ニクソンの時代―ベトナムからの撤退とウォーターゲート事件


第五福竜丸について
 先日、東京で第五福竜丸展示館の人とお話した。若い世代が第五福竜丸の存在を知らず、事件がどんどん風化しているという。来館者は多い時は30万人を迎えたそうだが現在は、12万人にまで減少しているという。
 第五福竜丸は、和歌山県で建造されたマグロ漁船で太平洋マーシャル諸島にあるビキニ環礁でアメリカが行った水爆実験に巻き込まれた。福竜丸はアメリカが指定した危険水域の外で操業していたが、水爆爆発による降下灰を受け、操業員23名が被爆した。
 乗組員の一人の久保山が「原水爆の被害者は私を最後にして欲しい」と言って同年9月23日に息を引き取ると国内で激しい反核運動が巻き起こった。それが反米運動につながることを恐れたアメリカは、すぐさま日本政府に補償額を提示、事件の早期決着をはかった。
その際、アメリカはアメリカの責任を追及しないことを条件に約200万ドルの補償額を提示、日本政府はそれを受け入れた。
 
ジョンソン政権の和平交渉の行き詰まり
 北ベトナムとアメリカの間で和平交渉の予備会談が行われた。アメリカは、北爆を部分的に停止する代わりに、南ベトナムでのゲリラ活動を縮小するように北ベトナムに要求、北ベトナムはそれに答えて、南ベトナムでのアメリカの軍事行動を縮小するように求め、双方の主張は平行線を辿るいっぽうであった。

ニクソン政権を取り巻く状況
 ニクソンが大統領として最優先に解決すべき問題は、泥沼化したベトナム戦争をいかに解決に導くかである。ベトナム戦争の戦況悪化や人種問題の摩擦などで国民の世論は混迷の度合いを深めていた。そのような状況では先ず国外の最優先課題であるベトナム戦争の処理が急務となっていたのである。ニクソンは、有名なテレビ・ディベートによりケネディに大統領選で一度敗れたとはいうものの、アイゼンハワー政権で副大統領として着実な政治的手腕を示していた。代表的な例は、フルシチョフ書記長とのキッチン・ディベートである。アメリカはニクソンの政治的手腕を必要としたのである。

「名誉ある平和」を目指して
 ニクソンは外交に自ら積極的に手腕を発揮しようとした。特にその補佐役としてヘンリー・キッシンジャーを起用したのはよく知られている。キッシンジャーは、ハーバードの気鋭の国際政治学者である。キッシンジャーは、アメリカの外交がイデオロギーや理想主義により硬直化していることを指摘した。そうしたイデオロギーや理想主義よりも、力と利益を重視するべきだと考えた。キッシンジャーにとっては、アメリカの道徳正義感に拘るよりも外交の柔軟さが重要だったのである。
 アメリカ軍の撤退は非常に困難が予想された。支援している南ベトナムに裏切り者と非難される恐れもあったし、軍事的にも撤退をすることは殿軍をつとめる残留兵士の安全を脅かすことになると予想された。国防総省の見積もりでは、秩序ある撤退をするには十五ヶ月以上かかるということであった。その際、最も危惧されたのは残留したアメリカ軍兵士が人質になることであった。またアメリカがベトナムで失敗することは同盟諸国に対してアメリカの力への疑念を抱かせる結果になる。
 北ベトナムはアメリカ軍の即時かつ一方的な撤退を求めていた。アメリカは、北ベトナムのその要求に屈することなく、北ベトナムを制しながら撤退し、かつ南ベトナムを崩壊させないようにしなければならなかった。
 キッシンジャーが考え出したのは、北ベトナムに政治的、軍事的両面から圧力をかけ、有利な妥協を引き出すという方策である。それは、第一に戦争継続に関して国内の支持を固めるために議会の支持を取り付けること、第二に北ベトナムが南ベトナムを支配すること以外はできるかぎり妥協すること、第三に南ベトナムの重要拠点だけに防備を限定し、北ベトナムからの補給線を断つ作戦をとる。
 アメリカ国民は、政府に二つの矛盾した要求を政府に突きつけているようであった。つまり、ベトナム戦争終結とアメリカが北ベトナムに降伏しないことである。ニクソン政権は、ベトナム戦争を北ベトナムに降伏せずに過度に妥協したと見られることなく終結させ、平和をもたらさなければならなかったのである。これが「名誉ある平和」である。

