ケネディの時代―ミサイル危機と緊張緩和 |
運命の十三日間―キューバ危機の概要 ケネディ大統領がU-2による偵察写真の分析結果を知った1962年10月16日から危機終結の10月28日までを追う。キューバ危機の概要。ソ連がキューバに核ミサイルを秘密裏に持ち込みアメリカ全土をミサイルの射程範囲におさめ軍事的優位を得ようとしたという事件。アメリカはいかにその危機に対処したのか? 10月16日以前 アメリカはキューバにカストロによる共産主義政権(実質はもともと共産色は薄かったがカストロがアメリカと対立することにより共産化)が樹立されたのに危機感を感じ、1961年4月に前政府の亡命キューバ人を支援する名目でキューバ侵攻作戦を行ったが失敗した。いわゆるビッグス湾事件である。キューバはアメリカによる侵攻に脅威を感じ、ソ連とキューバ保護を交換条件にミサイル受け入れを密約した。 アメリカは、10月16日以前よりキューバにおけるソ連のミサイル配備の動きに関して、輸送関係者、避難民、キューバ国内のスパイ、そしてU-2の偵察写真の四つの情報源から情報を得ていた。10月16日になって初めてミサイルに関する情報を入手したわけではない。 9月29日にミサイル配備による確証を得るためにU-2偵察機による偵察がCIAの指示によりキューバ中部と西部に対して行われた。ミサイルは発見されるべくして発見されたのである。 10月10日に、キーティング上院議員は、キューバからの亡命者の証言に基づいて、に「少なくとも半ダースの中距離戦略ミサイル発射基地の建設が始められている」と公言している。ケネディ政権は、ある程度の情報を把握しながらも、この段階では、これを否定している。 10月16日にアメリカ写真解析センター所長のランデールが、U-2の偵察写真の分析結果に基づいて、「中距離弾道ミサイル発射基地と二つの新たな野営陣地」がキューバ中央西部に建設されていることをケネディに伝えた。この時初めて、ケネディ大統領は、キューバにおけるソ連のミサイル配備の明白な証拠を突きつけられたのである。 エクスコム(国家安全保障会議最高執行会議)での分析―フルシチョフの意図は? それに引き続くエクスコムの席上では、フルシチョフ書記長がどのような意図でキューバにミサイル配備を進めているのかが議論された。その場では、主に五つの推測がなされた。 資料T 第一は、キューバでのミサイル配備は、フルシチョフがサミットや国連での話し合いの場で有利な立場を確保するための示威行為であり、その撤去を、アメリカがトルコに配備しているジュピター・ミサイル撤去の交換条件としようとしているのではないかという推測である。第二は、キューバをアメリカに攻撃させ、国際世論を反米一色にし、その間隙をぬってベルリン問題をソ連に有利になるように仕向けようとしているのではないかという推測である。第三は、単に共産主義国であるキューバを防衛しようとしているのではないかという推測である。第四は、アメリカが無策であることを露呈させ、同盟国のアメリカに対する信頼を揺るがせようとしているのではないかという推測である。最後に第五は、ミサイル戦力格差を一気に挽回しようとしているのではないかという推測である。 ケネディは、フルシチョフの意図を、主にベルリン問題との関連で考えていた。ケネディは、キューバにソ連のミサイルが配備されたとしても、確かに危機は増大するものの、従来の潜水艦、爆撃機、大陸間弾道弾の進歩を考えると全く新たなる危機が生じたとは必ずしも言えないと考えていた。それでも敢えてソ連がキューバにミサイルを配備しようとするのは、キューバのミサイルをベルリン問題での交渉のカードに使おうとしているのだとケネディは推断していた。 アメリカはいかに対応すべきか? こうした推測を下にアメリカが取るべき対応策が練られた。考えられる選択肢は六つあった。 資料U 第一はミサイル配備の事実を黙殺し、何もしない。第二は、国連、米州機構を通じて外交的圧力をかける。第三は、カストロ議長と秘密交渉を行いソ連との訣別を迫る。第四は、キューバに侵攻する。