テディベアの名前の由来
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セオドア・ルーズベルト大統領はテディベア誕生のきっかけを作っている。今でもルーズベルトの誕生日である10月27日はテディベアの日として祝われている。どのような歴史からテディベアは命名されたのか。テディベアの語源を考えてみたい。歴史上、有名な説がいくつかある。
まず一つ目の説。セオドア・ルーズベルトは、コロラド州グリーン・スプリングスにあるホテル・コロラドにしばしば滞在することがあった。そのためホテル・コロラドは「西部の小ホワイト・ハウス」と呼ばれていた。 ある日、ルーズベルトがホテル・コロラドに滞在した時、ホテルの従業員が大統領の娘のアリスに熊のぬいぐるみをプレゼントした。アリスはそれを「テディ」と呼んだという。しかし、テディベアが普及する前にアリスがルーズベルトと一緒にホテル・コロラドに行った記録はない。 したがって、アリスの言葉がテディベアの語源だという説は否定されている。
もう一つテディベアの語源について有名な説がある。現在では多くの歴史家がこの説を一番真相に近いと考えている。 ルーズベルトの趣味はハンティングであった。1902年11月14日、ルーズベルトはミシシッピ州知事のアンドリュー・ロンジーノの招待でシャーキー郡に5日間の熊狩りに出掛けた。知事は大統領を楽しませようと腕利きのガイドを雇った。南北戦争で活躍したホルト・コリアーという伝説的な黒人奴隷である。生涯で3,000頭の熊を仕留めたという。 原野に分け入ったルーズベルトは、自分の手で熊を撃ちたいとコリアーに言った。さらにできるだけ早く済ませたいとコリアーに注文を付けた。そこでコリアーは、狙いを付けるのに最適な場所に大統領を待たせると、猟犬とともに熊を狩り出しに行った。暫くしてコリアーがなんとか熊を狩り出すのに成功して戻ってくると大統領の姿がなかった。熊がなかなか現れないことにしびれを切らしたルーズベルトは先にキャンプに帰ってしまっていた。
コリアーは何とか大統領に満足してもらいたいと思った。それには大統領自らの手で熊を仕留めてもらうしかない。熊は猟犬と戦って傷を負っているものの、いつ逃げ出すか分からない。そこでコリアーは銃床で熊を叩きのめして半死半生にしてから縛り上げた。熊の体重は235ポンド(約107kg)に達していたという。 暫くしてルーズベルトが現場に戻って来た。その場にいた者達は、すぐに熊を仕留めるようにルーズベルトに薦めたが、ルーズベルトは喜ばなかった。半死半生の獲物を撃ってもまったく面白く無いと思ったからだ。それにスポーツマンシップに悖る。 結局、ルーズベルトは銃を降ろした。多くの場合、熊はそのまま逃がされたと説明されている。しかし、実際は熊が苦しんでいる姿を見たルーズベルトが安楽死させるように命じている。
同行していた記者によってこの逸話はすぐに新聞で広まった。それを読んだ風刺画家のクリフォード・ベリーマンが早速、ルーズベルトと熊のイラストを描いた。そのイラストは1902年11月16日のワシントン・ポスト紙に掲載された。ベリーマンのイラストに「Drawing the Line in Mississippi」と書き込まれているのは、まず「Drawing the Line」に口語で「断る」という意味があること、そして、ルーズベルトがミシシッピ州とルイジアナ州の境界争いを裁定するために訪問したついでにハンティングに出掛けたからである。ただこの時はまだ「テディベア」とは呼ばれていない。
クリフォード・ベリーマンが描いたテディベアのイラスト
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ニュー・ヨークで玩具やキャンディーを売る雑貨店を営むモリス・ミッチタムは、ベリーマンのイラストを見てアイデアをひらめいた。ミッチタムは、妻のローズに、この逸話を記念して熊のぬいぐるみを作って「テディベア(「テディズベア」という説もある)」という名前を付けてはどうかと提案した。木毛の詰め物にシューボタンの目のぬいぐるみが完成した。そして、翌日、ぬいぐるみは「テディベア」という名札、そして、ベリーマンのイラストとともに1ドル50セントで店頭に並べられた。
売れ行きが好調なことに気を良くしたミッチタムは、ルーズベルトの子供にぬいぐるみをプレゼントして「テディズベア(最終的にテディベア)」という名前を使ってもよいか問い合わせた。ミッチタムによれば、ルーズベルトは、自分の名前がぬいぐるみにふさわしいか疑問を呈しながらも名前の使用を自筆の手紙で認めたという。ただ明確な証拠は確認されていない。
いずれにしろミッチタムがアイデアル・ノベルティー・アンド・トイ社を設立してテディベアを大々的に売り出したことは確かである。販売は「Teddy
Bear Fad(テディベア熱)」と呼ばれる社会現象を引き起こすほど大成功を収め、アイデアル・ノベルティー・アンド・トイ社は一時期、アメリカ最大のぬいぐるみ製造会社になった。
セオドア・ルーズベルトとテディベア(1910年5月頃)
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実はテディベアの名前の由来にはもう一つ有名な説がある。名前のもとになったのはセオドア・ルーズベルトで間違いないが、歴史的経緯が少し異なる。
ドイツのシュタイフ社が発祥だという話である。1877年、マルガレーテ・シュタイフは新しく広まり始めたフェルト生地に注目した。そして、フェルト生地を使って象のぬいぐるみを作ってみた。なかなか好評だったので猿、ロバ、馬、豚、ラクダなど様々な動物のぬいぐるみを作るようになった。それがドイツのシュタイフ社の始まりであった。