ベトナム化計画
 名誉ある平和を達成するために、ニクソン政権は、ベトナム化計画を選んだ。それは、同盟国との安全保障の約束は守るが、アメリカの直接的な軍事介入はできるだけ抑えるという方針への転換である。ベトナム化計画に従って撤退を行うことに関しては三つのポイントがあった。第一にアメリカ国内の士気を維持すること、第二に南ベトナムにアメリカ軍なしでも自立できる機会を与えること、第三に北ベトナムに妥協できる接点を提供することの三つである。ベトナム化計画の骨子は、南ベトナムの自主防衛力の強化とそれにともなうアメリカの負担軽減である。つまり、南ベトナムにアメリカの肩代わりをさせようということである。アメリカの理想主義やイデオロギーにこだわることなく、アメリカの力と利益に基づいてなされた現実的路線への変更である。
 ただこのベトナム化計画を採用しても、ベトナムからの撤退はばら色のものではなかった。キッシンジャーはその危険性を次のように指摘していた。
 ベトナム化は進めるにつれ、徐々に深刻な問題に遭遇することになろう。アメリカ軍の撤退は、アメリカ軍にとって塩味のピーナッツのようなものになるだろう。つまり、帰国するアメリカ軍兵士が増えるにつれ、より多くの撤退を望む要求をまねくだろう。実際には、これは最終的に一方的撤退、場合によっては一年以内の撤退を望む要求につながりかねない。撤退するアメリカ軍兵士が増加すれば増加するほど、北ベトナム軍の士気は高まる。一方、アメリカ軍兵士の士気を保つことはますます難しくなる。ベトナム化は完了するまでアメリカ軍の死傷者を減らすことにはならない。
 アメリカは、アメリカ軍を撤退させながら南ベトナムをその減少分だけ強化できればと望んでいた。北ベトナムを北爆でかなり叩き弱体化させたので南ベトナムを強化すれば何とかなるのではとアメリカは期待したのである。
 結局、アメリカは北ベトナムに政治的、軍事的圧力を加え続けることで、北ベトナムに、アメリカにとって不名誉にならないような条件をのませようとしたのである。ニクソンは、米中関係を「ピンポン外交」と呼ばれる交流で劇的に改善させた。これは背景にキューバ危機の際に生じた中ソ関係の悪化がある。中国はキューバ危機の際に、ミサイルを撤退させたソ連の弱腰をよく思っていなかったのである。米中関係の改善は、北ベトナムに間接的な政治的圧力を加えることになったと考えられる。またニクソンは、ソ連を訪問し、核戦力の削減交渉を取りまとめた。世界の趨勢はデタント(緊張緩和)へ向かいつつあったのである。このような国際情勢の変化は、北ベトナムにアメリカとの宥和を考えさせる材料になったのだと考えられる。
 さらにアメリカは、カンボジアにある北ベトナムの拠点を積極的に攻撃し、さらに北爆をいっそう強化した。
 こうした政治的、軍事的両面の圧力の下、1972年10月8日に北ベトナムは次のようなアメリカの条件を受け入れるに至った。アメリカ軍の全面的撤退、国際的な監視の下での休戦、捕虜交換、行方不明者の情報提供、南ベトナムに対する経済的・軍事的援助の継続、南ベトナムの将来の行方を自由選挙に委ねること。73年1月ついに休戦交渉が調印された。ニクソンはそれを「名誉ある休戦」と呼んだ。結局、アメリカ軍の直接的な支えを失った南ベトナム政府は75年4月に崩壊し、南北ベトナムは北ベトナムによって統一された。これは明らかなアメリカの敗北である。歴史上、アメリカがここまで明らかに敗北を認めなければならなかった例はなかったのである。