特にフルブライト上院議員がこの案を強硬に主張した。第五は、外科的な空爆である。つまり、ミサイル基地のみを除去するために通常爆撃を行う。テイラー軍部代表とバンディ国家安全保障問題担当大統領特別補佐官がこの案を支持した。そして最後に第六は、封鎖である。 資料V 単に封鎖といってもそれをどう扱うかで意見が三つに分かれた。先ず、ロバート・ケネディ司法長官とディロン財務長官、そしてマコーンCIA長官は、封鎖を開始し、それをソ連に対する最後通牒として突きつけることを主張した。 次にラスク国務長官は、封鎖をとりあえずミサイル配備を遅らせるために使うことを主張した。 さらに、マクナマラ国防長官とスティーヴンソン国連代表、そして、ソレンセン大統領特別顧問は、封鎖を開始した後で、それを交渉のカードに使うことを提案した。 ケネディはどう考えたのか? どの選択肢を採るか決断する際に、ケネディが危惧していたのは、もしアメリカがキューバに侵攻すればソ連の報復をまねき、その結果、ベルリンを失う事態に陥ることであった。西側同盟諸国にとって象徴的な重要性があるベルリンを失うことは、アメリカにとっても大きな痛手となることであった。しかし、国内外での政治的威信を保とうとするのであれば、ソ連の行動に対して手を拱いているのも不可能なことであった。 また、もう一つの重要な論点は、アメリカの道義的なリーダーシップについてであった。アメリカが、世界で道義的なリーダーシップをとろうとするなら、キューバのような小国を奇襲攻撃することは道義に悖ることであった。アメリカは危機に対処するにおいて正当性を確保しなければならなかった。共産主義との戦いでは、軍事力のみならず道義的なリーダーシップが必要だったのである。 P hour―世界への公表 10月22日正午に、ホワイト・ハウス報道官のサリンジャーが、同日午後7時に大統領によって重要な演説が行われると発表し、ラジオ局やテレビ局にそのための時間を空けるように求めた。おそらく国民は、何が発表されるか分からなかったはずである。なぜならマスメディアはこの危機についてワシントン・ポストとイギリスのイヴニング・スタンダードを除いて、全く何も報じていず、大統領の演説以前に国民が危機を知る機会はほとんど無かったからである。ワシントン・ポストは、10月22日朝、大統領が重大な演説を行うこととアメリカが深刻な危機に直面していることを報じた。一方、イヴニング・スタンダードは、キューバにソ連の戦略ミサイルがあることを報じていた。 10月20日深夜にニューヨーク・タイムズのワシントン局長レストンは、ボール国務次官とバンディ特別補佐官の自宅に電話し、何が進行中であるのか概要を聞き取っている。しかし、翌21日に大統領は、ニューヨーク・タイムズ社長のドライフーズに直接電話し、記事の差し止めを依頼した。 大統領が演説を行う時刻は、P時(P hour)と呼ばれた。P時を中心に取るべき行動が決定された。それらは、封鎖の準備、自国籍船舶の保護、同盟国への通知、グアンタナモ基地強化を完了させること、議会指導者からの支持を求めること、国連に安全保障理事会開催を求めることなどである。こうした一連のアメリカ政府の行動は、P時間を中心に組み立てられている。それだけに10月22日午後7時の演説は、アメリカ政府にとって決定的な瞬間だったのである。 演説の内容 資料W 「過去一週間以内に、あの囚われの島で現在、一連の攻撃用ミサイル基地が準備されつつあるという事実が、紛う方ない証拠によって証明された。これらの基地(建設)の目的は、西半球に対する核攻撃能力を備えようとする以外のなにものでもない」 以上は、演説の冒頭部分である。多くのアメリカ国民にとってこの話は青天の霹靂であったに違いない。ここでは「核」について言及されているが、アメリカ政府はどの程度、核配備の状況を知っていたのだろうか。実は、この段階でミサイルに核弾頭が実装されているという直接的な証拠をアメリカ政府は掴んでいなかった。ミサイル配備の全貌は、1988年になって初めて明らかになっている。