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アメリカ歴代大統領研究ポータル

奴隷解放宣言の署名

リンカーンのお髭


ウェストフィールドでの出来事

髭を生やす前後のリンカーン
髭を生やす前後のリンカーン
 エイブラハム・リンカーン大統領はその立派な髭でよく知られている。髭を生やすきっかけとなった逸話が残っている。1861年2月16日、大統領就任式に列車で向かう途中、リンカーンはウェストフィールドで降りて群衆に挨拶した。
「どうやらあなた達はうまいこと私を見物に来たようだが、私のほうがうまいことやっているようだよ」
 群衆の笑いを誘った後、リンカーンは挨拶を続けた。
「三ヶ月前、私はここの小さな女の子から手紙を受け取った。それは可愛らしい手紙だった。女の子は私に髭を生やしたらいかがと薦めてくれた。私の外見が少しでもましになるようにね。女の子の助言に従って私は髭を生やし始めたというわけだ。もし今、女の子がここにいたら会ってみたい。女の子の名前は確かバーリー嬢だったと思う」
 すると近くに立っていた少年が叫んだ。
「リンカーンさん、彼女ならそこにいるよ」
 そう言うと少年は一人の少女を指差した。リンカーンは列車から降りると少女の所まで歩いて行った。

ある少女の手紙

 リンカーンが言及した「可愛らしい手紙」とは何だろうか。それは1860年10月15日、グレース・ベデルという女の子がリンカーンに送った手紙である。

グレース・ベデルがリンカーンに送った手紙
グレース・ベデルがリンカーンに送った手紙
「リンカーン閣下へ
 拝啓。私のお父さんは、あなたと[副大統領候補の]ハムリン氏の写真をお祭りから持って帰ってきたところです。私は11才の小さな女の子にすぎませんが、あなたが合衆国大統領になってほしいと思っています。ですので私があなたのような立派な人にお手紙を差し上げても、でしゃばりだなんて思わないでいただけたら嬉しいです。もしあなたのお子さんに私と同じくらいの小さな女の子がいたら私の好意を伝えていただけませんか。そして、もしあなたがこの手紙にお返事を書けないならあなたの代わりにお手紙を書くように伝えていただけませんか。私には4人の兄がいます。何人かはあなたに投票するに違いありませんが、もしあなたがお髭を生やすようにしたら、残りの兄弟もあなたに投票するでしょうし、あなたの顔は引き締まってもっと良く見えるようになりますよ。お髭が好きな女性は旦那さんにあなたに投票するようにせっつくでしょう。そうなればあなたが大統領です。私の父はあなたに投票するつもりです。もし私が男ならあなたに投票するでしょうが[女性には参政権がないので]、できる限り、みんなにあなたに投票するように呼び掛けるつもりです。周りにある横棒柵のお蔭であなたの写真は素敵に見えます。小さな妹ができました。生後9週間でとても可愛らしいです。もしあなたがお返事を書いて下さるならニュー・ヨーク州チャタヌーガ郡ウェストウィールドのグレース・ベデルに送って下さい。すぐにお返事がいただけなくても大丈夫です。さようなら。グレース・ベデル」

リンカーンの返事

リンカーンがグレース・ベデルに送った返事
リンカーンがグレース・ベデルに送った返事
 手紙を読んだリンカーンは非常に喜んで4日後に返事を書いた。
「親愛なるグレース・ベデル嬢へ
 15日のあなたの素敵なお手紙を受け取りました。私には残念にも娘がいません。三人の息子がいます。17歳と9歳と7歳です。息子たちと妻、それで私の家族全員です。髭についてですが、今まで生やしてこなかったのに、もし私が髭を生やし始めたらみんながおかしいと思わないでしょうか。敬具。エイブラハム・リンカーン」

 このやり取りを覚えていたのでリンカーンはウェストフィールドに立ち寄った機会にベデルに会ってみたいと考えたのだ。
 リンカーンはベデルに歩み寄り、高く抱き上げるとキスをした。そして、プラットフォームの端にベデルと並んで座って言った。
「グレーシー、私のお髭を見てごらんよ。君のために生やし始めたんだよ」
 この逸話はすぐに新聞に掲載されて全国に伝えられた。ただ髭を生やしたほうがよいと助言したのはベデルだけではないらしい。他にもリンカーンの写真を見た支持者から髭を生やしたほうが立派に見えるという助言がたくさん届いている。そうした声を背景にリンカーンは髭を生やし始めたのだろう。

参考:ベデルの後日談

 実はグレース・ベデルは後にもう一通の手紙をリンカーンに送っている。日付は1864年1月14日である。

「リンカーン大統領へ
 よくよく考えて私はあなたにお手紙を差し上げることにしました。何かお仕事を得るためにあなたの助けを求めます。大統領選挙前に、チャタヌーガ郡ウェストフィールドの女の子からあなたの顔をより良く見せるためにお髭を生やすように薦めた手紙を受け取ったことを覚えていますか。その時の女の子が一人前の女性になりました。あなたがこの手紙に『あなたの真実の友にして幸福を願う者』とご自身で署名して下さると信じています。今も私の友であることをお示し願えませんか。ここ二、三年、私の父は財産をほとんど失ってしまいました。我々は父がどうして欲しいかはっきりは分かりませんが、自分でできることを何かするべきだと考えました。たとえ私が何ができるか知っているだけだとしても。多くの女性がワシントンの財務省で紙幣を作る作業などで働いて高いお給金を得ていると聞いています。私もそこで働けないでしょうか。あなたには影響力がありますから、あなたからお言葉をいただければ私は自活できるだけのお仕事を得られるでしょう。もしできれば両親も支えたいと思います。それが私の強い望みです。私の良心は私があなたに支援を求めたことを知りません。もしあなたが私の家族が信頼に足るか証明を必要とするなら、あなたも知っているはずの人々の名前を挙げます。私達はウェストフィールドに住んでいた二年間を除いてずっとここ[ニュー・ヨーク州アルビオン]に住んでいます。この件について私は既にあなたに一度お手紙を送りましたが、お返事がいただけませんでした。きっとお手紙を受け取っていないのだと思います。あなたがお手紙を無視するような不親切なことをするはずがないと思っているからです。グレース・ベデル」

 リンカーンの返事は残っていない。残念ながらリンカーンはベデルに返信しなかったようだ。リンカーンの手元に届かなかったのか、それとも南北戦争に忙殺されてそれどころではなかったのかはわからない。