ウォーターゲート事件概要
 ニクソン大統領と言えばウォーターゲート事件を想起する人が多い。ではウォーターゲートとはいかなる事件であったのか解説したい。
 ニクソンは1972年の大統領選挙に勝利するためにその準備として選挙運動組織である大統領再選委員会を結成した。この委員会は、対立する民主党の選挙戦略を探り出し撹乱をはかるという工作を行っていた。その一環として委員会の関係者がワシントンのウォーターゲート・ビルにある民主党全国委員会事務所に盗聴器を仕掛けた。侵入した関係者五人は現行犯で逮捕された。五人の中の主犯格と後に共犯として逮捕された二人は委員会の職員であった。ニクソンは即座に関係性を否定したために選挙戦中は大きな問題にならなかった。
 選挙の結果はニクソンの圧勝であった。しかし、ワシントン・ポストの記者(ボブ・ウッドワードとカール・バーンスタイン)がこの事件の真相を追求し、徐々にホワイトハウスとの関連性が明らかになってきた。さらに現行犯で逮捕された一人が司法取引によって真相を告白、また他にも証言が続出したために、上院はウォーターゲート特別調査委員会を結成し真相究明に乗りだした。すると大統領側近による事件のもみ消し工作や隠蔽工作、FBIに対して圧力をかけたことが明らかになった。第一に、盗聴装置を民主党全国委員会事務所に仕掛けたこと、第二に民主党内に意見の相違が出るように工作したこと、第三に大統領も含んだホワイトハウスがウォーターゲート事件の被告にお金を渡して黙らせようとし、または犯罪を隠蔽しようとした。第四に鉛管工と呼ばれる侵入者グループは、ベトナム戦争に関する極秘文書を扱っていた元政府高官のオフィスに押し入った。第五にニクソン政権にとって都合の悪い人物のリストが存在していたこと。

大統領自身の関与
 こうなると問題は、大統領自身がどの程度この事件に関わっていたかである。ニクソンが窮地に陥ったのは、大統領執務室に会話の記録装置が備え付けられていたことである。上院調査委員会は、テープの提出を要求したが、ニクソンは行政特権をたてにそれを拒否した。証拠となったテープはいくつかあるが、その中で決定的証拠になったテープはスモーキング・ガンと呼ばれている。そのテープに録音されているのは、ニクソン大統領本人とハルデマン首席補佐官との会話である。会話が録音された時期は、犯人が逮捕された六日後である。テープの中ではハルデマンと大統領を中心に、いかにしてFBIの調査を阻止するか対策が相談されている。その対策とは、CIAの国家安全上の秘密工作に関連しているんでFBIに手を引くようにと示唆する手法である。ニクソンもこの対策にほぼ最初から乗り気であったことを示している。また一連のテープには卑猥な言葉も多数含まれており、それは国民に大きなショックを与えた。

史上初の大統領辞任
 ニクソン自身が事件に関与していることが明るみにでることで下院はニクソンに対する弾劾を決議し、下院による大統領弾劾がまさに行われようとした。弾劾を避けるためにニクソンは自ら大統領を辞任した。史上初の大統領辞任である。憲法第一条第二節五項。下院は、その議長およびその他の役員を選任する。そして弾劾を行う権限を専有する。同条第三節六項。上院はすべての弾劾を審判する権限を専有する。略。合衆国大統領が審判される場合には、最高裁判所首席裁判官を議長とする。何人といえども出席議員の三分の二の同意がなければ有罪の判決を受けることはない。第二条第四節。大統領、副大統領および合衆国のすべての文官は、反逆の罪、収賄罪あるいはその他の重大なる罪過につき弾劾され、かつ有罪の判決を受けた場合には、その職を免ぜられる。
下院弾劾決議⇒下院による弾劾⇒上院がその弾劾が正しいか審判する⇒正しいと審判されれば大統領は免職される。
 1868年にもアンドリュー・ジョンソン大統領が危うく弾劾され、上院の審判で一票差で勝利し大統領職を剥奪されずにすんだという先例はあるが、辞任したのはニクソンが初めてである。ニクソンは1974年8月自ら大統領職を辞任し、免職されることから逃れた。