後のソ連側の証言によると、核弾頭は既にキューバに持ち込まれており、現地の判断でミサイル発射台付近に移動させられていた。つまり、ケネディの危機の定義は、推断に基づくものであったが、間違ってはいなかったのである。 ケネディは次いでミサイル基地の特徴を述べている。準中距離弾道弾がワシントンからメキシコ、中米の範囲に到達することを説明し、さらに中距離弾道弾がカナダからペルーに至る「西半球のほとんどの主要都市を攻撃できる能力を持っている」ことを伝えた。カナダやペルーといった具体的な名前が挙げられているのは、西半球の団結を強化するためである。 ミサイルと基地の具体的な数はあまり明らかにされていないが、第三稿の時点で、マクナマラ国防長官が具体的な数に関する情報を削除するように求めたからである。それは、多くの情報を明かして聴衆を納得させるのもよいが、手の内を明かしてしまいすぎるのも問題があると考えられたからである。 また、「攻撃できる能力」という表現には細心の注意が払われている。草稿では「壊滅」という表現が使われている。恐慌状態を引き起こすことを避けるために「攻撃できる能力」という表現に置き換えられたのである。同様に恐慌状態を引き起こすことを避けるために、ミサイルのメガトン数を広島と比較して述べた部分が削除されている。さらに当初は、テレビ演説の席上で、大統領が最新の引き伸ばした偵察写真を見せることが検討されていたが、これも恐慌状態を引き起こすことを避けるために取り止めとなった。ミサイルが「攻撃できる能力」を持っていることを示した後、ケネディは、ソ連の行動の違法性を次のように主張した。 資料X 「これらの大型で、射程が長距離で、そして不意の大量破壊可能性を有す、明らかに攻撃用の兵器が設置されたことによって、キューバが急激に重要な戦略基地へと変貌しつつあることは、平和と全米州の安全に対する明白な脅威となるものであり、それは1947年のリオ条約、我が国と西半球の伝統、第87議会における共同決議、国連憲章、そして私自身のソ連に対する9月4日、13日の公的な警告を、甚だしく、かつ故意に無視するものである」 殊更に「全米州」という表現を使い、「リオ条約」の名前を挙げたのは、米州機構に封鎖支持を訴えかけるためである。米州機構の支持が必要であったのは、国際法上、封鎖は戦争時であれば違法行為ではないが、平和時では海上航行自由の原則を侵害することになり、それは明らかに違法であったからである。アメリカは、米州機構の支持を得ることで平和時でも封鎖の正当性を得ようとしたのである。さらに米州機構の支持を得ることにはもう一つ利点があった。ミサイルの存在が早くから分かっていたのであれば、何故もっと早く手を打たなかったのかという批判にさらされた場合、米州機構の支持を確実に取り付けるために、各国を十分納得させるに足る証拠を集めるにはかなりの時間が必要であったと言い訳できるという利点である。 引き続いてケネディは、アメリカの正当性を際立たせるために、ソ連の言葉が偽りであることを、ソ連政府声明やグロムイコ外相の発言を引用しながら例証した。興味深い点は、グロムイコ外相を名指しで非難しているのにも拘らず、フルシチョフを名指しで非難していないという点である。ケネディは、キューバでの事態の責任をフルシチョフに直接負わせるべきだと考えていたが、トンプソン無任所大使の「フルシチョフを名指しで非難することは、フルシチョフがキューバでの行動を撤回するのを困難にする」という進言にしたがってフルシチョフを名指しで非難しないようにしたのである。 ソ連への非難の焦点 ソ連の言葉が偽りであることを例証するにあたって、焦点となったのは、ソ連が国外にミサイル発射基地を求めないという約束を反故にしたという非難である。ソ連が約束を反故にしたことを非難する一方で、アメリカは、トルコとイタリアに配備していたジュピター・ミサイルに対して非難の矛先が向けられることを恐れていた。ケネディは、演説の中で、「(アメリカの)戦略核ミサイルが、秘密と虚偽のうちに他国の領土に移されたことは決してなかった」と表明しているが、ジュピター・ミサイルについては一切触れていない。 