レーガンの時代―強いアメリカの復活


日本の外国人研修生制度廃止をアメリカが提案
 もともとこの制度は、発展途上国の人々を技術研修生として日本企業に受け入れ、一定期間の研修で技術を習得させた後、帰国させ母国の発展に生かせるようにするという国際援助の一環であった。しかし、繊維業界を代表とする人手不足に喘ぐ業界の一部は、この制度を悪用し、研修生を低廉な賃金で就業させた。研修生は労働者ではないので法の定める最低賃金には引っかからない。そうした悪質な研修生酷使が明白となった。その現状を踏まえてアメリカは、日本にその廃止を提案している。ただこの制度を真面目に運用している企業も少なからずあるはずで、いきなりの廃止は時期尚早であるかもしれない。
 この問題には、日本の人口減による労働力不足も背景にある。日本の人口減を緩やかにするためには毎年ある程度の移民を認めなければならないと思う。例えば、看護士に関しては、一部の国から看護士の卵を受け入れ、日本で訓練し、国家試験に合格すれば日本で就労することを認めるとの協定が結ばれている。このように今後、様々な分野で労働力を受け入れないと人口減によって日本社会は活力を失う恐れがある。ただ移民流入の問題としては、その流入速度である。あまりに流入速度が速いと受け入れ態勢が整わず、移民が社会から阻害され、はてには犯罪にまで手を染めるという結果になりかねない。今後、もし移民を受け入れるのであれば、どの程度の流入速度で移民を受け入れることができるのか検討しなければならないだろう。

イラン大使館人質事件その後
 カーター政権は、イラン大使館人質事件を解決するために様々な対処法を打ち出した。イランからの石油購買の差し止め、アメリカ国内でのイラン資産の凍結などを行った。さらに国連安保理に人質を解放するように働きかけたり、経済制裁を強め、イランにジャーナリストを除く一切のアメリカ人が入国するのを禁じたりした。終にはイランに米軍を派遣し、強硬手段をとろうとしたが、ヘリコプターの不調により作戦は失敗した。
 1980年にイランが送還を求めていたパーレヴィーが死去。人質解放の契機かと思われた。イランは、アメリカにパーレヴィーの財産をイランに戻すこと、イランの問題にアメリカが干渉しないこと、凍結した財産を元に戻すことを求めた。
しかし、イラクとの戦争勃発で戦争資金を必要としたイランは、凍結した財産を元に戻すという条件だけでアメリカと和解。444日間の拘留を経て人質は解放された。人質がアメリカに帰還した頃にはカーター政権からレーガン政権に移行していた。

レーガンの人物像
 レーガンは歴代大統領で最年長で大統領になった。69歳。その演説技量の高さからGreat Communicatorという異名をとる。ニューヨーク・タイムズ紙によれば、レーガンの気さくな話し方とチャーミングな容貌は、彼を極右論者だと警戒する者の距離をも縮めた。キッシンジャー「レーガンは、アメリカの国民を統合させる人並み外れた才能を持っていた。そして彼は非常に快活で、真に人に好かれる性格の持ち主だった。彼の発言で被害を受けた者でさえ、それを個人的な当てつけと考えることは困難だった」。「レーガンは自分の知人の中で最も親密であると同時に最も疎遠な人物だ」。レーガンの性格の複雑さ。愛想のよさは彼自身と他人との間に距離を置こうとする彼のやり方だった。
 レーガンは下中流階級の家に生まれた。大学時代、レーガンはあまり勉強しなかったので成績は平均でCレベルだった。そのため奨学金が取れず、皿洗いをしたり水泳のコーチをしたりして授業料を稼いだ。1932年に大学を卒業後、ラジオのアナウンサーを五年間務め、それから俳優に転身した。1947年から映画俳優ギルドの会長を務めた。そして1967年にカリフォルニア州知事に就任。退職後、講演や記事などを書いて過ごし、1976年に大統領選に名乗りをあげるが指名選で敗北した。そして1980年にようやく指名を勝ち取り本選にも勝利し、史上最年長の大統領になったのである。また離婚暦を持つ最初の大統領となった。