ニクソン大統領の罪状
 大統領再選委員会が秘密の献金を企業から受取っていたこと、大統領の私邸を公費で改築したこと、脱税も発覚したこと、FBIやCIAにとうてい国家の利益にそくしたとは思えない諜報活動を命じたことなど大統領の権力濫用も「帝王的大統領」として非難された。その背景には二十世紀に入って以来の絶え間ない行政権の拡大がある。下院による決議によるとニクソンの罪状は三つである。司法妨害、権力濫用、議会侮辱。司法妨害は、ニクソンが地位を利用してFBIにはたらきかけて事件の捜査を遅らせたこと、故意に隠蔽をはかったこと。権力濫用、市民の権利を侵害し無視する行為を承認し、黙視した。議会侮辱、議会委員会へ証拠提出を再三にわたり拒否した。



質疑応答・感想


Q、アメリカの憲法改正について。
A、アメリカの憲法改正手続きは、憲法五条に規定されています。修正の周期はまちまちですが、例えば修正第二十五条は1967年制定で次の修正第二十六条は1971年制定です。憲法五条は次の通り。連邦議会は、両議院の三分の二が必要と認める時は、この憲法に対する修正を発議し、あるいは各州中三分の二の州議会の請求のある時は、修正発議のための憲法会議を召集しなければならない。いずれの場合でも改正は、連邦議会が選定すべき承認の二方法中の一に従って、各州四分の三の州議会によって承認されるか、あるいは四分の三の州における州憲法会議によって承認される時は、あらゆる意義において完全に、この憲法の一部として効力を有する。

Q、私は改憲に反対です。先生はどのように考えていますか?
A、改憲即悪というわけでもないと思います。ただ改憲が安易に行われるのは避けるべきでしょう。

Q、安倍首相は改憲肯定派というようなことを聞きましたが、実際どうなのでしょう?
A、私もそうだと思います。

Q、憲法を変えるとしたら戦争に関することなのでしょうか?
A、正確には自衛隊に関することだと私は思います。現行の解釈では統治行為論に基づき、最高裁による自衛隊の違憲立法審査は回避されています。

Q、国民は本当に政治に何かしらの影響を与えることができるのでしょうか?
A、民主主義の根本理念はまさにその考え方にあります。私個人の考え方では多くの人が幸福であればどの政治形態であれかまわないと考えています。例えば江戸時代は現代的な民主主義とはかけはなれた政治形態でしたが大部分の庶民は幸福だったと思います。

Q、選挙権が18歳以上になると聞きましたが、本当に18歳以上になりますか?
A、有権者の母数が減りますから18歳以上になることは十分考えられます。男子の婚姻可能年齢(つまり社会的に大人と認められる)が18歳ですからあながち無謀とは言えません。

Q、国際社会では未だに日本は危険な国として見られているのでしょうか?
A、技術力の高さから実は核を保有しているのではないかと疑われていると私は思います。

Q、先生は投票に行ってますか?
A、概ね白票を投じます。

C、第五福竜丸事件のことは知っています。乗組員の久保山愛宕さん一名が亡くなり、この事件が契機となって第一回原水爆禁止大会が日本(確か広島)で開かれたと記憶しています。また、放射能汚染への懸念から、日本で大規模なマグロ不買行動が起こったりもしたと思います。
A,よく知っていますね。非常に感心しました。その通りです。

