シーザー・ロドニー司法長官 |
シーザー・ロドニーの経歴については、ジェファソン政権のシーザー・ロドニー司法長官を参照せよ。1811年12月、空席になった最高裁判事職に指名されなかったことに不満を感じてロドニーは司法長官を退任した。
1812年の戦争では兵役を志願し、少佐に任じられるが実戦に参加することはなかった。戦争中、州上院議員に選出された。モンロー政権下では外交官として南アメリカに赴いた。1820年、ロドニーは再び連邦下院議員に選出された。ロドニーはミズーリ妥協と奴隷制の拡大に反対した。1822年にロドニーは連邦上院議員選出にともない下院議員を辞任した。しかし、翌年、初代駐ブエノス・アイレス公使の職を引き受け、乗員議員からも退いた。ブエノス・アイレスに着任したロドニーはほどなくして病に倒れ、在任のまま亡くなった。ブエノス・アイレス政府は、ロドニーを最初に受け入れた外国公使として手厚く葬った。 |
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