セオドア・ルーズベルトの愛刀
|
日露戦争の講和交渉を仲介したことでよく知られているセオドア・ルーズベルトは、日本と様々な繋がりを持っている。ボクシングの他に柔道を習っていたこともよく知られている。サガモア・ヒルに残されたルーズベルトの遺品を見るとそうした繋がりの端々が感じられる。
サガモア・ヒルはセオドア・ルーズベルトが1887年以来、使っていた家である。ニュー・ヨーク州の大西洋に大きく突き出したロング島にある。大統領時代、ルーズベルトがサガモア・ヒルで夏の休暇を過ごしていたために「夏のホワイト・ハウス」と呼ばれる。83エーカー(33.6ヘクタール=東京ドーム7個分)の敷地に23室からなる邸宅が建っている。
サガモア・ヒルは、ハンティングの獲物、各国から贈られた貴重な品々などで埋め尽くされている。ルーズベルトはサガモア・ヒルについて次のように書いている。
「ホワイト・ハウスもなかなか良かったが、サガモア・ヒルに優る場所はどこにもない」
|
(上) トロフィー・ルーム
(左) サガモア・ヒル外観 |
珍奇な品々を収蔵するトロフィー・ルームは1904年に増築された。応接間や家族団欒として使われていた。左端に畳まれて置かれているアメリカ国旗はフランスで戦死した息子クウェンティンの墓にあったものである。右端のアメリカ国旗は1901年に荒くれ騎兵部隊の騎手が用いていたものである。
|
|
|
|
(左) トロフィー・ルーム
(右上) 机上のミニチュア鎧 (右下) 日本から贈られた刀 |
象牙はエチオピア皇帝 メネリクから贈られたもの。鹿の角にはサン・フアン丘陵の戦いで用いられた帽子と双眼鏡が掛けられている。
机の上には訪米した東郷平八郎から贈られたミニチュア鎧が見える。
日本から贈られた刀は少なくとも三本の所蔵が確認されている。ルーズベルトは魂が籠もる「侍ソード」として大切にしていた。
太刀、脇差し、短刀がそれぞれ一本ずつ。小美濃清明氏(「歴史の中の刀剣―アメリカ審査会印象記」『刀剣と歴史』収録)によれば、以下の通りになる。
「講和条約成立のあと、明治天皇はルーズベルトに感謝の意をこめて、鎧一領、太刀一振、脇差一振、その他のものを贈っている。太刀は備州長船実光、文安二年十二月日(二尺二寸五分)脇差しは長谷部国信(一尺五分)である。[中略]。この実光と国信には本阿彌平十郎の折紙と説明書がついていた。しかし、管理者が読めないとのことで、急遽英訳することになり、国連本部の米川佳伸氏により折紙二通、添状二通が英訳された」
鎧一領は、明治天皇が青木周蔵に託して贈ったという「緋縅」の鎧だと考えられる。しかし、サガモア・ヒルでは確認されていない。
その他、小美濃氏は、孫文の刀(鞘書「敬呈 孫逸仙先生 号勝利之劔 水府勝村作 大久保高明」)やヒットラーの刀(笠間一貫斉繁継裏銘「獨逸国総統ヒットラー閣下 日本大学芸術科長松原寛献進之」)、山本五十六の短刀(酒井一貫斉繁正・遠藤光起銘「皇国興廃撃在此征戦」)を紹介している。小美濃氏は『坂本龍馬と刀剣』という本も書いている。 |
|