C、第五福竜丸については小中高と習いました。福竜丸展示館の館長さんにお伝え下さい。
A,分かりました。お伝えしておきましょう。

Q、ベトナムが南北統一されて社会主義国になった時、アメリカは何か危機感などは持たなかったのですか?
A,、危機感は持っても再度ベトナムに介入することは国民感情を考慮すると不可能だったでしょう。また共産主義はアメリカが危惧したほど他の地域に影響を及ぼしませんでした。

Q、ウォーターゲート事件はこの前、フォレスト・ガンプという映画にもでてきましたが実際はどのように発覚したのですか?
A、フォレスト・ガンプは私の好きな映画の一つです。実際には警備員が盗聴用のコードを固定するテープか何かが貼られているのに気が付いて事件が発覚したと記憶しています。

Q、アメリカは自分でベトナムから撤退しようとしたのですか?
A、先ず世論がそれを求めていましたし、戦局もそうせざるをえなかったのです。

Q、9・11はブッシュが仕掛けたという本が出ているそうですが先生はどう思いますか?
A,9・11が起きた瞬間はありありと覚えています。大学生だった私はサークルの合宿でみんなとテレビを見ていました。その時、国民の危機感を煽り、支持を大統領に集めようとブッシュ大統領が自作自演したのではないかと咄嗟に思いました。それは犯人の特定があまりに手際がよすぎたことからそう思いました。ただ段々と情報が入るにしたがってそれは無いと思いました。あまりに大規模すぎるからです。

Q、チェッカーズ演説でニクソンが収賄していたのはペットの犬だけだと言っていましたがそれは犯罪ではないのですか?
A、一定額以下ならば犯罪には当りません。チェッカーズというのはコッカー・スパニエルで当時六歳だったニクソンの愛娘のトリシアがそう名付けていました。ニクソンは演説の末尾で、I just want to say this, right now, that regardless of what they say about it, we are going to keep itと冗談を言っています。

Q,ジョンソンはケネディ時代に副大統領だったんですか?
A、ジョンソンはケネディ政権では副大統領をつとめていました。憲法の規定では、大統領が何らかの事由(病死、暗殺など)により職務遂行ができなくなった時には自動的に副大統領が職務を引き継ぎます。

Q、一枚の写真がアメリカ国民の反戦感情を高め、戦争終結に間接的につながったと書いてあったように記憶していますが本当ですか?
A,一枚の写真だけが原因ではなく様々な報道が原因だと思います。従軍カメラマンの書いたものとして岡村昭彦著『南ヴェトナム戦争従軍記』が興味深いと思います。

Q、どうして周りに知られたくない内容のテープを録音・保管しておいたのでしょう?
A、その時は、大事になるとは思っていなかったのでしょう。それにその時の記録だけ捨ててしまうのは自ら疑惑を認めるようなものです。基本的に会話記録は保管用だと考えてよいでしょう。

C、FBIとCIAの違いが分かりません。
A、FBIはアメリカ合衆国内を取り締まる連邦の警察組織です。CIAは国内外の情報を取り扱う諜報機関です。

Q、アメリカの理想主義ですが、何故アメリカは自国だからこそうまくいったのだと考えなかったのでしょうか?A、理想主義はすなわち普遍的だからこそ意義があるのです。例えばアメリカにとって自由は人類共通の永遠の価値を持つものです。だからこそ他国にとっても価値があると考えるわけです。理想主義とはそういう性質を持つものです。

Q、第五福竜丸事件で責任の所在を明確にしたり謝罪したりすることなく解決しようというアメリカの態度はソフトパワーの喪失につながらなかったのですか?
A、反核運動が反米運動につながることを恐れてそのような処置をとったわけなので最悪の事態は避けられたと思います。

Q、一大学教授の意見が国の政治に反映されるというようなことはアメリカではよくあることなのですか?
A、アメリカでは政府と大学との垣根が日本より低いので珍しいことではありません。

