの一般名詞だと考えられる。「ホワイト・ハウス」という固有名詞が使用されたとは考えられない。
では固有名詞として「ホワイト・ハウス」が初めて使われたのはいつか。もう少し考えてみよう。
1807年1月のフィラデルフィア・オーロラ紙には次のような記事が掲載されている。アーロン・バーの陰謀を報じた記事だ。それによれば、バーは「ジェファソンをあの白い家から叩き出して縛り首にしてやる」と外交官のウィリアム・イートンに語ったという。
バーの言い方だとはたして「ホワイト・ハウス」が一般名詞なのか固有名詞なのかまだわからない。
また1809年2月7日、ジェームズ・スローン下院議員はイギリスとの戦争の危機に備えて5万人の志願兵を募集する法案に反対する演説を行った。その際に「the white-house」と言及している。それは明らかに行政府を意味している。つまり、固有名詞として「ホワイト・ハウス」が使われた前例だと言える。
さらに1810年5月、マディソン大統領を批判する公開書簡がボルティモア・ホイッグ紙に掲載された。その中では「”the white house”」という表現が使われている。
他にも例はある。1810年7月のボルティモア・フェデラル・レパブリカン紙では、「the White-House Junto」という言葉が使われている。これは初めて大文字が使われた例である。
その後、1815年頃まで新聞は「the white house」や「the White House」という表現を使い続けていたが、それ以後、ほとんど使われなくなった。再び多用されるようになったのは少なくとも1820年代以降である。なぜ間隔が空いているのか。実は「ホワイト・ハウス」という表現を好んで使ったのは、連邦党やホイッグ党といった野党系の新聞だったからだ。1815年以後に連邦党が事実上、消滅した一方で、ホイッグ党が出現するのは1820年代以降だからである。彼らは「President's House」という普通の言い方ではなく、「White House」と敢えて言うことで与党の大統領の権威を貶めるためにそのように言ったようだ。
1840年までホワイト・ハウスは公式には「President's House」と呼ばれることが多く、1840年以降は「Exective Mansion」となった。1901年、セオドア・ルーズベルト大統領は大統領令で「the White House」を正式名称として採用した。それ以後「EXECTIVE MANSION. WASHINGTON.」と印字されていた文書は「THE WHITE HOUSE. WASHINGTON.」に変えられ、現在まで続いている。 |