1902年10月、ドイツのシュタイフ社に入社したマルガレーテの甥は、「テディベア」と同様のデザインを発案した。マルガレーテは最初、デザインが気に入らなかったという。あまりに大きすぎるし、入手困難なモヘヤでできていたからである。結局、その熊のぬいぐるみはライプツィヒで開かれた玩具市で「フレンド・ペッツ」として売り出されたものの、ほとんど売れなかった。
しかし、1903年3月に開催された玩具市で転機が訪れた。ニュー・ヨークにある玩具商のボルグフェルト社(F. A. O.シュワルツ社という説もある)は、ルーズベルトの逸話に関心を抱くアメリカ人がきっと多くいるだろうと考えて3,000体を注文した。最終的にボルグフェルト社が買い付けた数は1万2,000体に達したという。
そして、シュタイフ社製の「テディベア」は、1906年2月17日、ホワイト・ハウスで開かれたルーズベルトの娘アリスの結婚式でテーブルの飾り付けとして使われた。
飾り付けをどうしようかと悩んでいたあるホワイト・ハウスのスタッフがたまたまニュー・ヨークに行った時、シュタイフ社製のぬいぐるみを見かけて購入した。そして、狩人の格好をさせたり、ライフル銃を持たせたり、釣り竿を持たせたりした。ある者からそれは何かと聞かれた時に、返事に困って「テディズベア(「テディ」という説もある)」と答えたという。
シュタイフ社製のテティベアは好評を博し、1908年には100万体が製造されたという。
オーストラリアのコアラ(Koala Bear)を実は「テディベア」と呼んでいたという説もある。当時、皇太子であったエドワード7世(国王在位1901-10)がロンドン動物園にいたコアラを気に入っていたことから、その愛称にちなんで「テディベア」と名付けられてたのではないかという説がある。
この説の根拠として『Standard Reference Encyclipedia』による記述や『World Book Encyclopedia』が挙げられる。それぞれ以下のように書かれている。
「コアラは玩具のテティベアにそっくりであるが、もともとテディベアはコアラを原型に作られたからである」
「コアラはオーストラリアの小動物であり、テディベアとも呼ばれている」
ただこうした二つの記述はかなり後になってから記されたものであって根拠が薄弱である。したがって、イギリス説は旗色が悪い。
テディベアの名前の由来になったセオドア・ルーズベルトは、よく風刺画でテディベアと一緒に描かれたり、場合によってはテディベアと同一視されることもあった。それに有名なジョークにもなっている。
「もし服を着ているセオドアが合衆国大統領なら服を脱ぐとどうなるか」
答えは何か。一種のなぞなぞである。
「Teddy Bare」
Bareは「裸の」という意味がある。Bear(熊)とひっかけたしゃれである。
ルーズベルト自身はあまり「テディ」と呼ばれるのを好まなかったようだ。妻のエディスにそう不満を述べている。エディスは、「『セオドアベア』と呼ばれずに済んでよかったじゃないの」と答えたという。
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テディベア工場(1915年) |
セオドア・ルーズベルトを「テディ」と呼ぶことにはどのような意味があるのか。ルーズベルトの友人でニュー・ヨークの都市環境の改善に尽力したジェイコブ・リースは次のように語っている。
「アメリカの若者は誰もが『テディ』、『テディベア』、『テディハット』を知っている。しかし、大統領が子供の頃に本当に『テディ』と呼ばれていたかどうかはわからない。彼は家族の中では『テディ』と呼ばれていたかもしれない。ハーバード大学では『テッド』と呼ばれ、成年後は親しい仲間から『セオドア』と呼ばれていた。しかしながら、彼は大統領に親近感を覚える数百万の少年達にとっては『テディ』という渾名である。それは少年達が彼に対して敬意を抱いていないということではない。単にそれは、少年達が彼を恐れず、少年達は彼のことをありのままに感じ、そして、彼が少年達をよく知っていたということだ」
一世紀以上の歴史を経たテディベアは、現在、特別な意味を持つ存在となっている。すなわち、大人達の厳しい世界から子供達を温かく守るというイメージである。人々がセオドア・ルーズベルトを「テディ」と呼ぶ時、それはルーズベルトにどこか少年の面影を見ているのだと言える。確かにルーズベルトには、やんちゃな少年のような面がある。
テディベアの語源がルーズベルトという大人の男性であったために、テディベアは普通の人形とは違った意味を帯びている。普通は人形遊びをしないものだと見なされがちな男の子もテディベアであれば何も言われず、人形遊びをするには大きすぎる女の子もテディベアであれば大目に見られた。男子大学生がテディベアを大学の寮の部屋に飾って自分の服を着せても奇異に思われない。バスケットボール・チームがテディベアをマスコットにしてライバル・チームと奪い合うこともあったという。
さらに時代を経てテディベアが持つ意味は徐々に変化した。ドイツのシュタイフ社はタイタニック号の沈没を受けて600体の「哀悼のベア」を作り、事故で親族を失った人々の癒やし手とした。第1次世界大戦の戦場から帰還した兵士達はテディベアに安らぎを覚えた。そして、今でもテロや大きな事故があった時、哀悼の意を示すために多くのテディベアが花束とともに備えられる。もはやテディベアは世界に広まった文化であり歴史である。 |
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