カーターの時代―道義外交の展開とその挫折 |
会社は誰のためにあるのか? 最近のニュースでアメリカ資本による日本企業の買収が話題となっている。アメリカと日本の企業では経営と所有の関係が異なっている。アメリカでは経営と所有が分離しているが、日本では経営と所有が未分離である会社が多い。また会社は株主の利益のためにあるという考え方はアメリカでは特に強い。サラリーマンが、給与所得のみならず、株式の配当で所得を補填する。会社は、株主のためだけにあるのか?または経営者のためだけにあるのか?ある経営者の言葉、会社は働く人の幸せのためにある。企業はどう社会に貢献すべきか?フィランソロピー。最近のミートホープ事件。経営者の利益追求か? カーターの人物像 一分間に2000語の速読ができ、カーターは仕事以外で毎週三冊か四冊の本が読めたという。一方、非常に活動的でジョギング、ハイキング、テニス、自転車、クロスカントリー、ボーリング(アベレージは160)を趣味としていた。父から受け継いだピーナッツ農場を拡大し富を築き政界に進出。ジョージア州議員、ジョージア州知事を経て大統領になった。カーターは中央政界には全く無縁で大統領に就任したことになる。カーターは民主党の大統領選では最初は全く無名の存在だったが、政治的信頼の重要性を訴え徐々に支持を拡大し指名を勝ち取った。大統領選では、プレイボーイの取材にうっかりと「I've looked on a lot of women with lust. I’ve committed adultery in my heart many times」と答え一騒動を捲き起こした。 カーターはニクソンとは対象的でジョージアという南東部の田舎出身のいかにも実直そうなイメージを持っていた。カーターを評してよく言われたのはピーナッツ・ファーマーである。事実、カーターはホワイトハウスでもラフな服装で過ごすことを好んでいた。また就任式に続くパレードでも通例では大統領は車に乗るが、車に乗らずにホワイトハウスまで徒歩で向かい国民の歓呼に答えた。さらに愛称であるジミー(正式名称はJames Earl Carter, Jr.)を正式のファースト・ネームとして使用し、そう呼ぶように求めるという異例の試みを行っている。そういうイメージは、ウォーターゲートをはじめとする様々なスキャンダルで深い政治不信に陥っていた国民にとって歓迎すべきイメージであった。また中央の政治に全く無縁であったことはかえってクリーンさの証明となった。ニクソン政権を受け継いだフォードとは違って過去のしがらみに無縁だったのがかえってよかったのである。 カーターが目指したもの カーターが重視したのは、国家の信頼性を取り戻し、またアメリカが基本理念としてきた自由、平等、人権の三つを再び重要な価値として問い直すことであった。アメリカが自信を喪失していることを真摯に認め、その三つの中でも人権は絶対に守られなければならないとして外交を展開した。それを道義外交という。道義外交では、単にバランス・オブ・パワーや軍事力に依存するのではなく、人権の尊重という普遍的な価値で外交を行なわなければならないという原則を基本においている。 ソ連に対してはその人権侵害に対して積極的な非難を展開した。またそれだけではなく、韓国、フィリピン、中南米諸国に対しても人権侵害に関して意見を表明した。こうした外交指針は、ニクソン、フォード政権でキッシンジャーが中心となって進めた現実主義的な外交とは全く正反対のものであった。しかし、多くの国の世論はこれを歓迎した。 道義外交の挫折と核軍縮 道義外交は、ソ連との核軍縮交渉に大きな影響を及ぼした。核軍縮については1972年にSALTI(核兵器削減交渉)がニクソン政権によって締結されていた。しかし、それは多くのアメリカ人にとって満足のいくものではなかった。なぜならそれは核兵器を搭載した重爆撃機に関しては除外されていたからである。