ワシントンD.C.今昔物語
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ワシントンD.C.は低湿地に位置していた。生ゴミの回収も適当で公的なものではなく野豚がしていた。泥だらけの街路に澱んだ運河、湿気が町中から立ち上る。このためワシントンではあらゆる病気、特にマラリアが蔓延した。マラリアを運んでくる蚊にとってはワシントンは最適の地だった。大統領は夏にバカンスをとったがそれは身を守るためであった。ワシントンに夏の盛りに滞在しているとマラリアにやられてしまうからだ。ワシントンは今からは想像もできないほど田舎だった。
ワシントンの人口は1840年に2万3,364人、1850年には4万人程度であった。フランスの外交官は、1840年にワシントンについて次のように記している。
「街でもなく村でもない。寂しい場所だ。生活は耐え難い」
なにしろ舗装されているのはホワイト・ハウスと連邦議会議事堂を結ぶペンシルヴェニア通りだけであった。
今後、大幅にワシントンD.C.の歴史を加筆予定。
南北戦争期のワシントンD.C.
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