Q、変動相場制について教えて下さい。
A、固定相場制に対する言葉です。昔は一ドル=360円などというように決まっていましたが、今ではご存知の通りに毎日変わります。それが変動相場制です。

Q、キッシンジャーは最近のイラクなどの状況について発言はしたのですか?
A、イラクではアメリカは勝利できないと発言しました。

Q、ビキニは英語だと思っていました。でもどうしてビキニなのですか?何の反抗ですか?
A、英語ではscantyと言います。新作水着に世間の注目が集まるついでに反核メッセージをPRしようというねらいです。

Q、税金で自分の家を建てるなんて最低だと思った。逮捕されたりはしないんですか?
A、フォード大統領がニクソン元大統領に全面的な赦免を与えました。

Q、キッシンジャー外交は「忍者外交」とも呼ばれていますね。その理由は何ですか?
A、隠密でありながら驚くような外交成果をあげる手法を評してそう呼ぶこともあります。

Q、アメリカはベトナム戦争からどのような教訓を得たのでしょうか?
A、ハードパワーだけでは勝利をおさめることには限界があるということと、アメリカが全世界に直接介入するのは実質的に不可能であるから最も効率よい方法を探すべきだと悟るようになったことでしょう。南ベトナムはアメリカが共産化に対して対抗するという姿勢を明確に示したという点で意義は少なからずあったと思います。

Q、阮朝最後の王であるバオ=ダイはその後どうなったのですか?ちなみに船の名前に丸が多いのは丸を描くように無事戻っていきてほしいということらしいです。
A、私もベトナムの歴史が専門ではないのでそこまでは知りません。異説では、城の本丸、二の丸のように、船を水上の城と見立てたことから丸と呼ぶようになったとも言われているそうです。

Q、キッシンジャーについてなのですが、イスラエルとエジプト往復外交をされ最終的には和平を達成させたすごい人物だと私は思うのですが、その和平はキッシンジャー自身成功だと思っているのでしょうか?
A,彼自身誇りにしていると思います。キッシンジャー以上に鋭い人物はなかなかいないでしょうね。

Q、キッシンジャー外交のVTRを見ました。先生もその映画は見ましたか?あれはどれくらい真実なのでしょう?ニクソンは辞職した後にどうなったのですか?
A、政府高官が後に真実を語るというVTRはよくありますね。ただ語られている内容が真実かどうかは様々な背景から推断するしかありません。ニクソンは、辞任後、十八カ国を訪問し、十六カ国の首脳と会っています。レーガン政権の時は閣僚の相談に電話で応じたりしています。辞任して二十年後の1994年に81歳で亡くなりました。

Q、南ベトナムの民間人はアメリカに操られていた大統領に反対していたのでしょうか?
、,南ベトナムの大半はゲリラの手に落ちていたので多くの民間人はゴ政権に対して何の愛着もなかったと思います。

Q、無政府国家主義について少し説明してもらいたいのですが。
A、無政府国家主義とは、自由主義の極致です。つまり、政府組織自体必要なく民の自律でのみ国を維持しようという考え方です。

Q、実際、政府も行政も官僚も信用できないと思う時はどうしたらいいのでしょう?先生はジョン・レノンに似ておられますね。
A、自ら物事を見る目を養うべきです。レノンについてはよく言われます。そもそも人種が違いますが!

Q、盗聴という行為は政界において頻繁に行われていることなのですか?
A、盗聴はそもそも秘密ですからそれがどれくらい行われているか分かりません。

Q、先生は今後世界で再び大規模な戦争が起こりうるとお考えですか?
A、それは歴史の導くままだと思います。ただ歴史上の教訓ですが第一次世界大戦はすぐに決着がつくと思われていましたが戦火が拡大し、後に世界大戦と呼ばれる戦争になりました。ですから僅かな火種がいつどのようにして大きな戦火になるのかは誰にも予測できません。

