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アメリカ歴代大統領研究ポータル

初めて訪日したアメリカ大統領

ホワイト・ハウスの名前の由来


ホワイト・ハウスに初めて入居したのは誰か?

 今では大統領官邸を「ホワイト・ハウス」と呼ぶのが当たり前のことになっている。ではその名前はどのように定着したのか。
 ワシントンD.C.の都市計画を作ったピエール=シャルル・ランファンは大統領官邸を「President's Palace」と呼ぶように提案したが、ジョージ・ワシントン大統領は「President's House」と呼ぶようにしていた。その一方で手紙や新聞など当時の記録を見ると、一般の人々は「Executive Mansion」と言うのが普通であった。
 ただワシントン自身はホワイト・ハウスに住むことはなかった。ワシントン政権期、首都はまだワシントンD.C.(ワシントン自身の言い方では「フェデラル・シティ」)ではなかったからだ。ワシントンが住んでいた大統領官邸は、当時、首都であったニュー・ヨークとフィラデルフィアにあった建物であり、当然ながら今のホワイト・ハウスとはまったく別の建物である。
 初めてホワイト・ハウスに住んだ大統領はジョン・アダムズ大統領である。1800年11月1日に入居している。その時の様子をアダムズ夫人は11月21日に娘に宛てた手紙の中で以下のように書いている。

「私はここに先週の日曜日[11月11日]に着きました。道に迷った以外はお知らせするような出来事には遭いませんでした。ボルティモアを出発し、フレデリック郡の道を8マイルから9マイル進みました。そうしてさらに森の合間を8マイル進んだところで、案内してくれる人も道も見つからず2時間迷いました。[中略]。家は住めるようにはなっていましたが、工事が終わっている部屋は1部屋もありません。[中略]。垣根も庭もありませんし、その他諸々もまったくありません。大きな未完成の客間を、洗濯物を吊るして乾かす部屋にしています」

 結局、1800年大統領選挙で敗北したために、記念すべきホワイト・ハウス初の住人であるアダムズ夫妻は約3ヶ月しか住むことができなかった。アダムズ夫妻の次にホワイト・ハウスはトマス・ジェファソン大統領を住人として迎えた。その頃のワシントンD.C.はまだ閑散としていた。土地はまるで湿地のようで、家畜が舗装されていない街路を歩き回っていたという。建物の数も僅かに40軒ほどであった。
 ジェファソンは大統領官邸が「2人の皇帝、1人の法王、そしてダライ・ラマを入れるのに十分なほど大きい巨大な石造家屋」だと述べている。ジェファソンの発案でホワイト・ハウスの庭には芝生を敷かれ、植樹が行われた。さらに建築家ベンジャミン・ラトローブの監督の下、正面にポーチが増築され、一階の間取りが変更された。

焼け落ちたホワイト・ハウス

 ジェファソンの後継者であるジェームズ・マディソン大統領の時代に1812年戦争が起きた。1814年8月24日、イギリス軍がワシントンを襲撃して火を放っている。その時、ホワイト・ハウスも焼け落ちている。

焼け落ちたホワイト・ハウス(北東から見た図)
焼け落ちたホワイト・ハウス
 巷間では焼け跡を隠すために白く塗ったので、その結果、「ホワイト・ハウス」と呼ばれるようになったという俗説がある。そうした俗説はホワイト・ハウス歴史協会によって明確に否定されている。
 ホワイト・ハウスは焼損以前から「ホワイト・ハウス」と呼ばれていた。これまでに確認された記録に残っている中では、1810年11月22日の『ボルティモア・ホイッグ紙』で大統領官邸を「ホワイト・ハウス」と言及した例が最も古い。もし1812年戦争の兵火による焼損で白く塗り直したから「ホワイト・ハウス」と呼ばれるようになったのであれば辻褄が合わない。

「ホワイト・ハウス」の初出について

 1960年の連邦議会上院の調査記録には次のように記されている。

「1810年にボルティモア・ホイッグ紙に『ホワイト・ハウス』と呼んだ例があり、おそらく同紙にエグゼクティヴ・マンションに最初の入居者が入った4年後の1804年頃にはそう呼ばれていた」