キッシンジャーはニクソン政権に引き続き、フォード政権でも辣腕をふるい、政権発足後二ヶ月してモスクワを訪問してさらなる核兵器削減交渉であるSALTUをまとめてきた。SALTUの目的は超大国間のバランスを適正に保つことである。1974年フォードとブレジネフはソ連領内で会談し、ミサイルだけではなく重爆撃機についても削減交渉を行うことを約束した。SALTUの締結はカーター政権に持ち越されたのである。 道義外交は、ソ連の反発をまねいた。アメリカがソ連の様々な人権抑圧を批判したからである。例えば、ソ連国内で行われている反体制者の裁判を人権に反するとして非難した。しかし、核軍縮交渉の行き詰まりを危惧したカーター政権は、ソ連批判をトーンダウンせざるをえなくなった。結局SALTUは1979年に調印にこぎつけた。しかし、SALTUは、上院の強硬な反対により条約批准が認められなかった。条約の内容がアメリカにとって不利だとする意見が根強くあり、また丁度その頃、ソ連のアフガニスタン侵攻が起きたのである。結局、SALTUは批准されなかった。アメリカでは上院が条約を批准しないと条約は効力を発揮しないのである。 またソ連の他にも、アメリカが道義をもとにして批判した諸国と関係が悪化した。南アフリカのアパルトヘイトを非難し、キューバのカストロ政権とウガンダのイディ・アミン政権を抑圧的だと非難した。こうした道義外交をもとにアメリカが求める人権保障を受け入れないアルゼンチン、ウルグアイ、エチオピアに対する援助を差し止めた。ブラジルなどはアメリカの干渉に抗議して、自ら援助を謝絶している。韓国に対しても人権抑圧を指摘し、在韓米軍削減という強硬な手段に訴えた。 道義外交は、諸国の反発をかっただけで、実態的な効果をほとんどあげることができなかった。 カーター政権の成果 このような道義外交の挫折がありながらもカーター政権の功績として次の三つがあげられる。1978年のパナマ運河条約成立、同年の中東和平合意、79年の米中国交正常化の三つである。 パナマ運河はセオドア・ルーズベルトにより開削された。その際、アメリカの影響力を保持しようとし、パナマを1903年にコロンビアから独立させた。それ以後、パナマは事実上、アメリカの保護領と化していた。運河地帯は事実上、アメリカに所有、支配されていた。しかし、徐々にパナマ国民の不満が高まり、アメリカはカーター政権時に新運河条約を締結し、運河地帯の主権がパナマにあることを認め、1999年末までに運河の管理運営権をパナマに返還することを約束した。パナマの反発を抑えるためにその中立の保障の代替としてパナマに譲歩したのである。 米中関係正常化については、もちろん負の面もある。中国との国交を正式に正常化するためにアメリカは台湾からアメリカ軍を撤退させた。しかし、一方で、非公式ではあるが台湾と従来通りの関係を維持した。アメリカは正式に北京政府を正当な政府と認めたのである。これによりアジアのよりいっそうの安定化が図られたのである。 中東情勢概説 1978年の中東和平合意について説明する前に中東情勢を概説しておく。 パレスチナはもともとユダヤ人の住まう地であり、全世界のユダヤ人が聖地とするエルサレムが含まれている。しかし、七世紀にイスラムによって征服されアラブ化、イスラム化され、十六世紀以後は、オスマン帝国の一部となっていた。 近代になってシオニズム運動がさかんになった。これは世界各地で迫害されるユダヤ人が、自分の国をシオンの丘=聖地であるエルサレムに樹立しようという運動である。これはヨーロッパ近代で勃興した国民国家形成と関連した運動である。 第一次世界大戦期に、イギリスに政治的な影響力を持っていたユダヤ系のロスチャイルド家はイギリスにユダヤ人国家建設を働きかけバルフォア宣言を出させた。パレスチナに親英的な政権を樹立することはオスマン・トルコに対して牽制をすることができるからイギリスの国益にかなうと働きかけたのである。