Q、ベトナム化計画においてアメリカはどのようにして南ベトナムを強化し肩代わりさせたのですか?
A、軍事援助や経済支援によってです。

Q、先生は夏祭りいらっしゃいますか。来て下さい。
A、初耳ですがひっそりと顔を出そうと思います。

Q、何故ニクソンの職権濫用を止めることができなかったのだろう?
A、これはニクソン個人の問題だけではなく、二十世紀以降の絶え間の無い行政権の拡大にも関連しています。

Q、どうしたらキッシンジャーみたく天才になれますかねー。
A、今度、キッシンジャーに会ったらその秘訣を聞いてみてください。聞き出せたら後で私にも教えて下さい。

Q、チェッカーズ演説で政治的手腕があると思われたのは何故ですか?
A、絶妙なジョークで疑惑をのりきったからです。

Q、FBIにはどのような圧力をかけたのですか?
A、盗聴は国家機密に関することだから捜査を止めるようにと妨害しました。

C、大学の授業って良いですね。自分の為の勉強という感じがひしひしとします。
A,大学の授業は自ら考える力を養うところです。そういう勉強をして下さい。自分で考えたことは一生残ります。

Q、ホワイトハウスって何ですか?しゅうあいって何ですか?
A、ホワイトハウスは狭義では大統領官邸です。広義では大統領府を指します。収賄(しゅうわい)です。お金を受取って誰かの利益をはかることです。

C、ニクソンは政治家としてはやり手であったかもしれないが欲をかきすぎたと思います。
A,寡欲は大欲にまさります。

Q、ニクソンは自ら進んで五人の男をウォーターゲートへ送ったのか?
A、問題はそこにあるのではなく、事件をもみ消そうとしたやり方にあったわけです。ニクソンは直接具体的な指示はしていないでしょう。ただホワイトハウスが関与しているのは確実です。

Q、ウォーターゲート事件は選挙の前には国民には秘密にされたのか?殿軍のところがよく分かりませんでした。
A、ニクソンが即座に関与を否定したので選挙当時は問題にはあまりなりませんでした。軍事的には撤退が最も難しいのです。敵からの追撃を受けないように整然と退却するには、追撃してくる敵を阻止する必要があり、それを殿(しんがり)と呼びます。最終的に殿軍も退却しなければなりませんが、小数部隊で最後まで残存するために壊滅させられたり捕虜にされたりする確率が高くなります。アメリカにとってそれが大きな問題でした。

Q、どれ程賢く実力がある人でも必死になると周りがみえなくなってしまうのでしょうか?
A、古くには孔子も同様のことを言っています。そうならないように気をつけたいですね。

Q、好きな大統領は誰かといろんな人に聞いたところニクソンの名前を出す人はおらず、ニクソンの名前を出すと良い顔をしないそうです。
A、ランキング調査でアメリカ人に一番人気があるのは、フランクリン・ルーズベルトですね。

Q、アンドリュー・ジョンソンは弾劾決議の後にも大統領を続けたのですか。
A、弾劾は上院の審判で無罪となったので人気を全うしています。

Q、アメリカがベトナムでわざと負けることにより共産主義の脅威を強調できるのでは?さらにベトナムで負けても軍需産業にとってはプラスになるのでわざと負けたのもありうるのでは?軍産複合体とCIAが大統領を情報操作で動かしていたのでは?
A、ならばベトナムからはすぐに手を引いて別のところで戦争をすれば大統領にとってもよかったと思います。大統領を操るのであれば、その大統領にとって政治的に不利になるような状況は作らず、もっと安易に勝利をおさめることができるところでの戦いを推進させるはずです。このように考えるとその論証の根拠は薄弱です。

Q、ベトナム戦争時に核兵器を使用するということは起こらなかったのですか?
A、作戦に従事するアメリカ軍にも被害が出ます。また北ベトナムに対して核を使うことは国際的な非難を浴びることを考えると不可能だったと思います。

アメリカ政治外交史歴代アメリカ合衆国大統領研究