ブッシュの時代―冷戦の終焉


ソ連体制の脆弱性
 ソ連は歴史の幸運の産物であった。第一次世界大戦の混乱期の中にソ連は生まれた。第二次世界大戦を、ソ連は資本主義帝国主義国家の内輪争いと考え局外にその身を置くことになったが、ドイツが侵攻を開始し、戦争に巻き込まれた。ドイツの快進撃を恐れた連合国がソ連を支援し、ようやくナチスに勝利することができた。第二次世界大戦後の政治の空白に乗じ、東ヨーロッパ諸国を容易く衛星国化することができた。このようにソ連は一世代の間に急激に成長した国家だったのである。それが可能だったのはソ連共産党政治局の一党独裁である。しかし、そうした独裁は、成長を可能にするイニシアティヴと創造性を犠牲にするものであった。またソ連の世界各地に対するコミットメントはその能力の限界を超えるものであった。ソ連経済は増大する軍事費に耐え切れなかった。またソ連の協力な同盟国である共産中国はソ連と距離をとるようになり、さらに東ヨーロッパの同盟国もただソ連が従属させているだけであてにはならず、むしろソ連にとって軍事的、政治的足枷によって東ヨーロッパをつなぎ止めておくことが負担になる一方であった。
 ゴルバチョフは、そのように疲弊しきったソ連を改革し、外部の問題に対応できるようにしようとしたが、その改革こそが共産党一党独裁制の基盤を崩すものであり、それ故、ひずみが長らくたまっていたソ連は一気に崩壊へと向かった。ゴルバチョフが考えた改革は、まさにゴルバチョフ自身が生まれ出た共産党の一党独裁を廃止し、市場経済の理念を導入することであった。それはすなわち共産主義体制そのものの死となった。

キッシンジャーの言葉。

「レーガンがアメリカの中に存在するイニシアティヴと自信を掘り起こし国民の魂を解放したのに対し、ゴルバチョフは、自らが頂点に立つシステムに不可能な改革を求めることで、そのシステムの崩壊をまねいた」

社会主義とは何か?共産主義とは何か?
 社会主義と共産主義はすべて悪ではない。どんなシステムにも良い点と悪い点がある。社会主義と共産主義は資本主義によって生み出された弊害を是正するために生み出された考え方である。その資本主義の弊害とは、周期的に繰り返される不況と貧富の差の拡大である。
 まず社会主義というのは、様々な定義はあるものの、本質は計画経済にある。つまり、資本主義は市場の需給バランスによって何がどのようにどれくらい必要かが自然に決定されるが、計画経済では、それを国が行う。市場の役割を国が担うのである。資本主義の下では工場は、利潤という動機でそれぞれの行動を決定する。しかし、社会主義は利潤ではなく、国がすべての需要を想定し、生産計画を決定する。それがありとあらゆる産品に及ぶとなると実質上、政府がその需要を予測することは不可能で、必要もないものをたくさん造ってしまったり、必要とされるものが全然足りなかったりすることが起こりやすくなる。需要と供給の齟齬をきたすのである。
 ただ資本主義経済も一方的によいわけではない。マートンの合理の不合理という定理があって、各主体が合理的に判断して活動すると、その総和は不合理になるというものだ。例えば、クラス会で委員の割り当てを決める時に、各個人がそれぞれ合理的に、つまり、自分が好きな委員をやりたいと言い出したら、その結果はクラス全体の委員の割り当てが決まらないという不合理な結果を生む。それと同じで、各生産主体が自らの利潤だけを求めて生産を行うと、供給過剰やまたはダンピングといった不正な競争につながり、全体として不合理、つまり、不況や多くの企業の倒産などにつながるのである。
 資本主義と社会主義の違いは、資本主義が個々の経済主体の合理性に基づいているのに対して、社会主義は社会全体の合理性に基づいている点にある。先ほどのクラス委員の例からすれば、資本主義は一人一人が自分がなりたい委員を言って、それぞれいろいろな人と交渉していけばクラス全体としてうまく行くと考えられるが、一方で、社会主義では、クラス全体の割り当てを優先して、それに応じて個々の利害を調整するのである。資本主義も社会主義もそれぞれ一長一短である。たとえば世界恐慌の際は、ソ連はあまり影響を受けることがなかった。その要因として、国際貿易に対する依存度があまり高くなかったこともあるが、計画経済もその一因であったと考えることができよう。
 社会主義と共産主義に関しても様々な解釈があるが、異なるものである。社会主義が資本主義経済からの脱却を目指して、国家の管理によって経済を管理するという思想に基づくのに対して、共産主義は完全に人民が平等で生産手段が私有されることもなく国家さえも存在しない理想社会を指している。漢字を見ても分かるように共に働き共に生産し、その結果生まれた利潤を必要に応じて
分配するという社会です。
 こうした制度の内包する最大の問題点とは、多くの人間は利潤を求めて動き、多く働けば多く働いた分だけ利潤を得るべきだと考える本質にある。私が市場経済導入前の中国に行った時に、感じたことからそれは分かる。少年だった私は、公営商店に行き買い物に行ったのだが、店に全く活気がない。店員の態度もどこか杓子定規だった。彼らからすれば売れても売れなくても自分の取り分が変わらないわけで、しかも倒産することもないからやる気がでないのも頷ける。つまり、生産性をあげようという意欲が湧かないようになっているのである。頑張っても頑張らなくても全く同じであれば多くの人はあまり頑張らなくなるだろうと思う。社会主義経済停滞の原因はここにあると思う。経済活動は国が計画したようにはうまく行かないのである。それは国民経済というのが膨大な要素を内包するのでそれがどのようになるかなど予測しきることは先ず不可能だからである。私はソ連経済が崩壊したのはそうした人間の本質や、国民経済の予測不可能性に原因があったと考えている。