バルフォア宣言は、パレスチナにユダヤ人国家建設をイギリスがバックアップするという内容である。しかし、一方でイギリスはメッカの太守フセイン・ビン・アリーと密約を交わしている。その密約とは、オスマン・トルコに反旗を翻す代償に、パレスチナの地を含むアラブ王国を作ることを認めたものである。結局、第一次世界大戦後、パレスチナは結局イギリスの委任統治領になっていた。しかし、その立場はバルフォア宣言に理解を示したものであった。 そのためパレスチナの地には、ユダヤ人の流入が続き、ユダヤ人とパレスチナ=アラブ人が同時に並存するようになったのである。パレスチナでのユダヤ人増大を恐れたパレスチナ=アラブ人はしばしば移民として流入してきたユダヤ人と衝突した。 1947年、国連はパレスチナでの両者の対立を解決するために、パレスチナ分割決議を採択した。そのパレスチナはユダヤ人の国家であるイスラエルとアラブ人の国家であるパレスチナに分割が決定され、1948年にイスラエルが建国された。周辺アラブ諸国はイスラエル建国に危機感を感じ、イスラエルとアラブ諸国で戦争が勃発した。第一次中東戦争である。第一次中東戦争の結果、イスラエルは初めに与えられた地域よりも多くの地域を支配化におさめていた。 1956年にはエジプトのスエズ運河国有化を契機に第二次中東戦争が勃発した。当時、スエズを管理していた運河会社の株の大半を英仏両国が握っていた。それをエジプトのナセル政権が国有化をはかったのである。スエズは英仏にとって中東支配の要であった。ナセル政権の国有化を阻止しようと、英仏はイスラエルを誘ってエジプトを攻撃した。米ソ両国はこの三国の軍事行動に反発を感じ、圧力を加えた。両国の圧力で三国は矛をおさめたのである。アメリカは中東が不安定になることでソ連封じ込め体制が揺らぐことを恐れていたのである。一方、ソ連はこれを契機に中東に対する発言力を強めようとした。 1967年に第三次中東戦争が勃発した。ヨルダン川の水源問題を契機に衝突が激化し、イスラエル、エジプト、シリア間で戦争が勃発、イスラエルは僅か六日間で、エジプト領のシナイ半島全域、シリア領ゴラン高原を占領するという多くの戦果をあげた。 さらに1973年には劣勢を挽回しようとしたアラブ側の奇襲により第四次中東戦争が勃発した。緒戦でイスラエルは苦戦したが、アメリカの武器支援により盛り返し、アラブ側を圧倒した。しかし、アラブ側を支援するソ連の介入を恐れイスラエルは進軍を停止した。そこで米ソ両国はイスラエルとアラブの停戦仲介に乗り出し、停戦のはこびとなった。 1978年、カーターは、キャンプデーヴィッドの山荘にイスラエルのベギン首相とエジプトのサダト首相をまねき、中東和平三国首脳会談開催にこぎつけた。イスラエル軍のシナイ半島からの撤退(エジプト領だったシナイ半島をイスラエル軍が占領していた)や講和条約についての合意を取り付けて中東情勢の安定化に努めた。エジプトとイスラエルは和平を結んだが、周辺のアラブ諸国はそれに反発し、エジプトの孤立化を招いた。 さらにイランではアメリカが支援していたパーレヴィー政権が打倒され、アメリカはパーレヴィーを保護したことでイラン革命政権から激しい反発をかった。イラン革命政権はパーレヴィー送還をアメリカに要求したがアメリカはそれを拒否、79年11月に在イランアメリカ大使館を占拠して大使館員を人質にした。カーター政権はヘリコプターによる人質救出作戦などを行ったが失敗、カーター政権在任中には事件を解決できず次のレーガン政権に解決は持ち越されることになった ※読者からの指摘―『カーター回顧録』の記録によるとカーターはペーパーワークのために大統領就任後、速読できるように訓練したという。 |
質疑応答・感想 |