強いアメリカの復権―国内
 レーガンは、カーター政権が率直にアメリカの自信喪失を認めたのとは対象的にアメリカは強さを取り戻さなければならないと訴えた。国内政策に関しては、「小さな政府」を標榜し、アメリカの伝統的な自由放任主義をよみがえらせようとするものであった。具体的な政策としては連邦政府の権限を州や自治体に委譲し、連邦政府職員の数を削減し、規制解除の促進、老人医療、低所得者への補助を削減した。特に一連の経済政策はレーガノミクスと呼ばれる。スタグフレーションを金融引き締めで阻止する一方、政府規制の緩和と大幅減税により、企業の設備投資を活発にし、不況を克服しようとする政策である。
 レーガノミクスはなかなかうまく機能せず、景気はなかなか回復しなかった。しかも、当時アメリカは、軍事費の増大による財政赤字のみならず貿易赤字という「双子の赤字」を抱え、アメリカは終に世界最大の債務国に転落した。アメリカは深刻的な経済的困難を抱えていたのである。ただレーガノミクスの適用で、スタグフレーションは緩和され、失業率も低下した。

強いアメリカの復権―国外
 外交政策においてもレーガンは、アメリカの自信喪失を覆し、「我々はアメリカの外交政策に、根本的に新しい方針を打ち出した。我々のかけがえのない自由な制度を、何ら恥ずることなく、何の言い訳もなく堂々と主張する、そうした自負に基づいた政策である」。
 レーガン政権は、1981年の政権発足時、ソ連に核の脅威を与えることで拡張主義を放棄させようと、核戦力の増強を目指し、莫大な軍事予算を計上した。さらに1983年にはSDI(Strategic Defense Initiative)構想=戦略防衛構想を打ち出した。別名、スターウォーズ計画と呼ばれている。大陸間弾道ミサイルを軍事衛星からレーザーを発射して撃ち落そうという計画である。これは相互確証破壊に基づく核抑止という方針を回避するものであった。相互確証破壊というのは、米ソ両国が、お互いを完全に抹殺できる核戦力を持っていれば、核戦争をどちらも始めないだろうという考え方である。それが絶え間のない軍拡競争を続けていた。SDIはそれを回避する方策である。つまり、アメリカに向けて発射されたミサイルを撃ち落すのであるから、相互確証破壊の前提を崩すことができるのである。この計画が理論通りにいけば。レーガン自身が回想録で語っているように、核兵器廃絶を可能にするものであった。レーガンは回想録で次のように語っている。「誰も核戦争に勝利できない。しかし、核兵器が存在する限り、それらが使用される危険は常にある。そして最初の核兵器がいったん使われたら、それがどこまで行って終わるかを誰が知っているだろう。そこで私の夢は、核兵器のない世界となったのだ」。アメリカの科学力は核兵器を無力化できるとレーガンは考えていたのである。レーガンは、SDI構想を進めることで核軍備が必要なくなるような世界を目指したのである。
 ソ連に対して激しい非難を展開し、ソ連を「悪しき帝国」と名指しで非難した。「ソ連は目的を達成するために、あらゆる犯罪をおかし、嘘をつき、だまそうとしている無法の帝国だ」。そして1983年の大韓航空機撃墜事件を契機に米ソの関係は完全に冷え切った。これはアメリカから韓国に向かっていた民間航空機がコースを離れてソ連領空内に入ったため、ソ連戦闘機に撃墜されたという事件である。この1983年は米ソ関係が最悪になった年の一つである。ソ連が西欧に向けての準中距離ミサイルの配備を進めるのに対抗してアメリカは西欧にミサイルを配備した。
 一方、アメリカは、ニカラグア、エルサルバドル、グレナダといった中米地域の紛争に介入した。そういった国々のソ連接近を恐れたからである。特にグレナダに関しては、アメリカ人の生命を保護することを名目に侵攻作戦を行い、共産主義に傾いたグレナダ政府を打倒した。
またソ連の侵攻に対して抵抗していたアフガニスタンのムジャヒディンに武器を供与し、アンゴラとエチオピアといった共産化した政権に対抗して反政府勢力にも武器を供与した。
 