安易にソ連のキューバにおけるミサイル配備を非難することは、アメリカ自身の首を絞めることにもなりかねなかったのである。アメリカ自身の首を絞めることなく、ソ連のミサイル配備を非難するために、それが「秘密裡に迅速に、また異常な状態で」行われたことを非難し、アメリカのジュピター・ミサイルについては敢えて言及しないという戦略が採られたのである。その戦略に基づけば、ソ連の言葉が偽りであることを逐一例証する手法は非常に有効な作戦であった。 ケネディは、ソ連と同じくアメリカも海外にミサイル配備をしているのではないかという批判に対して準備をしておくべきだと述べている。そして、もし問われれば、トルコとイタリアに配備されているジュピター・ミサイルを撤収してもよいと伝えるべきだというのがケネディの基本姿勢であった。むろんこれはミサイル撤収を交渉のカードとして利用するためである。ただジュピター・ミサイルを撤収することは、西側諸国に、アメリカが自国の利益のために西側諸国の安全を犠牲にするという不信感を与えてしまう恐れがあった。 七つの方針 以上のように演説を展開したうえでケネディは、七つの具体的な方針を提示した。 資料Y 「第一に、隔離を実施することである。第二に、キューバにおける軍事力増強に対して厳重な監視を続けることである。第三に、もし西半球の国に核攻撃が仕掛けられたら、それをアメリカへの攻撃と見なし、ソ連に報復することである。第四に、アメリカの軍隊に警戒態勢に入ることを指示することである。第五に、米州機構に協議を求めることである。第六に、国連安全保障理事会の召集を求めることである。そして第七に、フルシチョフにミサイル撤去を求めることである」 特に第一の方針ついては慎重に言葉が選ばれている。先ず問題となったのが、「封鎖(Blockade)」と「隔離(Quarantine)」のどちらの言葉を使うかである。ソレンセンが作成した演説草稿は「封鎖命令(Blockade Route)」と呼ばれていたが、ラスク国務長官は、政治的な理由から「隔離」という言葉を使うべきだと述べている。なぜなら「封鎖」という言葉は、ベルリン封鎖を想起させ、あまり好ましいものではないからである。ケネディも、「隔離」のほうが戦闘的ではなく、平和的な自己保存行動」に向いていると判断し、ラスクの意見に同意している。最終的には、「隔離(Quarantine)」が択ばれている。 キューバ国民に対する呼びかけ 演説の最後の部分は以下のようにキューバ国民に対して行われている。 資料Z 「友人として、祖国に諸君が深い愛着を寄せているのを知る者として、すべての人々への自由と正義を共に希求する者として、あなたがたにお話しする。私もアメリカ国民も、あなたがたの民族革命がどのように裏切られ、どのようにあなたがたの祖国が外国の支配下に落ちたか、深い悲しみをもって見守ってきた。今やあなたがたの指導者たちは、もはやキューバの理想を抱いた指導者ではない。彼らは、米州におけるあなたがたの友人と隣人にキューバを敵対させ、キューバを中南米で核戦争の標的となる最初の国に、中南米でその国土に核兵器を置く最初の国にしてしまった国際的陰謀の傀儡であり、その手先である」 このキューバ国民に訴えかけた部分には、ケネディが国務省のスタッフとして任命した者の中の一人であるプエルトリコ出身のキャリオン国務次官補代理(が主に手を加えている。それは、キャリオンが、この部分をスペイン語に訳した時のニュアンスを正確に理解していたからである。またこの部分では、カストロ打倒が、真の目的であるとほのめかすような言葉は全て削除されている。カストロ打倒は最優先されるべき問題ではなく副次的な問題であったし、カストロとの秘密交渉の可能性も全くなくなったわけではなかった。 演説全体の意図 10月22日の演説全体を見通して一つ見落としてはならない点は、ミサイル撤去を求めている箇所はあるものの、キューバ危機を解決するためのサミット開催の呼びかけはなされていないという点である。実は、ソレンセンの演説草稿にはサミット開催の呼びかけが含まれていた。