冷戦終焉の流れ
 レーガンが二期勤め上げた後、副大統領を勤めていたブッシュが選挙戦に出馬し、レーガンの衣鉢を継ぐ形でレーガンが選挙戦に勝利した。ブッシュはレーガン政権末期にひかれたレールの上を走るだけでよかった。ブッシュは原則的にソ連に宥和姿勢を示し、話し合いに応じ易いようにしたのである。
 ゴルバチョフは、ソ連経済の危機のために資本主義に対する挑戦や、ソ連の世界規模でのコミットメントを控えるべきだと考えた。ソ連には対外問題に関わりあっている余裕はないと考えたのである。一先ず、ソ連体制を立て直すために内治に専念すべきだと考えたのである。そのためにアメリカとの対決姿勢を弱めたのである。

ゴルバチョフの就任当時の言葉。

「私は、我々がお互いを好むと好まざるとにかかわらず、我々は一緒に生き残るか、それとともに滅びるかどちらかしかないという否定することのできない事実がある。我々が答えを出すべき第一の質問とは我々はともに平和に生きるほかに道がないということを、ここにいたって認める用意があるかどうかということと、好戦的な軌道から平和的な軌道へと、精神及び行動様式を切り替える用意があるかどうかということである」

 ゴルバチョフは、ペレストロイカと言われる一連の改革を打ち出したが、まさにそれこそがソ連体制の根源となる正統的レーニン主義やマルクス主義史観を損なわせる結果となったのである。現実に対応することを焦るあまりにソ連の指針となっていたイデオロギーの崩壊を招いたのである。東ヨーロッパの衛星国でも民主化の動きが活発になった。国民は、東ヨーロッパ諸国の各政府をソ連の傀儡であると思っていた。それ故、各政府は、国民の信頼を得るためにはソ連から離れるか、または秘密警察を使った独裁政治を行うかしかなかった。東ヨーロッパへの締め付けを強化することは、西欧諸国の警戒心を呼び起こすことになり、軍拡競争に陥らざるをえなくなる。しかし、東ヨーロッパを放棄することはソ連の威信低下につながる。ソ連はそのようなジレンマに陥ったのである。結局ソ連は1989年に東ヨーロッパを放棄した。ゴルバチョフはソ連体制を救済しようと改革をしたが、それはすなわちソ連がソ連たること、共産党が一枚岩であることを崩すものであった。自由化という考え自体が社会主義体制とは相容れないものだったのである。
 1989年にゴルバチョフは、「我々は東西分裂を精算するように常に求められている。我々はソ連邦がベルリンの壁を外せばソ連の平和的意図を信じようという声をしばしば耳にする」
 その直後にベルリンの壁は倒され、ドイツの統一が成就したのである。東ヨーロッパの共産主義政権は崩壊し、ソ連は東ヨーロッパの衛星国を救うどころか西側の援助を必要とするまでになったのである。ソ連体制は、個人の思想を抑圧し、意欲までも失わせてしまった。計画経済は破綻し、全く有効に機能しなくなった。ゴルバチョフがこのソ連体制を変革しようとすることはすなわち角を矯めて牛を殺すの類であった。91年7月、ソ連と戦略兵器削減条約を調印し、91年12月にはソ連が解体し、独立国家共同体が発足した。ブッシュは混迷を深める東側陣営に対して終始、デタントの姿勢を示した。冷戦はアメリカの不戦勝に終わったのである。冷戦は終わってみるとあっけないものであった。しかし、アメリカ自身にも問題はいろいろとあった。特に軍産複合体の圧力はアメリカに重くのしかかっていたし、また経済もレーガン政権末期に持ち直したが、ブッシュ政権になったからは下降線を示していた。失業率も上がり、双子の赤字と呼ばれる財政赤字と貿易赤字は増大した。