 ただここで言及されている1804年の用例は未確認である。
 焼損以前の「ホワイト・ハウス」の用例は他にも確認されている。1811年4月24日、イギリスの外交官であったフランシス・ジャクソンがティモシー・ピカリングに送った手紙の中で次のように書いている。

「[前イギリス公使のオーガスタス・フォスターは]同等の公使を派遣せよという合衆国の要求を満足させ、ワシントンの連邦議会議事堂とホワイト・ハウスの周囲に広がる暗雲から発せられる稲妻の政治的避雷針になるために[アメリカに]赴いた」
 
 ちなみにジャクソンは、「White House」とわざわざ大文字で書いている。これは「White House」という表現が大統領官邸を意味する固有名詞として使われていたことを意味する。
 さらに1812年3月18日、アバイジャ・ビゲロー連邦下院議員は妻ハンナに宛てて送った手紙の中で次のように書いている。

「多くの者達は、彼[ジェームズ・マディソン大統領]が[ジョン・]ヘンリーによってひどく騙されていると思っている。我々がホワイト・ハウスと呼んでいる大統領の邸宅で多くの困難があるようだ」

 本文中に登場するヘンリーはいわゆるジョン・ヘンリー文書をマディソンに売り付けた男である。マディソンはそれを3月9日に議会に提出している。

ホワイト・ハウス歴史協会の見解

 「ホワイト・ハウス」の初出について様々な疑問があったのでホワイト・ハウス歴史協会に詳細を問い合わせた。ホワイト・ハウス歴史協会の回答を参考にまとめると以下のようになる。

 1789年から1815年の間に発行された公文書では、主に「the President's House」、「the President's House」、「the president's house」と呼ばれていた。1815年以前の新聞や本もそうした公文書で使われていた呼称を主に使っていた。他にも「the President's palace」、「the presidential palace」、「the exectuive palace」、もしくは「the palace」や「Palace」と呼ばれていた。そうした呼び方はヨーロッパから来た移民が主に使っていたようだが、アメリカ人の好みではなかったようですぐに廃れてしまった。
 「ホワイト・ハウス」という呼称は誰が使い始めたのか。1801年頃から民主共和党員が使い始めたようだ。はっきりと確認できる初出は、1802年4月発行のフィラデルフィア・オーロラ紙である。1800年11月1日にジョン・アダムズ大統領が初めてホワイト・ハウスに入居してから約1年半後のことである。以下はフィラデルフィア・オーロラ紙の記事の概要である。

 連邦議会議事堂から帰る途中、ジェファソンはある農夫と出会った。農夫は、自分の目の前にいる男が大統領とは気付いていなかったようで大統領官邸を指差して質問した。
「向こうにあるあの大きな白い家[white house]はなんだね」
「大統領の家と呼ばれている」
 ジェファソンがそう答えると、農夫はさらにどこに住んでいるかと聞いた。ジェファソンはすました顔で言葉を続けた。
「あの大きな白い家に今、住んでいますよ」
 農夫は怪訝な顔をして聞き返した。
「大統領の家になんであんたが住んでいるんだい」
 そこでジェファソンは農夫を丁重にホワイト・ハウスに招待した。しかし、農夫はそれを信じようとせず、そのまま立ち去った。そして、後から自分が話し掛けた男が大統領だと知らされたという。

