リンカーンの予知夢
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エイブラハム・リンカーンは鏡を見た時によく奇妙な幻影を見たという。リンカーンが暗殺された三ヶ月後に友人のノア・ブルックスはリンカーン自身が語ったという言葉を再現している。
「1860年の大統領選挙の直後だったと思う。とても疲れて帰宅した後、私は寝室にある長椅子に横たわっていた。向こう側に鏡付きの箪笥があったので私はふとそれを覗き込んでみた。私はほぼ身の丈で鏡に映っている自分の姿を見た。しかし、私の顔の像がくっきり二つに分かれていた。一方の像の鼻の先がもう一方の像の鼻の先から3インチ[7.6cm]離れている。驚いた私は起き上がって鏡を仔細に見たが、幻影は消えてしまっていた。また横になれば再び見えるのではないかと思ってやってみた。すると私の顔が五つも重なっていて、その中の一つが青ざめていた。私が起き上がるとまた幻影は消えた。それからいろいろと慌ただしいことがあって私はそれをほとんど忘れていた。しかし、完全に忘れたわけではなく、何か不吉なことが起きると告げるかのようにそれは私を苦しめた。家に帰った時、私はそれを妻に話して、再びそうなるか試してみた。私は何とかして幻影を呼び戻して心配する妻に見せようとしたができなかった。妻はそれを私が再選される証だと考えたが、同時に一つの顔が青ざめていることは最後の任期を生きてまっとうできない証だと思った」
さらに暗殺される数日前に、リンカーンは不思議な夢を見たことをリンカーン夫人と親友で警護を担当していたウォード・ラモンの前で語っている。リンカーン自身の言葉をラモンは次のように再現している。
10日程前、私は遅くまで働いていた。前線から届く通信を待っていた。あまりにも疲れていたのでベッドに入ってもまったく眠れなかった。それでも私はうとうとし始めた。そして、まるで死のような静寂が私の周りを覆った。れから私はまるで多くの人々が嘆き悲しんでいるような声を聞いた。私は自分がベッドから起き上がって階下をさまよっているかと思った。突然、悲痛な鳴き声によって静寂が破られたが、哀悼者は見えなかった。
この不思議で驚くべきことがなぜ起きているか確認するために、私はイースト・ルームに入った。葬送の衣服を身に付けた亡骸が安置されている棺が私の前にあった。
安置されたリンカーン大統領の棺
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棺の周りには兵士が護衛として佇立していた。 そして、一群の人々が痛ましげに顔が覆われた遺骸を見ていた。その他の人々は泣いていた。
「ホワイトハウスで死んでいるのは誰だ?」
私はそう1人の兵士に聞いた。
「大統領です。大統領は暗殺者によって殺害されたのです」
それが兵士の答えであった。 突然、大きな悲嘆の声が群衆から沸き起こり、私は目を覚ました。リンカーンはその晩はまんじりともできなかったという。
それは夢にすぎなかったが私はそれから悩まされるになった。
ラモンの説明によればリンカーンが話したという夢の内容は以上の通りである。
夢の内容を聞いたリンカーン夫人は、「なんて恐ろしいの。そんなの聞きたくなかったわ。夢なんか信じたくないわよ。そうじゃないとこれからずっと怖い思いをしなくちゃならないもの」と言った。リンカーンは、「ああ、夢にすぎないからね、メアリ。もう言わないようにするし忘れよう」と夫人をなだめた。
数日後にリンカーンが暗殺された時、リンカーン夫人は、「あの人の夢は予言だったのよ」と叫んだという。
こうした証言にラモンは次のように付け加えている。
「かつて大統領はこの恐ろしい夢についてちょっと冗談めかして仄めかした。『ヒル、君は私が隠れた敵に害されると心配しているようだが、それはまったく馬鹿げているよ。私を殺そうとする者からどれだけ長く君が私を守れるかは神のみぞ知ることだ。夢が何を示しているかなんかわからないだろう。この夢は私に関する夢ではなく、他に殺された誰か別の夢かもしれない。暗殺者は誰か他に手を掛けたかもしれないよ』と彼は言った」
はたしてリンカーンが本当に予知夢を見たかはわからない。証言者のラモン自身はリンカーンがオカルトや霊といった話にはあまり関心がなかったと指摘している。例えば隣人に天国について聞かれた時、リンカーンは「天国はないかもしれない。我々が死んでしまったらそれでお終いというのは愉快なことではないね」と答えている。妻メアリに同行して降霊会に出たこともあるが、それはあくまで妻を心配したからであってリンカーン自身が興味を持っていたわけではない。ただ殺害の脅迫をたくさん受けていたのでいつか暗殺されるかもしれないとリンカーンが覚悟していたとしても不思議ではない。 |
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