質疑応答・感想


Q、結局、冷戦終結にブッシュ自身は貢献したのですか?
A、レーガンの政策を継承し、ソ連が反発しないようにしながら緩やかに冷戦終結に貢献したという意味では評価できます。

Q、アメリカは双子の赤字にどのように対応したのですか?
A、ニューエコノミーと呼ばれる情報通信技術を梃子にした経済革新で対応しました。しかし、現在のアメリカの経済構造では不断の流入資本が必要不可欠です。

Q、ゴルバチョフの改革は最初から国を殺して新しくするのが目的だったのか、殺すつもりがなくてうっかりだったのかどっちですか?
A、まさに、角を矯めて牛を殺すに他なりません。

Q、冷戦終結の時期についても論争はあるんでしょうか?
A、ベルリン崩壊を契機とするか、それともIMF全廃に合意したことを契機とするか、ソ連崩壊を契機とするかいろいろ考え方はあります。

Q、社会主義国で冷戦時代から現代まで堅調な経済成長を続けている国家はあるのでしょうか。
A、リビアは比較的安定した経済状態を保っていると思います。

Q、ソ連が崩壊した後、失業者がたくさん出るのは分かりますけど、国は急に潰れるわけじゃないのに対策は何故追いつかなかったのですか?
A、享国と言って国が享わる時には、あっと言う間です。ソ連はベルリン崩壊後、実質的に国として機能していなかったと思います。

Q、ゴルバチョフの改革が何故うまくいかなかったのかがよく分かりません。
A、ゴルバチョフの改革はすなわちソ連の国家としての本質を破壊するものであったからです。

Q、社会主義について国の需要を見て生産量を考えてバランスをとっていくことはできないのでしょうか?
A、それを予測するためには天文学的な計算がいるので不可能です。

Q、ゴルバチョフがメスを入れた二つのこと、力不足だから、ソ連が疲弊から回復するまで少し待とうと言っていたなら劇薬投入になることは彼自身しなかったのでは?
A、ゴルバチョフは、良かれと思って改革を行ったのですが、それが予期せぬ結果となったのです。

Q、社会主義は共産主義への過渡期みたいなことをおっしゃっていましたが、ということは今の社会主義の国はすべて共産主義が目標なのですか?
A、様々な見方がありますが、社会主義を共産主義への移行過程と見なす考え方があります。

Q、資本主義とか共産主義は誰が提案したのですか?
A,資本主義と共産主義はそれぞれ長い歴史の中で、様々な人により形成されてきた思想なのである人が提案したとははっきりとは言えないと思います。

Q、ゴルバチョフの改革が止めを刺したということでしたが、それでは他にソ連の病を好転させるような良い方法はなかったのですか?ソ連の崩壊は防ぎようのないものだったのですか?
A、病膏肓に入ると言って、病がそこまで重くなると手の施しようがありません。病はソ連の根幹に関わることだったからです。