しかし、ソレンセンの第三稿が検討された際に、サミット開催の呼びかけは削除されたのである。ケネディは、フルシチョフがキューバでの行動により、世界的に何を得ようと考えているか明らかにならない限りサミットを開くべきではないと考えていたのである。それに加えて、10月22日の演説の本質的な目的はあくまで、封鎖を公表することにより、「ソ連にちょっと立ち止まって考える時間を与え」、さらにソ連を理不尽な侵略者とすることでアメリカの行動の正当性を確立することにあったのである。 演説に対する反響 この10月22日の演説に対する反応は、共産主義諸国と自由主義諸国で大きく分かれた。フルシチョフは、「海上封鎖は海賊行為であり、堕落した帝国主義の愚行である」とアメリカの行動を糾弾し、イズヴェスティヤもアメリカが「キューバからの脅威という幻想」にとりつかれているという非難を掲載した。中国は、アメリカの深刻な好戦的行為に対して大きな憤りをおぼえるという声明を発表し、ソ連に対する全面支持を公表した。続いて東欧の衛星国も、封鎖をアメリカのキューバへの直接介入であると不信感を表明し、中国と同じくソ連への支持を表明した。 一方、自由諸国では、一部の例外を除き、概ねアメリカに支持が集まった。西ドイツ政府は、ケネディの演説を「断固たる行動」であると支持、イギリス政府も同じく支持を公表、その他、オーストラリア、ポルトガル、ルクセンブルグ、アイルランド、シリア、イラン、インド、タイ、コンゴ、スーダン、ジャマイカ、パナマなどがアメリカ支持を表明した。さらにアルジェリア、グアテマラ、ペルー、コスタリカ、ドミニカ、ホンジュラスといったラテン・アメリカ諸国からは、封鎖に関する軍事的援助の申し出がなされた。アメリカ国内でも、議会はケネディを全面的に支持し、反民主党的色が強いシカゴ・トリビューンさえも「私は、大統領の措置が正しい方向に向かう一歩だと思う」といった通行人の意見を掲載し支持を表明した。 このようにケネディは、10月22日の演説によって国内のみならず、多くの自由主義諸国やラテン・アメリカ諸国の支持を集めることができた。ただこの演説は、先述したとおり、本質的に「ソ連にちょっと立ち止まって考える時間を与え」るもので、危機の根本的な解決を目指したものではなかった。またアメリカもキューバに大規模な侵攻を仕掛けようとすればそれだけの準備をする時間が必要であった。最終的には、一万二千人の海兵隊が配備され、さらに核武装のB-52がスタンバイし、潜水艦からポラリス型ミサイルを発射する準備が整えられ、ICBM(大陸間弾道弾)156基がいつでも発射できるように整えられた。 キューバ危機の終結―緊張緩和 フルシチョフはソ連船に封鎖線まで近付くように指示した。そしてもしソ連船が妨害されたらアメリカ船を沈めると警告した。アメリカはそれに対し封鎖を行い、断乎として一船たりとも封鎖線を越えさせまいと臨戦態勢に入った。10月24日に封鎖態勢は整い、最初のソ連船が近付いてきた。世界が息を呑んでその瞬間を見守った。ソ連船は停船要求に応じるか、または進路を変えた。一先ず危機は回避されたのである。この封鎖によって時間稼ぎがなされその背後で危機回避の話し合いがなされたのである。ソ連はキューバに侵攻しないこととトルコにあるミサイルを撤去することを求めた。さらに27日アメリカのU-2機がソ連に撃墜された。これで危機は回避不能になると思われた。しかし、フルシチョフがミサイル撤去を確約するメッセージを送ってくることで危機は終わりを迎えた。アメリカはフルシチョフから二種類のメッセージを受取っていた。一方は、解決の兆しがみられる内容を含み、もう一方は挑戦的な内容を含んでいた。アメリカは、後者をソ連政権内部の強硬派によるものだと感じ、それには返事を与えず、前者にだけ回答した。 結局、キューバ危機が終結したのは、よく知られているように10月28日である。ソ連船籍の船がキューバに近付いたものの、10月28日にソ連が、キューバに配備したミサイルを解体し、撤去することを確約したことをもって危機の終結とされている。ソ連はおそらくアメリカの軍事力に勝てないと判断したのか?