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アメリカ歴代大統領研究ポータル

ユリシーズ・グラント大統領
第17代アメリカ大統領
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アンドリュー・ジョンソン

アンドリュー・ジョンソン
説得力 22.9 41位
危機対応力 24.9 40位
経済管理力 33.9 37位
カリスマ 21.1 40位
外交力 40.2 36位
行政手腕 27.0 41位
議会連携力 14.8 42位
決断力 23.0 41位
公正性 24.3 40位
ヴィジョン 25.4 41位
C-SPANのランキングに拠って作成
アンドリュー・ジョンソン大統領の能力値

アンドリュー・ジョンソン大統領の概要

Andrew Johnson

Tailor of Tennessee

 民主党
 Democratic

 在任期間
 1865年4月15日〜1869年3月4日
 生没年日
 1808年12月29日〜1875年7月31日
 身長・体重
 177.8cm/不明

貧しい家庭の生まれ

 アンドリュー・ジョンソンはノース・カロライナ州ローレーで生まれた。父ジェイコブ(1778.4-1812.1.4)と母メアリ(1783.7.17-1856.2.13)の3人の子供の末子であった。父ジェイコブは労働者であったがジョンソンが3才の時に亡くなり、母メアリは裁縫を生業にしていた。ジョンソンはまったく学校教育を受けることなく仕立て屋に徒弟奉公に出た。

テネシーの仕立て屋

 徒弟奉公をやめた後、ジョンソンはテネシーのグリーンヴィルに移住し、自分の仕立て屋を開いた。グリーンヴィルの住民によって市会議員に選ばれたことが政治への入り口となった。その後、州下院議員、州上院議員を務め、さらには連邦上院議員に選ばれた。テネシー州が南部諸州とともに連邦から脱退した時、一人上院に残って連邦を支持した。1864年の大統領選挙で副大統領候補に選ばれ当選した。副大統領に就任直後、エイブラハム・リンカーン大統領が暗殺されたために昇格して大統領になった。

大統領弾劾

 ジョンソンは共和党急進派が推進する厳しい南部再建計画に対して拒否権を行使した。しかし、急進派は拒否権を乗り越えてその計画を再可決した。ジョンソンと対立していた急進派は、閣僚の任免に関する問題で大統領を弾劾した。上院での審判の結果、僅か1票差で弾劾成立を免れた。退任後、連邦上院議員に選ばれたが任期の半ばで亡くなった。

アンドリュー・ジョンソン大統領の参考情報