緊張緩和へ
 緊張緩和の大きなきっかけはソ連指導者の交代である。1985年にソ連の書記局員の中でも最年少のゴルバチョフが書記長に就任した。ゴルバチョフは低迷するソ連経済の実情を把握して、このままアメリカと軍拡競争を継続するのは不可能だと考え、アメリカとの宥和をはかった。1985年11月にジュネーヴでレーガンとゴルバチョフの首脳会談が実現した。その場では戦略核の50パーセント削減が合意にいたった。さらに1987年12月にワシントンで行われた米ソ首脳会談ではINF(中距離核戦力)全廃条約が調印された。こうした核削減の試みの背景には、核戦力の増大を危惧する国内外の世論の高まりがある。さらに1988年には懸案であったアフガニスタン問題も沈静化し、国連の斡旋でアフガニスタン和平協定が調印された。



質疑応答・感想


Q、アメリカ・ソ連以外の国はいつぐらいから核を持ち始めたのですか?
A、少なくとも1950年代末以降です。

Q、レーガンが政界に入ろうとしたきっかけは何ですか?
A、レーガンが積み重ねてきたキャリアに関係があると思います。

Q、シュワルツネッガーが大統領になれないのは何故ですか?
A、憲法が規定する大統領になる条件に引っ掛かるからです。

Q、対立勢力の要人への暗殺や拉致についてやむをえないと考えるでしょうか?
A、政治とは裏側もあるものです。対立勢力の侵略により100万人の命が失われる可能性があればそういう荒業もありかもしれません。あくまで裏側に限ります。国家とは多くの国民の命と安全を担っているのです。むろん何をしても許されるわけではありませんが。

Q、ミサイルでミサイルは撃ち落せないのでしょうか?芸能界から政界に転身する人がいますが、あれは何を目的にしているのですか?
A、ミサイルでミサイルを撃ち落すのは非常に困難です。湾岸戦争の時のパトリオット・ミサイルの命中率からするとよく分かると思います。政界に転身するのは何故でしょうか。私にもよく分かりません。知名度を利用しているとしか思えません。むろん芸能人でも立派な方はいると思います。

Q、今、やろうと思えばスターウォーズ計画はできるのでしょうか?
A、レーザーを発射する時の高出力エネルギーをどう確保するかが大きな技術的問題だと思います。

Q、不況を乗り切ったのはレーガノミクスの効果ではないと言われるのは何故ですか?
A、経済学者がどれだけレーガノミクスに基づく政策が効果を及ぼしたかという判断をする際に、それぞれ立場によって尺度が異なるからです。

Q、不法移民が増えているそうですが食い止めるにはどうしたら良いでしょうか?
A、合法的に移民できる窓口を整備するしかないと思います。

Q、イラン大使館人質事件で人質返還までかかった日数は444日だったそうですが、意図的に444日にしたのでしょうか?綺麗な数字すぎて少し驚きました。
A、偶然でしょう。

Q、レーガンが出演している映画のタイトルは?
A、初演作品は、Love Is on the Air(1937)です。ラジオ・アナウンサー役です。

Q、北朝鮮は日本が核を持っていると考えないのでしょうか?
A、当然、考えているとは思います。

Q、アメリカにも核縮小の時代もあったんですか?今はどっちの方向に進んでいますか?
A、ありました。現在は、大量破壊能力だけではなく、局地戦にも対応できる軍隊を作り上げようとしています。ピンポイントで攻撃できる能力を高めようとしているようです。

Q、レーガンのソ連批判に対してソ連はどのように対応したのですか?
A、むろん応酬はしましたが、ソ連首脳部の相次ぐ交替劇でそれどころではなかったように思います。

Q、ゴルバチョフがスターウォーズ計画の撤回を求めてもレーガンは断りましたが、そこまでこの計画に固執したのはやはりソ連に優位に立っていたということでしょうか?
A、レーガンの考え方では、ソ連だけでなく諸国の核兵器を完全に無力化することが目標だったので、ソ連だけの要求をのむわけにはいかなかったのです。

Q、よりより生活のために給料の高い日本に働きに来ている人についてどうお考えですか?
A、賃金の高いところに労働力が流入してくるのは資本主義だからこそですが、行き過ぎは社会の崩壊を招くと思います。