終結までの経緯は、未だに全貌が明らかになっているとは言えないが、ケネディが封鎖で時間を稼ぎ、ソ連の反応をうかがい、フルシチョフとの交渉を卓越した手腕で成功させることで危機を回避したというのが従来の評価であった。しかし、最近の研究では、実はフルシチョフが率先して危機終結に動いたという分析結果も示されている。またケネディが教会に行ったことを聞いたフルシチョフはケネディが全面戦争をする気になったのだと誤解し急に和解的になったのだとも言われている。 キューバ危機の結果により、核戦争を回避した共通の経験により米ソ間ではお互いに核戦争を回避しようと歩み寄りがなされた。ケネディの友好の呼びかけに対してソ連も応じ、両国首脳間にホット・ラインと呼ばれる直通回線が敷設された。核実験停止の交渉も進展した。しかし、こうした動きの一方でベトナム戦争が世界の檜舞台にあがるようになる。 |
質疑応答・感想 |
Q、アメリカは何故目立ちたがり屋さんのように思える。この点について先生はどう思うか? A、目立ちたがることはすなわちソフトパワーの獲得を目指しているのだと思います。 Q、道義的リーダーシップとは具体的にどういうものなのかよければ教えて下さい。 A、アメリカが共産主義勢力と対抗する際に正当性を主張することができるようにしなければならないという考え方です。 Q、Kennedy Tapesは図書館にありますか? A,今度、ご自分で探してみて下さい。書架を巡るのも勉強です。 Q、ソ連がキューバからミサイルを撤去する代わりにアメリカもトルコからミサイルを撤去するという密約があったと本で読んだことがありますが、それは本当ですか・ A、本当です。秘密にしたのは、アメリカにとって利益があるからです。トルコのミサイルは、西側諸国にとってソ連の勢力拡大を抑えることができると期待されていました。それを撤去することはアメリカの西側諸国に対する背信行為とみなされかねなかったので秘密にすることが重要でした。 Q、大統領はこう考えていたとかって専門家のあくまで推論なのですか? A、当時の議事録やテープなど大統領自身の言葉によるものです。 Q、ソ連の撤退理由は、戦略核の圧倒的な違いとする従来の考え方とソ連のアメリカの動機の非対称性とソ連の焦りとする心理的抑圧論の考え方があるのだと知りましたが、先生はどう思われますか? A、どれの要因もそれぞれ複雑に絡み合っていると私は思います。 Q、今、アメリカで最も信頼される新聞って何ですか? A、クリスチャン・サイエンス・モニター紙だと思います。もともと宗教系ですがそれ以外の分析は信頼性が高いです。 Q,国際関係や政治に関する本などで先生おすすめのものがあれば是非紹介して欲しい。 A,アメリカに関しては、初学者でも読みやすいものに『概説アメリカ外交史』(有斐閣選書)、中級者向けに『ザ・フェデラリスト』(岩波文庫)、政治の本質を考えるのであれば中国の古代の政治に関して『戦国策』(徳間書店)、イギリスのミルの『自由論』(最近新訳が出ました)などが面白いでしょう。 Q、大統領の演説の中で、フルシチョフに逃げ道を作った理由をもう一度教えて下さい。 A、フルシチョフの面子をつぶさずに解決するゆとりを与えるためです。フルシチョフも独断で物事を決めていたのではなく政権内の強硬派に対して配慮する必要がありました。 Q、P hourのPはPresidentのPですか? A、確かpresentationのpだったと思います。 Q, 何故アメリカはソ連を一度は裏切ったキューバを拒んだんですか? A、カストロ体制を反米的だと危険視していたからです。これには様々な経緯があります。 Q、キューバに配備されたミサイルに核が備わっていることが分かるまで、どうしてそんな長い時間がかかったのですか? A、ミサイル配備の状況が正確に分からなかったのは主にそれを裏付ける証言が1988年になるまで得られなかったからです。 Q、ケネディが危機を招いたという批判的な意見も聞いたことがあります。