Q、ソ連崩壊後、どういう流れでロシアになったのですか?
A、正確にはCISです。ゴルバチョフは、改革急進派と保守派の間でバランスを取っていましたが、最終的にバランスをとることに失敗し、ソ連共産党の解散をまねきました。そしてソ連共産党というソ連をまとめていた組織が消滅することでソ連を構成していた各共和国の独立に歯止めをかけることができなくなりました。

Q、キューバが社会主義を維持できている理由はどのような理由なのでしょうか?
A、近年、アメリカと正面きって対抗することなく穏健化していることとカストロの指導力によるものでしょう。またカストロが亡くなった場合も特にアメリカの態度は変化しないでしょう。

Q、ソ連は実際には弱体化していたとのことですが、アメリカはソ連を過大評価していたということでしょうか?
A、ソ連の可能性を大きく見積もっていたようです。それには国内の軍需産業などの影響もあります。

Q、社会主義を始める時に共産党は問題点を予想することができなかったのでしょうか?
A、どのような制度であれ一長一短ですが、短所というものはなかなか見えないものです。何であれ長所が目立ってしまうものなのです。

Q、共産主義のほうが後進的な考え方がありますが何故なのでしょうか?
A、それは原始社会を理想の基礎に置いているからです。ただ何が先進的で後進的かは立場により異なるものだと思います。

Q、民主的な共産政権ってありうるのでしょうか?またソ連や中国などではどういった名目で自由が制限されたのでしょうか?
A、社会主義や共産主義は、全人民に平等を分け与えることを理念としています。平等は必ずしも自由を意味しません。人民がそれぞれ好き勝手に行動すればそもそも平等は成り立ちません。

Q、社会主義とう体制は現代のような世界中で貿易が行われている世界では通用しないのですか?
A、私の考えでは社会主義体制は自閉的な経済でも存立可能な小規模国家ならば体制を維持できると思います。

Q、共産主義ではうまくいかないと分かってからそのシステムは改善されたりして資本主義に並ぶことはないのでしょうか。
A、実質的に世界では純粋な共産主義を現在も標榜している国は殆どありません。

Q、大昔の経済は資本主義だったのでしょうか?人々が普通に暮らしていたら資本主義経済が勝手に生まれてきたのでしょうか?
A、資本主義が生まれてきた淵源がいつどこにあるのかは研究者により異なります。そういう問題に関しては、詳しくはエマニュエル・ウォーラーステインの『史的システムとしての資本主義』がお勧めです。

Q、冷戦についてはギャディスの言うように長い平和であったとする意見があります。でも実際には様々な戦争が起こっているので私はその意見に賛成できません。先生はどう考えますか?
A、核抑止による平和と言い換えることができると思います。また東西二極構造により世界中で無秩序に戦争が起きることがあまりなかったという点では冷戦構造も悪いことばかりではなかったと思います。

Q、日本の会社で、会社員がサービス残業をしています。それは多く働けば利潤があがるということとは違うのではないでしょうか?多くの日本の会社員は何を考えているのでしょうか?
A、会社というのは、個人の成果が見えにくいのです。協働しているのでどこからどこまでが誰の仕事か分からないのです。つまり、会社全体として利潤をあげるように働いて、より多くの利潤の分配に与ろうという考え方です。

Q、資本主義も一長一短ということですが、結局すべてがうまくいく経済はあるのでしょうか?
A,すべての人が満足する経済はありません。長所があるということは、別の側面からすると短所ともなりうるのです。

Q、冷戦が終わった時、アメリカ国民はどのような気持ちだったのでしょう?
A、様々な国内問題が山積していたのでアメリカの勝利に酔い痴れている場合ではなかったと思います。

Q、社会主義、共産主義でも政治上層部などは富裕で貧富の差がないとは言えないと思えるのですが、どうして平等なはずなのに差が生じるのですか?
A、そもそも両主義は階級を否定していたはずですが、政治上層部が特権化し新たな階級となってしまったと言えると思います。

アメリカ政治外交史歴代アメリカ合衆国大統領研究