 ただこの記事では「ホワイト・ハウス」という表現は登場するものの一般名詞だと考えられる。「ホワイト・ハウス」という固有名詞が使用されたとは考えられない。
 では固有名詞として「ホワイト・ハウス」が初めて使われたのはいつか。もう少し考えてみよう。
 1807年1月のフィラデルフィア・オーロラ紙には次のような記事が掲載されている。アーロン・バーの陰謀を報じた記事だ。それによれば、バーは「ジェファソンをあの白い家から叩き出して縛り首にしてやる」と外交官のウィリアム・イートンに語ったという。
 バーの言い方だとはたして「ホワイト・ハウス」が一般名詞なのか固有名詞なのかまだわからない。
 また1809年2月7日、ジェームズ・スローン下院議員はイギリスとの戦争の危機に備えて5万人の志願兵を募集する法案に反対する演説を行った。その際に「the white-house」と言及している。それは明らかに行政府を意味している。つまり、固有名詞として「ホワイト・ハウス」が使われた前例だと言える。
 さらに1810年5月、マディソン大統領を批判する公開書簡がボルティモア・ホイッグ紙に掲載された。その中では「”the white house”」という表現が使われている。
 他にも例はある。1810年7月のボルティモア・フェデラル・レパブリカン紙では、「the White-House Junto」という言葉が使われている。これは初めて大文字が使われた例である。
 その後、1815年頃まで新聞は「the white house」や「the White House」という表現を使い続けていたが、それ以後、ほとんど使われなくなった。再び多用されるようになったのは少なくとも1820年代以降である。なぜ間隔が空いているのか。実は「ホワイト・ハウス」という表現を好んで使ったのは、連邦党やホイッグ党といった野党系の新聞だったからだ。1815年以後に連邦党が事実上、消滅した一方で、ホイッグ党が出現するのは1820年代以降だからである。彼らは「President's House」という普通の言い方ではなく、「White House」と敢えて言うことで与党の大統領の権威を貶めるためにそのように言ったようだ。
 1840年までホワイト・ハウスは公式には「President's House」と呼ばれることが多く、1840年以降は「Exective Mansion」となった。1901年、セオドア・ルーズベルト大統領は大統領令で「the White House」を正式名称として採用した。それ以後「EXECTIVE MANSION. WASHINGTON.」と印字されていた文書は「THE WHITE HOUSE. WASHINGTON.」に変えられ、現在まで続いている。

創建当初から白かったホワイト・ハウス

 実はホワイト・ハウスは創建当初からもともと白かった。先程登場した建築家のベンジャミン・ラトローブが1807年に大統領官邸を描いている。

ベンジャミン・ラトローブが描いた大統領官邸(1807年)
1807年当時のホワイト・ハウス
 この図は東から建物を見て描かれている。建物の北側で馬車を乗降するようになっている。まだほとんど増築されていないので現代の姿とはかなり違う。この当時、周囲にあった多くの建物は煉瓦造りや木造であったので白い外観は非常に目立った。ホワイト・ハウスの建築を監督したジェームズ・ホーバンは、「建物の壁を塗った」と記している。白く塗ったとははっきり書かれていないが、使われた石材の性質からすれば、もし何も塗っていなければグレイ・ハウスとでも呼ばれることになっただろう。では何を塗っていたのか。

ホワイト・ハウスを3Dで再現した映像

北側から見た現在のホワイト・ハウス
ホワイト・ハウス北正面
 大統領官邸は砂岩で建造されたが、一つ問題がある。砂岩は寒さに弱い。冬に水分が亀裂に入り込んで凍結すると体積が膨張する。その結果、亀裂が大きくなって脆くなるという欠陥がある。そこで凍結防止用に石灰を含んだ水漆喰を砂岩の表面に塗布したせいで白くなった。そうして「ホワイト・ハウス」は完成した。
 だから『ボルティモア・ホイッグ紙』は大統領官邸を「ホワイト・ハウス」と1810年に書いたのだ。ただ「ホワイト・ハウス」という言葉が広く流通するようになったのはマディソン政権末期、つまり、1812年戦争終結後からである。その結果、1812年戦争で焼損して塗り直したからホワイト・ハウスという名前になったという説が定着した。
 「ホワイト・ハウス」という名称はあくまで人々がそう呼び慣わしているだけで正式名称ではなかった。20世紀に入ってセオドア・ルーズベルト大統領が初めて「ホワイト・ハウス」を正式名称として採用した。それ以後、ホワイト・ハウスは誰もが親しむ名称となっている。今後もホワイト・ハウスは大統領の権威の象徴としてあり続け、それが変わることはないだろう。