先生はどう思われますか? A、ケネディが国内で支持を集めるために危機を利用したという見解もありますが、それは行き過ぎのように思えます。 Q、キューバはソ連がミサイルを持ってくる前からある程度のミサイルを持っていたのか? A,詳しくは分かりませんが、ほぼ皆無に等しかったと思います。ソ連の技術者や関係者がミサイル基地建設に二万人ほど従事したそうですから、その事実から考えるとキューバにはもともとミサイル軍備はほとんどなかったのでしょう。もしあれば技術者も自前でそろえられたはずです。 Q,ケネディ暗殺はキューバ危機と関連があるのですか? A、無いと思います。 Q、有名なフレーズも専属のスピーチライターが考えたものなんですか? A、場合によっては大統領自らフレーズを考えることもありますし、ライターに相談することもあります。 Q、キューバの動きはどのようなものだったのでしょうか? A、危機がキューバの頭越しに解決されてしまったのでカストロは憤慨したそうです。 Q、何で正確にフルシチョフが「ミサイル撤去する」という決断を下したのかということが分からないのですか? A、高度に政治的な判断は、政権内で秘密裏に行われるので実証が難しいのです。 Q,キューバ国民に対して演説をすることで何か効果はあったのですか? A,キューバ国民にアメリカは敵ではないということを伝えたかったわけです。 Q、アメリカは他国に「核を所持するな」と主張するがどうしてアメリカが率先して核を放棄しないのですか? A、安全保障上の理由から大部分の国民が丸腰になるのを許さないでしょう。 Q、ソ連外相の「国外にミサイル発射基地を設けない」という発言はどのような流れで行われたんですか? A、確かグロムイコがアメリカで大統領や閣僚と会談した際の発言だったと思います。 Q、ソ連は本当にアメリカを攻撃しようとしていたのですか? A、攻撃して得られるメリットは殆どなかったと思うので最初から攻撃しようとは考えていなかったでしょう。 Q,エクスコムでの分析ぐらいまでに他の国々は危機について知らなかったんですか? A,P hourを中心にどの国にどの順番で何を伝えるかが決定されていました。 Q、アメリカに対する他の国々からの批判はなかったのですか? A、東側諸国からの批判は当然ありました。 Q、フルシチョフがミサイルを撤退したことによるソ連のメリットは何ですか? A、全面戦争の回避です。 Q、私はキューバへのミサイル配備はフルシチョフの失策であるように思うが実際のところどうだと思いますか? A、アメリカがどのように対処するのか読み間違えたように思います。 Q、政治とか社会問題が苦手で頭に入りません。どうすれないいですか?どうすれば興味をもてるようになりますか? A、政治や社会問題はすべて人の営みです。そう考えれば興味がわくのでは? Q、中南米は共産主義国のほうが多いんですか? A、そうではありませんが、アメリカとしては自国の勢力圏内に共産主義勢力が浸透してくるのを恐れていました。 Q、結局、キューバに配備されたミサイルは広島に落されたものと比べて能力はどのようなものだったのですか。 A、具体的な数値は忘れましたが、この当時は格段に核攻撃力が増していたので五、六倍は最低あったと思います。 Q、元大統領の方々はどのような力を持っていたのですか?アメリカはキューバからミサイルを撤去させるようなどんな外交カードを持っていたと思われますか? A、公的には権限はありませんが、豊かな経験をかわれて相談に応じることはあったようです。アメリカが持っていたカードはトルコに配備していたジュピター・ミサイルです。 Q、スピーチライターはどういった人がなるんでしょうか? A、当時は特に決まっておらず、閣僚やまたは閣僚近辺の人間の中のうち、文章作成能力がたまたまある人がリクルートされていたようです。 Q、終結した理由についての資料は残っていないんでしょうか? A、残ってはいますが、何が決定的な要因だったか決めるのは難しいと思います。 Q、映画『13days』って面白いですか? A、私は資料を読むほうが面白いです。人それぞれですから。しかし、興味を持ってご覧になれば面白いかもしれません。 