Q、イギリスが何故二つ(三つ)の約束を守れないと分かっていながら約束を交したのですか? A、第一次世界大戦時にイギリスは多くの植民地に独立させることを約して戦争に協力させていますが、あまり約束を守っていません。つまり、世界大戦に勝利することが最優先されたのです。勝てば官軍です。 Q、先生は雨が好きですか?イラク情勢は今後どうすれば改善されると思いますか? A、雨は嫌いです。イラク情勢は経済支援に絞るべきです。恒産無くして恒心なしと言いますから、民生経済の安定が最優先課題でしょう。 C、第三次中東戦争を仲裁したのは、アメリカだけでソ連は全く何もしなかったのですよ。 A、説明不足でした。正確には、アラブ側がイスラエルのこれ以上の進撃を恐れてソ連に仲裁を依頼したといわれています。ソ連のアラブ諸国に対する影響力の拡大を恐れたアメリカがいちはやく国連を介した仲裁に乗り出し、ソ連もその仲裁に同意したという経緯があります。 Q、台湾と国交を結んでいる国とは具体的にどのような国ですか? A、例えばバチカンです。他に二十数カ国と外交関係を結んでいます。 Q、カーターは州議員、州知事を経験しただけで国の議員とはつながりがないのに何故大統領になれたのですか? A、大統領は選挙人が選ぶのであって、国の議員が選ぶのではありません。中央政界の腐敗からカーターが免れているのがプラスにはたらいたのです。 Q、何でイスラエルはこんなに強いんですか? A、先ずイスラエル軍の士気の高さがあります。イスラエルは周囲をアラブ勢力に囲まれているのでまさに背水の陣です。さらにイスラエルにはアメリカの支援で優れた兵器が揃っていました。 Q、パレスチナ問題について何かお勧めの本などはないでしょうか? A、自由国民社から出ている国際情勢ベーシックシリーズの『中東』がよいでしょう。 Q、ユダヤ人って世界中にいるけど何で自分がユダヤ人ってずっと覚えているんですか? A、宗教的紐帯が極めて強く、ユダヤ人はユダヤ人と結婚すべきだという強い信念があります。 Q、何故今、アメリカで従軍慰安婦問題が取り上げられているのか? A、これは私の推測にすぎませんが、北朝鮮と中国のからみでしょう。北朝鮮か中国が、アメリカの要求を認めるかわりに、アメリカに踏み絵を踏ませたかもしれません。 Q、アルゼンチン、ウルグアイ、エチオピア、ブラジルはアメリカの援助がなくても平気だったのですか?北朝鮮は核を放棄すると思いますか? A、全く平気だったとは言えないと思います。ただこうした国々はアメリカのコミットメントがもともとあまり多くない国々です。北朝鮮が核を放棄するのは現体制が崩壊する時以外にはないと思います。 Q、台湾を国連から外し、中国を迎え入れたとありましたが、何故台湾は外されたのですか? A、アメリカは台湾を温存するつもりでしたが、中華人民共和国の代表権を認めるためにやむを得ずに台湾を外さなければなりませんでした。 Q、カーターの速読の特技はもともとの才能だったのでしょうか? A、おそらく長年の経験によるものだと思います。 Q、アラブで共産化した国はあったのですか? A、リビアは今でも社会主義体制です。 Q、SALTUとはどういうものかもう一度説明して欲しいです。何故、上院議員が調印に反対なのかももう一度聞きたいです。 A、戦略兵器制限交渉です。米ソ両国の兵器削減をめぐる交渉です。上院の反対派は、アメリカの軍事力が制限されることを恐れていたのです。あまりにアメリカの軍事力が制限されるとソ連を抑止できないと彼らは考えたのです。 Q、世界史をもっと知らなければと思うのですがお勧めの本などありましたら教えて下さい。 A、山川出版社の『詳説世界史研究』がお勧めです。 Q、最近、哲学にどっぷりと浸かっています。いかなる学問も哲学に帰結するとか。そうなのでしょうか。 A、哲学とはフィロソフィーですから知を愛することです。いかなる学問も知を愛するということでは変わりありません。 