Q、ゴルバチョフがアメリカと仲良くすることを決め、共産主義の人から反発を受けることはなかったのですか?
A、むろんソ連内部のタカ派にはよく思われなかったはずです。

Q、アメリカは共産主義に対してそこまで恐怖感を抱く理由は何なのでしょうか?
A、第二次世界大戦でナチスの台頭があったように、共産主義も世界征服をねらっているのではと思っていたからです。

Q、どうして核兵器のない世界が夢なのに核兵器を作っていたのですか?
A、授業で説明した通り、政権発足時はソ連に圧力をかける必要悪として核兵器を増強しましたが、SDI構想によりその考えを改めるようになったからです。

C、残り二回の講義となり残念です。先生のおかげで最初は苦手だったアメリカ政治に今は興味を持てるまでになりました。
A、私も非常に残念です。来年度も学生諸君のために良い講義ができればと思います。是非受講して下さい。

Q、グレナダ侵攻は事実上、内政干渉のように思えるのですが、当時の国連や世論はこの行動をどのように見ていたのでしょうか?
A、グレナダへの派兵は、アメリカ兵が主体ですが建前は国連軍です。レーガンは、クリスマスまでに撤兵するという約束を守ったので、厳しい批判を受けることはあまりありませんでした。

Q、研修生制度が悪用されたとはどういうことですか?
A、法定外の低廉労働力として悪用されたということです。

Q、SDIのもとで核兵器を備えてこそアメリカは防衛と攻撃の能力が得られてソ連が一方的に劣勢になるのではないでしょうか?
A、軍事費をまかなうのが大変になるので、それを続けるとアメリカが経済破綻していたと思います。

Q、レーガンはどうしてアメリカの大統領が務まったのでしょうか?強力なブレーンが居たからですか?
A、現大統領を見ても分かるように、側近がしっかりしていれば大丈夫です。またレーガンは時代の趨勢をとらえる鋭い嗅覚があったと思います。政治家としてはなくてはならない資質です。

Q、今のブッシュ政権は核兵器に対してどのような考えを持っているのでしょうか?
A、対テロ対策として核拡散を防止するのが最優先課題です。

Q、外国人研修生制度について。この制度はフィリピン人にとってよい政策だと思いますか?
A,うまく行けばよい制度かもしれませんが、フィリピンからすれば有能な技能を持つ人の流出になりかねないので一概によいとは言えないでしょう。

Q、核と言えば前防衛相の発言から広島、長崎の原爆投下について問題になっていますが、先生はどう考えておられるでしょうか?
A、言うまでもないことですが、防衛相の考え方としては不適切です。防衛相の仕事は国家の安全をいかに保障するかのはずです。その趣旨に反するような発言はありえません。

Q、研修に来るぐらいの人々なので途上国の中でもエリートの人々が研修生としてやってくるのですか?
A、エリートは国費留学生としてやってくると思います。

C、今日、生協の前でやっていたAIDS募金に100円入れました。役に立ってくれると嬉しいです。
A、陰徳あれば陽報ありと言います。その心がけが大切だと思います。

Q、アメリカはアフガンに対して1988年以降も援助を続けたのですか。
A、アフガニスタンへの援助は、基本的に国に対していうよりはムジャヒディン(ソ連に対抗するために集ったイスラム義勇兵)に対してのものでした。

Q、ソ連のことを批判することで人気があがったりするのですか?
A、カーター政権の対ソ弱腰外交を非難してレーガンは票を得ました。

Q、他国の共産主義だった政府を倒して民主化した後、アメリカは支援をちゃんとしましたか。
A、アメリカの国益に沿うかどうかが支援決定の際に重要な要素でした。

Q、アメリカも選挙で俳優や有名人が出馬することで選挙が盛り上がったりするのでしょうか?
A、億万長者やビジネスマンもけっこう出馬していますよ。あと消費者活動家なども出馬しています。

Q、レーガンの出身大学はどこですか?
A、 IllinoisのEureka Collegeです。

アメリカ政治外交史歴代アメリカ合衆国大統領研究