Q、キューバ危機解決について詳しく調べている人はいますか? A、易しいものでは、ロバート・ケネディの『13日間』、難しいが詳しい専門書としてはグレアム・アリソンの『決定の本質』があります。両方とも和訳が出ています。 Q、キューバ内での情報の統制などは行われなかったのでしょうか? A、実質的に無理だったと思います。 Q、留学中に不思議だったんですがカストロを英雄的扱いしているような面に何度か出くわしました。全然見当がつかなかったのですが、先生は何故だと思われますか? A、カストロは反米のヒーローだからです。強いものに立ち向かう者を応援する、日本で言うと判官贔屓ですね。 Q、米州機構とは何ですか? A、EUの緩いような感じのものです。南北アメリカ諸国を加盟国としています。 Q、キューバのミサイルはアメリカ全土が射程内だったのですか? A、西海岸を除くほぼ全土が射程内に入っていました。 Q、ケネディ大統領が国民に向けミサイル危機を公表する際、二種類の原稿を用意していて公表直前まで決めかねていたのは本当の話ですか? A、演説草稿がA班とB班に別れて練られていたのは本当の話です。 Q、先生は現在、またはこれからの日米外交とその関係についてどのように考えておられますか? A、give and takeが重要だと思います。極言すればお互いに利用価値があれば外交関係はうまくいきます。 Q、P hourでアメリカは証拠も無いのにキューバ基地には核攻撃能力があったと言ったことにソ連は何も反応しなかったのですか? A,、アメリカは演説で手の内を完全に明かさないという策を取っていたのでソ連もアメリカがどこまで内情を把握しているか判断できなかったと思います。 Q、キューバはミサイル基地建設に対してどのように思っていたのか? A、キューバからソ連に援助を申し入れたことになっています。 Q、封鎖って具体的にどんなことをしたのですか?船でキューバのまわりを全て囲ったのですか? A、アメリカの艦船でキューバ近海を哨戒し封鎖線を作りました。 Q、秘密交渉は秘密でされているのになぜ今ばれているのでしょうか? A、極秘扱いの資料は概ね三十年くらい経てば機密開示されます。 Q、アメリカ大統領の演説は国民に訴えかけるとともにフルシチョフに逃げ道を作るなど二面性を持っていますが、ソ連側には実際どのようにその演説が伝わるのでしょうか。スパイを介してでしょうか。ミサイル基地を建設するためには相当大きな動きがあると僕は思うのですがアメリカは10月16日まで全くこの動きに気付かなかったのでしょうか? A、スパイを介さなくても正式な外交ルートや海外メディアで伝わります。10月16日以前の動きについては講義の最初のほうで話した通りです。 Q、歴史を勉強していると大体力尽くで状況を打開しようとすると良い結果が生まれていないと僕は思いましたが先生はそのことについてはどうですか? A、『孫子』に戦わずして勝つのが最上であると述べられています。私もそのように思います。 Q、ニクソンはキッシンジャーを信頼していたと思いますが、ケネディにはそのような人は居たんでしょうか。 A、例えばスピーチライターのソレンセン、弟のロバートなどいろいろな補佐役がいました。 Q、ソ連がキューバへのミサイル配備について釈明することはなかったのですか? A、ソ連はキューバへのミサイル配備を、小国キューバを大国であるアメリカの横暴から守るためだと釈明していました。 Q、先生はケネディ暗殺の真の黒幕は誰だとお考えですか? A、まだ開示されていない資料があるのでこれから先が楽しみです。 Q、ソ連が先にミサイルを運んだのにアメリカが攻撃していたら反米一色になったのでしょうか? A、おそらくなったと思います。 Q、ゆっくり進めれば戦争を回避できることもあるのに、最近のアメリカはどうしてすぐに戦争を行おうとするのでしょうか。 A、アメリカの軍事力から言って、損害が軽度で済み、それに対して得られるものが大きいと判断しているからでしょう。またアイゼンハワーが最初に警告した軍需産業の存在も見逃せません。 |