Q、何故ユダヤ人は人口比ではかなり少ないにも拘らずこれほどの力があるのですか? A、昔からユダヤ人が知と経済の領域で圧倒的に力を持っているからです。 Q、ユダヤ人っていうのはどういう定義なのですか? A、一般的にはユダヤ教徒=ユダヤ人でありユダヤ民族です。 Q、カーターは道義外交で韓国のどのような人権抑圧を指摘したのですか? A、主に政体が民主的ではないという指摘です。 Q、今、ブッシュ大統領がカーターと同じことをやったとすると成功すると思いますか? A、成功しないでしょう。 Q、イラン革命政権は共産主義的政権だったのでしょうか? A、イラン革命政権は極めて宗教的な政権で世俗的なアメリカとは本質的に相容れません。 Q、条約なのに公に出されないものもたくさんあるのですか? A、それが外交というものです。 Q、イスラエルが勝利できたのはモサドの力があったからこそとよく言われますが、先生は日本にもこういう機関が必要だと思いますか? A、必要だと思います。また憲法には抵触しません。戦う前に勝つのが一番です。 Q、アメリカの影響力ってすごいですね。どうしてエジプトとイスラエルは和解する気になったのでしょうか? A、両国の利害を巧みに一致させるようにはからったからです。エジプトはとにかくシナイ半島の返還を求めていました。 Q、パレスチナ問題にはイギリスも大きくその原因があると思うのですが、現在さほど責任を負っていないのは何故なのですか? A、イギリスの世界に対する影響力の低下という背景があります。 Q、アメリカの企業が日本の会社を買収することに対して他国はどのように見ているのですか? A、次は自分の番だと思っているかもしれません。 Q、カーターは外交に関する知識があまりなかったと聞いたような気がしますが、間違っていますか? A、ニクソンやフォードに比べるとあまり知識がなかったと言えます。そのためモンデール副大統領が補佐をしています。 Q、先生は、アイスは好きですか?最近暑くてアイスばっかり食べてしまいます。 A、普通です。冷たいものの食べすぎはよくありませんよ。 Q、アメリカは何故社会主義的な政策をとれないのか? A、アメリカの伝統主義として自由放任の考え方があり、それが大きな影響力を及ぼしているからです。 Q、第二次中東戦争の時、何故アメリカは中東での混乱を避けたかったのでしょう? A、アメリカは世界各地でコミットしているので、中東に回す余力がなかったのです。またアイゼンハワー政権の指針は、強い姿勢を見せながらも実際の衝突は避けるという指針でした。 Q、カーターは国民の不信感を予見した上であえて庶民派を演じたのでしょうか?それともこれは彼の素ですか? A、おそらくほとんど素に近かったと思います。 Q、中東問題に関して一般的な民衆の反応が知りたいです。 A、泥沼化さえしなければ中東問題安定はアメリカの国益にも合致するので国民の反感もあまりなかったように思います。 C、目的なく頑張るということができなくなってしまいました。私はまだ長い長い五月病なのでしょうか? A、少しだけ頑張るのをやめましょう。きっと元気になれますよ。時にはそうやって肩の力を抜くことが大事です。頑張らないことも必要です。頑張りすぎることは鬱につながります。元気になったら、自分は何ができるか見極め、そして人のため社会のためにどのように役立てるか考えれば自ずと目的はできます。人間はちょっと抜けているくらいが丁度よいのです。 Q、今までのブッシュ政権での成果は、先生は何だと思いますか? A、ボーンアゲインである大統領の考えによって国内の宗教的な倫理面では改善が見られたと思います。 Q、カーターはソフトパワー、ハードパワーどちら寄りですか?映画館のレディースデイは女尊男卑だと思います。 A、最初、ソフトパワーのみで外交を展開しようとしたところ失敗し、ハードパワーを導入したと言えるでしょう。男女の賃金格差の問題が背景にあると思います。 |